第23話 命を懸けるもの


 敵を葬り、炎の壁が開ける時にはクシェルは街から消えていた。

 全焼した庭園には焼けた死体の山と、異臭だけが残っている。

 無力感に苛まれ力の限り叫んだが、灰の舞う空の下では虚しさが拡がるばかりだった。


「ヴォルフ、少し話せるか」


 声を掛けてきたアルガスはこうした事態故か、普段とはまるで様子が違っていた。

 別人かと思う程に引き締まった表情……何か特別な話でもあるのか。

 アルガスに連れられ、向かうのはウァルウィリスの執務室だった。

 執務室のある塔の外壁こそは煤塗れだったが、内部にはこれという損傷は見当たらない。庭園とは違って石材で建てられた城の被害は軽微らしい。

 部屋の中には神妙な面持ちのウァルウィリスが待っていた。


「ヴォルフ、これからどう動くつもりだ」


 開口一番、ウァルウィリスはそう訊ねてきた。

 丁度いい、俺もここからの対応について助力を乞おうと考えていた。

 かつての約束を履行してもらう時が遂にやってきた。今回でヴァルリスは戦力を削がれ、逃げる時も一人だった……兵力を集め、叩き潰す好機だ。


「クシェルを助けに行く。決まっているだろ」


「そうか、そうだな」


 二つ返事で色よい返答が貰えるものとばかり考えていたが、彼の言葉からは歯切れの悪さというか、何か躊躇いのようなものが含まれていた。


「アルガス、よいな?」ウァルウィリスがアルガスへ視線を流した。無言で頷いたアルガスは改まった態度で俺の正面に立つ。


「実は、お前に話しておかねばならんことがある」


「話……?」


 悠長にしている時間は無い。余計な話などせずクシェルを救出に向かいたいが、アルガスの発する並々ならぬ雰囲気に身体が強張ってしまう。


「お前にとっても、大切な話だ」


 そしてアルガスは語り始める。

 俺たちの両親と、そしてクシェルの出生にまつわる過去についてを。




 ※◇■―――第23話 命を懸けるもの―――■◇※



 

 深い意識の外側にじんわりとした光が滲む。

 閉じた瞳を開けば眼前に橙色の炎が揺れている。

 瞼の裏に透けていた明かりは焚き火のものであった、舞い上がる火花と共にぱちぱちと鳴いた。


「ここ、は?」


 何処まで連れてこられたのか、目覚めれば森の中に居た。

 身体は木の幹に腕ごと縛られた状態だった。状況を把握すべく目を配れば、炎を挟んだ向かいに何者かが眠っている、いや、休んでいるだけなのか。


「意識が戻ったか、気分はどうだ」視線に気付いたか男は目を開けるとそう訊ねてきた。


 どうやら目を瞑っていただけらしかった。

 この人物こそが自分を気絶させ、この場所まで連れてきた張本人。

 会うのは二度目……一度目は忘れもしない。

 仇であり、兄がずっと追い求めている男。名は確かヴァルリスといったはず。


「警戒するな、そう手荒にはしない」


 両の手を広げて掲げたヴァルリスは己が無害であることを表明する。

 人を拘束しておいてどの口がと思うが……危害を加える気が無いのは確かなようだ。


「貴方、何がしたいの? 何でこんな事をするのですか」


「何故、か。その理由はお前自身がよく解っているだろう」 


「……」


 ヴァルリスから視線を外して自身の掌へと移す。

 淡い緑光が仄かに宿っていた、幾度も行使してきた癒しの光だ。

 三年前、森で自分たちを襲った賊を思い出す。彼らもまた、私を殺すのではなく捕らえようとしていた。つまり最初から、私が狙いだったのか。


「意外と冷静だな。兄のように激昂するかとも思ったが……母親に似たか」


「……お母さんを、知っていたの?」


「そうだな、まだ時間がある。少し昔話をしてやろう」


「昔話……ですか」


「ああ、俺はお前の父とは旧友でな。奴は王国騎士団の団長を務め、幾度も死線を共にしたものだ。王国一の剣技を誇り、しかし一切の驕りのない奴を皆、敬愛していた」


 王国騎士団、聞き知らぬ単語にクシェルは戸惑うがヴァルリスは待たずに話を続ける。


「お前の母、ウェスタは王都では有名な女性だった。外見の麗しさに加え、由緒ある名家の出身でありながら誰にも等しく振舞う……温厚で慈愛に満ちた性格は人を惹き付けた。ラグナルもその一人で、偶然にも舞踏会で顔を合わせたことをきっかけに親睦を深めていった」


