第22話 気付く想い、根付く怒り
もぬけの殻となった城内。
祭りの熱に浮かされた街とは対照に人気なく冷めきった庭園には、何者かの啜り泣く声がひっそりと響く。
丁寧に剪定された植栽の下、小さな膝を抱えて蹲る少女――――クシェル。
実のところ、心の片隅で彼女は兄がやってきてくれるものと期待していたのだ。
寒く寂しい夜、温もりを与えてくれるのはいつも兄だった。
悲しい時は何も言わず手を握ってくれた。
泣いている時は理由も聞かず抱き締めてくれた。
怒った時は頭を撫でて誤魔化したり、逃げれば焦った顔で追い掛けた。
どんな時も、自分を独りにはしなかった。
なのに今回兄は追い掛けるどころか、引き留めもしてくれなかった。
「兄さんなんて嫌いよ……」
戦いに囚われる兄を止めたいと願うけれど、それが自分を思うが故の行動なのも理解している。
でもそれでも、その上で自分の気持ちを汲んでもらおうとするのは我儘か。
固く信じていたものが所詮は淡い幻想であったのかと思わされる。
唇に触れてみればいつかの感触がまだ残っていた。
共に幾度の困難を乗り越え、血を越えた絶対の繋がりを持った気でいたのは自分だけだったのだろうか。
しばらく泣き続けているが、涙は枯れずに溢れてきた。
絶えぬ涙の出所を探せば、兄と絡み合うように擦り寄るイリスの姿……頬を伝う熱の理由に思い至る。
「そっか、私……嫉妬してるの」
つい口に出した言葉は、妙な説得力を持っていた。
柔らかい声も、優しい笑顔も、綺麗なのに力強い手や指も、離さないように抱き留めてくれる腕も胸も、温かい背中も。
包み込まれるように深い橙褐色の眼差しも……ここに来るまでそれらはいつも自分にのみ注がれていた、開かれていた。
兄の全てが自分だけの物だったのだ。
だからあの日、イリスが窮地の兄を救った時。
多分その瞬間から、きっとクシェルは彼女のことが大嫌いだった。
なおも溢れる涙を止める術もなく、クシェルはその場に蹲り続ける。
誰かを待つように塞ぎ込んだ彼女は、背後から忍び寄る邪な影にも気付けぬまま。
◇
クシェルと別れた後、途方もなく彷徨った挙句に俺は宿舎へと戻ってきた。
一人酒場で飲むことも出来たが彼女が消えた途端に他人の声や賑わい、喧騒の全部が煩わしくなった。だから皆が出払った兵舎に一人、焚火を前に酒を仰いでいる。
地下の倉庫に貯蔵されていた酒を持ち出し、肴も無しにひたすら体の中に流し込んだ。
とにかく今は酔いたい気分だった。
今までになく最悪な事態、どうしてこうなったのか……。
別れ際のクシェルの表情、あんな顔は初めて見た。
飲み続ければすぐに酩酊感はやってきたが、思考は鈍感になってはくれなかった。
どうしたって晴れない気持ちをどうにか晴らそうと、さらに酒精を取り込む。
「そうしていると父親そっくりだな」
少し経った頃、何処からかアルガスがやってきた。
「……何しに来た」
「お前こそ、てっきり夜は姫さんとこで過ごすと思っていたが」
「どうしてそんなこと知ってる」
「割と話題だぞ、皆噂話が好きなのさ。それで何だってこんな場所で不貞腐れている。もしかして求められたはいいが、お前の貧相なのじゃ満足させられなかったか」
当たらずとも遠からずの答えを導き出す。
洞察力というべきか、勘のいい男だ。誰かと話したい気分ではないので、適当に答えて早く去ってもらおう。
「不貞腐れてなんてない、ただ一人になりたかっただけだ」
「そうか? 俺には何かあったように見えるが」
「本当さ、イリスとは会ったけれど特に何も無かった」
「なるほど、じゃあ妹と喧嘩でもしたか」
言い当てられたことの驚きで酒を仰ぐ手が止まる。こちらの反応を窺ったアルガスの口角が吊り上がった。
「あんた……クシェルに会ったのか?」
「いいや? 顔にそう書いてある。しかしそうか、あの娘っ子とか」
