第20話 繋ぎ、縒り合う心


 豊穣祭当日の正午前、街唯一の鐘塔の下でクシェルを待つ。

 待ち合わせに設定した鐘塔付近は露店の出る大通りの入り口とあって、人で溢れ返っている。

 多少の予想はしていたけれど、想像を超える人の多さだ。

 兵舎前で集まって一緒に出る選択もあったが、クシェルは現地集合を希望した。

 なんでも案の定多くの兵士から誘いを受けたらしく……断った手前、出掛ける姿を見せにくいとのこと。

 とはいえ何という賑わいだろうか。

 祭りの始まりは正午からというのに、すでにかなりの盛況を見せている。人々の声と歩みだけで、臓腑が揺さぶられるようだ。

 百や二百ではきかない、およそ街に居る人間の大部分が通りに集結していた。

 一所にこれだけの人間が暮らすというのは、凄まじいことなのだと改めて感心する。


 周囲に目を配れど、肝心のクシェルの姿は無い。

 代わりに目に入るのは初々しい雰囲気の二人組や好一対という様子の若い夫婦だ。

 クシェルから聞いたのだが、ここ鐘塔は街で最も高い建物ということもあって普段から男女の逢瀬には定番の場所なのだとか。皆色気づいた表情で語り合うものだから、男一人だけでは少々肩身が狭い。

 いい加減に居心地の悪さを感じていた頃合いでクシェルは現れる。


「兄さーん、ここですよー!」


 喧騒飛び交う空間で、はっきりと届くクシェルからの呼び声。

 両手を一杯に振り笑顔を咲かせる彼女の白い輪郭は数多の色が混ざり、重なり合った風景にも溶け込まずに存在を主張している。混雑した群衆の中でも彼女は特に独立した存在だった。


「お待たせしました」


 クシェルは紺色のガウンを着付けていた。

 袖口と襟元、裾には花弁を模した装飾が鋸歯状についている。

 可憐だが、いつにも増して伸びた手足に相まって上品さも感じられた。

 長い髪は三つ編みに纏まり、髪を結うのはシルクリボンに羽根をあしらった一品。


「どうかしましたか?」


 服装からか普段とはまた違った雰囲気を纏うクシェルを前にして、思わず息を呑んだ。

 クシェルはごく自然な体運びで、均整の取れた顔を容赦なく近づけてくる。

 紅潮して発した体熱が空気を介して肌に伝りそうだ。どうしてか普段と異なる距離感に戸惑う……いや、目線が高いのか。


「あ、もしや気付きましたか」観察するような視線を受け、クシェルは足元を指差した。彼女が履いた靴は一風変わった見た目で縫い目が無く、また踵部分のみが厚く作られていた。従ってクシェルはやや背伸びをした態勢になり、それでいつもより目線が高くなっているのだった。


「最近はこういうのが流行なんですよ」


 たまのお洒落をしたからか、クシェルはいたく上機嫌だった。

 彼女は俺と似て大概物欲の少ない人間なのだが、今回に限っては相当奮発した様子。自分も何か出先用の私服を準備しておけばよかったと後悔する。

 そうした心境を見抜いたのか、クシェルから助け舟が出された。


「兄さんは何を着ても格好いいですよ」


「そ、そうか」今の俺の服装といえば、亜麻布のシャツ一枚に、緩めのタイツの組み合わせ。


 基本的にこれが普段着で、というかウァルウィリスから無償で支給される衣服だった。よくよく観察すれば、解れや灰でくすんだ汚れが目立つ。よほど酷く破れた場合でなければ交換することもしない、身なりへの関心の薄さが顕著に表れていた。


「……そうか?」


 クシェルの気遣いは嬉しいが、自分から見ても締まりの無い服装につい首を傾けてしまう。だが彼女は本心による言葉なのか、全く問題ないという素振りで首肯した。まあ、彼女が気にしないのなら無駄に頭を悩ます必要もないが。