 ヴァルリスが話すのは両親の馴れ初めらしかった。

 クシェルは両親について何も知らないに等しく、真偽はともかくとして関心を引かれる。


「次第にラグナルとウェスタは恋に落ち、二人は婚姻を結ぶと子宝にも恵まれた。それがお前の兄であるヴォルフだ。後継を探していたラグナルは息子の誕生に大層喜んだ」


 名誉に名声、妻子を持ったその頃、父は間違いなく全てを手にしていたのだろう。

「だがそれから四年、たった一つの事件がラグナルの人生を変えた」


「父に、何が起きたのですか」


「実はウェスタはとある貴族の嫡子がずっと想いを寄せていた女性でな。ラグナルと結ばれた後も想いは変わらなかったらしい。人知れず懸想するだけなら問題にはならなかったが……ラグナルを逆恨みした彼はある蛮行に及んだ。人の尊厳を踏み躙る、けして赦されぬ行いだ」


「蛮行って……」


「ある夜、泥酔した彼は立場を利用しウェスタを屋敷に呼び出した。何時間経っても戻らぬ彼女を不審に思ったラグナルは嫡子の屋敷を訪ねたが、その時には何もかも手遅れだった」


 父が目にしたのは大きく揺れる男の背中と、跨られ、組み伏せられる母の姿。父の腰には丁度一振りの剣があった。


「……あろうことか激昂したラグナルは嫡子を刺殺してしまった。義に溢れる男は、しかしだからこそ怒りを抑えられなかったのだ」


 剣を捧げるべき相手を殺害した、まして相手は貴族階級。

 如何に父が王国の一翼を担う騎士団長だからとて許される話では無い。

 普通であれば弁明の機会も与えられず極刑が下される。楽に処するなら斬首か苦しませるのなら縛り首か、けれど父にはどちらの刑も執行されず生かされた。


「誰もがラグナルの死罪を予感したが、しかし要求されたのは右腕一本だった。何故か解るか」


「騎士としての父を、殺す為……?」


「そうだ、剣が無ければ騎士ではない、名誉と名声は剣に宿るものだ。長年仕えた男への、それが刑を科した王からの唯一の慈悲だった。結果、ラグナルは代償として利き腕を差し出す羽目になった。死罪でなかっただけ幸運とも言えるが、もはや騎士団に席を置くことは許されなかった。――――――そして、奴は王都を去る決心をした」


「……どうして父は出ていったの」


「その時、ウェスタの腹の中には既に新たな命が宿っていた。蛮行に及んだ貴族の嫡子が残した因縁……つまりお前だ。安全に出産するには、どうしても王都にはいられなかった」


「そんなの、だって私は」


 当然の疑問だった。

 話が真実であれば、クシェルの存在はラグナルにとって忌むべきものではないのか。

 愛する妻を犯し、騎士の道すらも閉ざした男の血が混じっているのだから。


「……確かに当初ラグナルはお前を望まなかった。しかし母のウェスタがそれを拒んだ。憎き相手との子供とはいえ産まれる命に罪は無いと、ラグナルを説き伏せたのだ。だがお前の存在が公になれば、災禍に巻き込まれることは目に見えていた。何せ《奇跡》を継ぐ貴族の血筋だ。男であれば召し上げられ、女であれば子を為すための道具とされる定めを二人は理解していた」


 だから争いを避ける為、そしてこれから生まれてくるクシェルを守る為に、父と母は辺境へと身を隠すことにしたのだ。そして、あの村へと行き着いた。


「驚かないのだな」一頻りの話を終えたヴァルリスは、意外そうな目で訊ねる。


「何となく、分かっていましたから」


 自分が兄と違うことに、実は薄々感づいていた。

 だって瞳の色が違うから。

 母とは髪も顔立ちも何もかもそっくりなのに、所詮別物だと……そう言われているみたいで。


 治癒の力だってそうだ。

 最初は何とも思わなかったけれど兄の傷を癒す度に疑念は増えていった。

 普通じゃないと解っていた。きっと兄も、気付いていたのかも。《奇跡》のことは教えられていたから、もしかしたらと考えることもあった。


 だけどなるべく考えないようにしていた。

 兄妹という絆が完全でなくなることをずっと恐れていた。

 兄とは別々の存在であるとどうしても信じたくなかった、気付きたくなかった。

 父の腕を奪った連中の血が混じっていると知れば、兄はどう思うだろう。父を誰よりも慕っていた兄は許さないのではないか。それが堪らなく恐ろしくて、目を逸らしていたのだ。