難しい顔で何度か頷いたアルガスが隣に腰を下ろす。正直一人になりたい俺はアルガスを睨んだが、彼は全く気にせず抱えた酒樽の上部を叩き割った。ここで酒盛りを始める気らしい。
「酒場は人が多くてな、どうも肌に合わない。まあ折角だ、ちょっと付き合えよ」
立ち去ろうという考えを見抜いたのか、行動に移す前にアルガスから酒を注ぎ足される。
「葡萄酒だ、まだ飲めるだろ?」
「……まぁ」
注がれてしまったものは仕方ないので、大人しく留まることにした。
とはいえ会話に華を咲かせるようなことは無く、杯が空になれば注ぎ足し、それを飲み干す動作だけが繰り返される。
俺自身はともかく、アルガスもまた普段とは少し様子が違っていた。
いつもはそれなりに口数の多い男だが、今日に限って彼は一言も言葉を発しなかった。時折何かの話題を切り出そうという素振りはあったが、どうしてか一言目が出て来ない様子だ。
しかしわざわざ人混みから脱した先、大の男が二人で酒盛り……それも話をするでもなくというのは少しばかり面白い光景に思える。
長い沈黙が続いたがいつしか自分から口を開いていた。
酔いの所為なのか、一言発すれば絶えず漏れ出した。
話したのはイリスとのこと、そしてすれ違いの増えたクシェルとの話。今日始まり、今に至るまでを独白するように語った。
一人で抱えるには少し重たく、誰かに聞いて欲しかった。
感情的な内容から半ば愚痴に近い話し方になったが、アルガスは黙って耳を傾けてくれる。
「――――そうか、そんなことが」
話を聞き終えた彼の反応は返すべき言葉を選んでいるように見えた。
「クシェルはまるで分かっちゃいない、俺たちがどれだけ危うい立場に生きているか……」
「全ては妹の為に、か」
「そうだよ、復讐だってそうさ。確かに恨みもある、憎んでもいる。でもそれ以上に俺はただあいつが笑って過ごせる世界にしてやりたい。歳を取って、自由に生きて欲しい。そうすべきで、そうなる筈だった。笑顔の絶えない日々が続いて……守ってやろうって、俺はずっと」
クシェルには未来がある。
いつか結婚して、器量よしの彼女は幸せな家庭を築くのだ。
この先ずっとずっと、今よりもっと幸せであるべき子だ。理不尽に見舞われても誰かを労わるだけの慈愛を持った、幸福を享受するべき存在なのだ。
だから、その為に。
「俺は、どうすればよかった」
「さあな、俺はお前と違って難しく考えたりはしない。いつだって行く先を決めるのは己の信念と、剣の腕だけだ。鬱陶しい柵なんて、後に付いてくるおまけだな」
「何だそれ、そんな適当で良く生きてこられたな」
「それはその先の行動次第だろう。いいかヴォルフ、何が大切か一番を決めておけ。誰と生きるも死ぬも、仇を取るのも、相応しい相手に剣を捧げるのも何だっていい。一つに決めろ、そしてその上で、その為だけに命を使うことだ。この世の誰も、全ては手に入らないぞ」
未だかつて見せていなかった真剣な眼差しを向けられる。
毅然とした声には妙な説得力が宿っていた。
「あんたも、そうか」
「どうだかな」
はっきりとは答えなかったが、彼の濁した態度は寧ろ俺の疑念を裏付けているようだった。
「お前の人生だ、好きに決めればいい。復讐に生きてもいい、残った肉親を守り続けるのもいいだろう。誰と身体を重ねようがお前の選択だ。だが欲すれば何でも叶うわけじゃない。取り溢すものも出てくる。その時、何を手元に残したいかだ。これから得る物では無く今在るものを一つずつ削って考えてみろ、お前が生きていく上で必要な物だけになるまで。そうして残った一つが、お前が命を懸けるべきものだ」
アルガスの言葉は何処までも現実的で、だがそれ故に物事の本質を突いていた。
思案していると夜風が吹き付ける。
祭りの熱気からなのか、やたらと生温い風。
何と無しに城の方向へ視線を移す。妙な感覚が肌に纏わりついた。
「急にどうした、黙りこくって」
上手く形容出来ない違和感にじっと城を見つめていると、その様子に気付いたアルガスが眉を顰める。