「それじゃ、行きましょう」


 高揚したクシェルが一歩前で手招きをする。

 開いた手を取ろうと腕を伸ばしたが、触れる直前で逃げられる。彼女の身軽なステップで敷き詰まった石畳は陽気に歌った。いつの間にか更に増した人混み……傍に居ないとはぐれてしまうな。

 誘うクシェルの腕を捕まえて、俺たちは大通りの喧騒の中に飛び込んだ。

 図ったかのタイミングで鐘塔の鐘が打ち鳴らされる。

 豊穣祭の開催を報せる鐘の音だった。


 四年に一度の大祭とあり、とにかく様々な種類の出し物があった。

 例えばそれは手作りの装飾品や大陸各部の民族衣装を取り扱った店や、濁りの極端に少ない透明なガラス細工、連日の戦で回収された敵軍の剣や盾、弓という戦利品の各種まで出展されていた。

 戦利品の扱いに関しては原則接収される取り決めだがどうあって一般人の手に流れたのか……一先ずは見逃すが後で報告だけはしておこう。

 数ある露店の内、最も関心を引いたのは各地を回る見世物小屋の主人が連れてきた動物たち。

 熊と見紛う巨大な猫に人間と変わらぬ大きさの蜥蜴、鎧を着込んだような謎の生物が檻の中で暴れていた。

 大陸の方々から集めたらしい彼らは珍妙な見た目をしたものばかり。

 動物の首にはそれぞれ値札が括り付けてあり、買い取ることも出来るようだった。

 どの程度かと目を凝らすと、想像を超える額面に顎が外れそうになる。とても庶民の手が出せる金額では無い。誰が買うんだあんなの。

 何処に寄るでもなく通りに沿って店を巡ったがいくらかも経たぬ内、通りに漂う香ばしい煙に食欲をそそられる。


「何か食べるか?」訊ねると、同じく腹を空かしていたクシェルもお腹を抑えながら頷く。


 すぐ目に入った露店で俺は香辛料で辛みを付けた鳥の串焼き、クシェルはその隣の店で数種の果物をふんだんに使ったパイを購入する。クシェルは代金を自分で払おうとしたが、手で制して代わりに会計を済ますと嬉しくもやや歯痒そうに商品を受け取った。

 落ち着いて腰を下ろせる場所があれば良かったが、通りを抜けるまではそれも難しそうなので食べ歩くことになる。


「さ、食べてしまおう」


 早速口にすると肉厚だがしっとりした食感、辛みが鼻を衝く。中々強烈な味だ、悪くはない。

 横に並ぶクシェルは食べながら歩くことに若干の抵抗がある様子だったが、関係無しに料理を頬張る俺を見て諦めがついたのかやがて渋々と食べ始める。好みの味だったか表情は蕾が開くように綻んだ。……少し大きくなっても、笑顔だけは小さい頃から変わらないな。


 そんな思いを馳せていると、クシェルがパイを俺の口元まで持ってくる。食べろ、ということだろうか。

 無言で差し出されたパイを一口齧ると、芳醇な果物の甘味が生地から滲み出す。美味しいことは美味しいが、歯が浮くように甘い……甘すぎた。


「俺のも食べてみろよ、美味いぞ」ちょっとした仕返しに自分のを食べさせてやった。辛い物が苦手な彼女は遠慮したが、あれこれと理由を付けて口に運ばせる。案の定、一噛みするや否やでクシェルは口を押さえて悶え始めた。

 その姿に堪らず笑ってしまうと、涙目で抗議するクシェルから肘打ちが入る。割と痛い。


「私、意地悪な兄さん嫌い……」


「ごめんごめん、つい」


「もう、いつもそんなことばっかり言って。次は本当に許しませんからね」


 頬を膨らますクシェルだが、本気で怒っている様子ではなかった。こうしたやり取り、なんだか懐かしい感じがした。


 人の流れに乗って通りを進んだ先、広場へと到着した。

 広場には露店が無い代わりに楽器隊の演奏や、音楽に合わせた踊りが披露されていた。

 踊り子を務める女性の一部はやたらと露出の多い衣装を纏っており、本能からか広場にやってきた男性を例外なく釘付けにしている。見栄えを良くするためにと植物油を塗った肌……特に乳房や大腿部が妖しく光っていた。