「兄も、殺すのですか?」


「目的はあくまでもお前の力だ……だが、どのみち向こうから追ってこよう」


 命を狙う必要は無いが、相対すれば殺すことになる。

 だがヴァルリスの予想通り兄は追ってくるのだろう。この男もまた、そうなることを待ち望んでいるようだった。


 ◇


「――――これが、俺が知る情報の全てだ」


 話を終えたアルガスは重たい息を吐きだした。

 不思議だったのは、打ち明けられた話を特に抵抗もなく受け入れられた事。

 もしかしたら前々から感づいていたからかもしれない。クシェルが、彼女が自分とは何か違う存在であることに。


「奴の、ヴァルリスの狙いは……」


「間違いなく、お前の妹が持つ力だろう。血筋からすれば正統な王国貴族の一人……見逃される訳が無いからな」


 だから森でもしつこく追ってきたのだ、村を襲撃したのも全て、クシェルを捕える為の手段に過ぎなかった。父や母は、その為の犠牲となったのか。


「……《奇跡》って何なんだ」


「さあな、そういうものとしか答えられん。何故そんな力があるのか、どういった原理なのか、答えられるものなど居ない。だから《奇跡》と呼ばれているんだ」


「向かった先は予測がつく。目的を達したからかまるで隠れる気が無いようだ。我が兵士が南西へ向かうヴァルリスらしき男を目撃している。男に抱えられた白髪の少女の姿もな」


 南西といえば先日まで争っていたアミュガット領の方角だ。

 このまま奴は領地外に逃亡する算段なのか。そこまで逃がせば追跡は困難となる。


「ならさっさと追い掛けよう。速い馬で急げばすぐに……」


「いや、奴が逃げた先はアミュガット領との境だ。このままいけば私の領地を抜けるだろう。こちらから大々的に兵を送ることは出来ん。悪いが、こうなっては簡単に兵は出せん」


 小競り合いの続いていたアミュガットだが今現在は小康状態にある。

 ここで迂闊に兵を出してアミュガットを刺激するような行動は出来ないというのがウァルウィリスの判断のようだった。

 当初交わした約束と齟齬があったが、彼の領主としての事情も理解している。

 生憎、敵の行き先は予想できているのだ、最悪は自分一人でもと考えた矢先、釘を刺される。


「駄目だ」


「待てよ、何だって?」


「お前も重要な戦力だ、みすみす死地に送り込むわけにもいかん。そのヴァルリスという敵は聞くにアルガスと遜色ない実力、お前を失うことは避けたいのだ。幸いお前の妹を殺す気はない様子だ、時間は掛かるがアミュガット領主に書状を送って協力を仰げばよい」


「ふざけるのも大概にしろ、あんた、自分が何を言ってるか分かってるのか?」


 呑気にここで待っていろと言うが、それまでクシェルが無事である保証は何処にある。今、こうしている間にも彼女がどんな思いをしているか。そもそも、つい此間まで争っていた相手が協力などするものか。


「落ち着け、ヴォルフ」憤怒のあまり今にもウァルウィリスに掴み掛かるところだったが、間に入ったアルガスが未然に防ぐ。怒りを鎮めるように諭すアルガスを押し退け、ウァルウィリスへと詰め寄った。


「いいか、俺はずっとあんたの為に剣を振るってきた。死線を潜ってきた、何度も、何度も出征した! それが誓いだった! あんたも誓ったはずだっ……! 三年前、俺の前で! クシェルの安全を保障すると!」


「確かに約束した、我が領内に居る内は。現在は状況が違うのだ!」


「はっ……だろうな。そういうと思ったよ、期待しちゃいなかったさ!」


 もはや不毛な問答と感じ、執務室の扉に手を掛けた俺をウァルウィリスが制止する。 


「待て、何処に行くつもりだ」


「クシェルは必ず助ける。約束したんだ、ずっと守ってやるって」


「アルガスの話を聞いていただろう、狙いはお前の妹一人だ。最初からお前は標的ではなかった。お前は仇敵と憎んでいるが、全ての元凶はそもそも――――――」


「――――関係ない」


 ウァルウィリスが何を言うか予想がついたが、最後まで言わせる気は無かった。

 俺を城に留まらせたいから秘していた情報をこのタイミングで打ち明けさせた。

 俺が守ろうとするクシェルが、守るに値せぬと思わせたい。どうやら俺が考える以上に彼は兵士としての俺を買ってくれている。

 でも俺にとって、そんな事実はどうだっていい。


「私から兵は出さんぞ。この先二度と、手を貸すことは無い」


「いいさ、あんたとの誓いもこれで終わりだ。――――俺は出ていく」


 おそらくはそれはウァルウィリスからの最終通告だったが、俺は迷わず背を向けていた。

 ……たった一つ、何に命を懸けるのか。

 アルガスと話して自分なりに考えてはみたが、結局行き着く解答は決まっていた。

 その為に剣を振るったのだ。

 父もそう望んで、俺に戦う術を授けた。父も母も、クシェルを愛していたから。


 例えば彼女が災いを呼び起こす存在なのだとして、この意志は揺らぐのか。


 それもやはり、まるで意味のない問答なのだ。

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