「いや、何か変な感じが……」
胸騒ぎを覚え、立ち上がった瞬間だった。
「――――――きゃあああああああっ!!」
何者かの絶叫が城内に反響する。
声と判別するのも怪しい叫びには、恐怖だけが込められていた。
一瞬にしてあらゆる想定が脳内に浮かび上がる。皆が出払った城内、喧騒から離れた場所に在る、自分たち以外の存在――――――クシェルか。
「っっ!」
今の声は城の中から発せられたものだ。
合図も無く飛び出した俺の背にアルガスが後続する。
クシェルの悲鳴があの日の惨劇を想起させる。
どうにか間に合ってくれと祈り駆けた。
不自然なほど人気のない城内。それもそのはず、残っていた衛兵は皆、無惨にも殺されて城内の至る所に転がっていた。さらには混乱のためか各所から火の手まで上がっている。
明らかに準備された事態……闇雲に城内を駆け回ることはせずに俺は城内にある庭園を目指す。
明確な理由があったわけでは無いが、直感がクシェルの在り処を示した。
庭園の中心には背の高い男が立っている。
一時も忘れはしなかった仇敵。
鎧は着ていないが腰に挿したあの剣、見間違う訳もない。
氾濫した憎悪に全身の血が急騰する。
「ヴァルリスッッッッ!」
「久しいな、ラグナルの倅。随分と成長したようだ」
名を呼ばれたヴァルリスは振り返ると、自身の脇に抱えたクシェルを見せつけた。
先の悲鳴はやはり彼女の物だったか。閉じた瞼は赤く腫れ、涙の痕をくっきりと残している。
確信は無かったがやはり狙いはクシェルなのか。
ヴァルリスに捕まったクシェルは抵抗もなく項垂れている。
外傷は無い、抵抗せぬように気絶させられたか。どうにか取り返したいが迂闊に仕掛ければ彼女を巻き込んでしまう。
「悪いがここで相手はしてやれん、このまま娘は貰っていく」
ヴァルリスはアルガスの姿を確認したからか、交戦する気はないようだった。帯刀した剣の鞘で奴が地面を叩くと、背後から大きな影が飛び出した。
……茂みに馬を隠していたのか。
クシェルの悲鳴からここに駆け付けるまで十分な猶予があった。それにも関わらず、不要にも俺の前に姿を見せたのは逃げる算段があってこそ。
「追えるものなら追って来るといい」
鞍に跨ったヴァルリスが挑発的に微笑んだ。身を翻した奴はクシェルを抱えたまま馬を走らせると炎の壁を越えた。このまま街の外に連れ去るつもりなのか。
「待ちやがれ!」
「止せヴォルフ! 迂闊に飛び出すな!」
静止も聞かずに飛び出した直後、視界の端で何らかの光が反射した。
本能で危機を察し、飛び退くが間に合わず左肩を射抜かれる。
ヴァルリスにばかり気を取られ、庭園に潜んだ弓兵に気が付かなかった。アルガスは続けざまに飛来した矢を弾き落とすと、俺の胸倉を掴んで喝を入れた。
「焦る気持ちも解るが、目の前の敵に集中しろ! 大勢いるぞ!」
「ああ……」
刺さった矢を引き抜き、地面に捨てる。
何回か腕を回して怪我の影響を見極める。動作に支障はなく、怒りからか痛みも振り切っていた。
あっと言う間に完全武装した数十人の敵が俺たちを阻むように立ち塞がる。
一体今まで何処に潜んでいた――――――まさか、難民に紛れて街に侵入したのか。だとすれば周辺の村々を襲い続けた謎も解ける。
敵たちは懐から瓶を叩き割り何らかの液体をぶち撒けた。
液体は僅かな火の粉を猛火へと変貌させると、敵味方を問わず炎の壁に閉じ込める。
どういった仕組か、尋常ではない炎の勢い。とても生身で越えられそうにない。どうあっても先へは行かせたくないらしい。
徒手であったためアルガスから短剣を受け取る。
「どいつもこいつも、ふざけやがって……」
俺たちを炎で閉じ込め退路を断ったつもりだろうが、それはこちらも同じこと。
誰一人とて生かして帰しはしない……。
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