「兄さんはああいうのが好みなんですねー」


 生々しく且つ煽情的な意匠に関心を寄せる最中、クシェルから鋭い視線を向けられる。

 無機質な表情、平坦な声音で紡がれた言葉は身震いするほどに冷めている。

 同様の態度をいつか見た覚えがあるな。あれは確か、父が野卑な会話をした時だった。

 クシェルの圧力に負け、慌ててなるべく露出の少ない踊り子へ視線を移したところ、幾つか男女組の舞踏を発見する。踊りと呼ぶには余りにも雑味の多い動き……明らかに素人のものだった。しばし観察していると、見学者の多くが踊り手として参入していることに気付く。


「折角だから俺たちも踊ろうか?」


「え? でも私上手くする自信が無いです」


「奇遇だな、俺もだよ」


 形だけの抵抗などお構いなしに、俺は彼女を舞台まで引き摺り込んだ。

 ちなみに自分は催事で要人をエスコートする機会もあったので、実は多少嗜んでいたりする。

 クシェルはリズムに合わせてステップを踏むことに難儀していたが、長い手足のおかげかぎこちない動作も様になって見える。それどころか数分でコツを掴んだクシェルはすぐにそれなりの動きが出来るようになっていった。


「なんだ、上手いじゃないか。やるなクシェル」素直に感心すると彼女は得意げに鼻を鳴らす。


「兄さんが下手っぴなんです」


「ははは、言うなあ」


 ふと余所見をすると周りで踊っていた数組の動きが止まっていた。

 まだ演奏は続いているというのに、踊りを中断した彼らの視線は何故か俺たち……いやクシェルに注がれているようだった。

 白光を宿して舞う彼女が、周囲の関心の全てを攫っている。


 ……辺り一帯に集まった女性と比べても、やはりクシェルは別格の存在なようだ。

 身内贔屓もあるが、彼女はただの街娘にしては美し過ぎた。踊りを見学する人の中には男女と問わずクシェルに恍惚の眼差しを向ける者さえいる程。

 クシェルの表情が、靡く白髪が、手足や指や澄み切った翡翠の瞳から生まれる所作が、誰の心も掴んで逃がさない。圧倒的な求心力が、広場の全てを巻き込んでいく。

 もう数年経てば誰もが足を止め振り返る程の女性となる、その確信に足るだけの片鱗をすでに見せていた。

 今の彼女を父上と母上が見たら、さぞ喜んだだろう。


 踊りを終えた後も俺たちは日が暮れるまで色々な場所を回った。

 時には祭りと関係ない、例えば監視塔の上に登って街を一望してみたり。失った何かを取り戻すように時間の許す限りを互いに費やした。

 絶えないクシェルの笑顔を見て昔に戻ったかに錯覚する。

 様々な事が変わっていったが、クシェルだけはずっとあの頃の、村で過ごした頃のままなのだ。いつか想像した未来の一部がすぐ隣に寄り添ってくれている。

 半日を掛けて街を一周すると、最後の最後に異国の装飾品を取り扱う旅商人に巡り合った。

 旅商人の荷台には宝石をふんだんに嵌め込んだ絢爛な腕輪や指輪、精巧な首飾りが商品として陳列されている。

 どれも見た目通り値が張る一品だった。

 数多ある装飾品の中、クシェルは簪と呼ばれる髪飾りを気に入ったらしく、食い入るようにじぃっと見つめ続けている。


「着けてみたらどうだ」と提案するが、何を遠慮するのか彼女は首を横に振って断る。どうやら値段を気にしている様子だ。俺はこっそり持ち合わせを確認してから代金を払い、簪をクシェルの三つ編みの根元に挿してやった。

 彼女は初め戸惑った表情で返品しようとしたが、やがて何かを押し込むように胸に手を当てる。


「あの、兄さん。私……一生大切にしますから」


 夕陽が朱に染める黄昏の空。

 微笑むクシェルの美しい輪郭は金色に映えていた。

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