第19話 誘い


 また少しの日々が過ぎた。

 あの日のしこりのを残したまま、クシェルと顔を合わせる機会は減っていった。

 彼女は負傷兵の介護からクウェンに受け入れた難民への食事や諸々の補助。俺は懸念していた難民とクウェン在住者との衝突を防ぐべく奔走したりと、互いに暇が有るわけでもない。


 しばらく続いたアミュガットとの戦は痛み分けという形で決着したが、領内での放火事件は未だ繰り返されており都度対応に追われているのが現状。こちらは変わらず進展が無かったが、焦燥と憎悪ばかり膨れ上がっていく。同時により鮮明になるあの男……ヴァルリスの存在。


 稀に都合の合う時でも、無理に時間を合わせてクシェルと会うまではしなかった。

 実際は何度か時間を作ろうと試みたこともあったけれど、そういう時に限ってイリスから声が掛かるのだ。

 どうにもすれ違う感じがある、何か上手い取っ掛かりがあるといいが。


 領内の治安はウァルウィリスの施策の効果か、今のところ一定に保たれていた。

 ここはおそらく彼の領主としての器量、人望のお陰だろうか。

 とはいってもやはりちょっとした小競り合いは起きるもので、その火消しに回るのは任された俺の役割だったりするのだが……。


「――――ヴォルフさん! 酒場でまた揉め事が!」


 昼下がり、兵舎で小休憩を取っていると見知った兵が駆け込んできた。


「またか……」おちおち昼飯も取ってられない状況が続いている。重たい腰を上げて現場へと急行すると、まだ日中だというのに酔いの回った中年二人が、酒瓶を振りかざして縺れ合っている最中だった。


「この穀潰し共っ……昼間っから酒盛りかよ! 誰のおかげで飢えずにいると思ってやがる!」


「うるせえな! 家も仕事もあるてめえらに何が解るってんだ!」


 放っておくと流血沙汰になりかねないので、間に入って無理矢理引き剝がした。


「二人共そこまでだ、怪我しない内に物騒なものは置け」


「ああっ!? なんだお前は」男は怒りの矛先をこちらにも向けようと声を荒げたが、腰に携えた剣をちらつかせると青ざめた様子で冷静さを取り戻す。話を聞けば片方は被害に遭った難民の一人で、もう片方は近郊で農業を営むクウェンの住民であった。

 どうにも生活保護を受けている難民が酒場に居るのが気に食わない様子だ。


「難民の受け入れを決めたのは領主だ。彼らの衣食住は保障されている。不自由が無いようにと、最低限の銀も与えているが、いずれも城の備蓄と金庫からだ。目につくかもしれないがあんたが噛み付く話でもないだろう」


「それだって俺たちが必死こいて納めた税からだろうがっ」


「この人たちだって懸命に税を納めてきた。仕事を失ったのは不運からで落ち度は無い。これまで尽くしてくれていたなら、多少の施しは許されていいだろう。それとも、あんたらはこの人たちに黙って野垂れ死ねとでもいうのか」


「そうは言わねえけどよ、態度ってもんが……」


「あんたは今日まで、この街で豊かな生活を与えて貰っただろう。ほんの少しでいいんだ、彼らにもその豊かさを恵んでやってはくれないか。頼むからさ」


「……ちっ」


「皆辛い時期なんだ、堪えてくれよ」


 分かっていた話だが、やはり住民からの不満が目立ってきたな。

 幸い大事にはなっていないが、それも時間の問題か。都度呼び出されては、こちらも気の休まる時が無い。こうも追い詰められるのは、あの森での逃亡生活以来だ。

 ……とかく為すべきことが多すぎた。

 いざ眠ろうと床に就くも招集され、深夜に馬を奔らせることも少なくなかった。

 そうした突発の出動にも、クシェルはこっそりと陰から見送りに来ているようだった。

 俺が戦いに赴くのをやはり嫌がっているのだろう。

 彼女はヴァルリスのことを伝えた際、いい顔はしなかった。

 仇討ちを望んでないわけでは無いだろうが、それよりも俺の身を強く案じているのだ。

 だが、だからといってもう立ち止まれはしない。

 渇望を満たすべく、ひたすらに戦禍を追った。

 必ずこの手で奴を殺してやる、頭の中はそのことで一杯だった。


 ◇


「――――豊穣祭、ですか?」


 そんな生活がしばらく続いたある日、ウァルウィリスから呼び出しが入った。

 内容は何やら領内での伝統行事である、豊穣祭なるものについての事。


「ああ、お前は初めてであったか。四年に一度、我が領内にて催される祭事でな、その呼び名の通り豊作や自然に感謝を表すものだ。通例では初秋に行われるのだが、特例で時期を早めることにした」


 いくら俺たちが治安維持に努めようと限界はある。

 結局は対処療法に過ぎず、諍いの火種はそこいらに燻っていた。

 そこで住民らの不満解消として持ち上がったのが、秋に待つ豊穣祭というわけか。

 とはいえ、一体何をする祭りなのか。感謝を表すと言うが果たしてそれが不満解消に繋がるのか予想がつかなかった。寂しい話だがこの十八年、祭事というものに所縁が無いのだ。

 いまいち釈然としていない俺に、例のごとく同伴していたアルガスが補足する。


「まあ感謝だ何だと謳ってはいるがな、豊穣祭など名ばかりさ。街中に露店は出るし、大抵の奴は仕事も休みだ。昼から酒も飲めるんだぞ、ありがたいことにな」


「あんたは普段から飲んでいるだろ」


「くく、違いない」


 しかし、祭りの日は休みになるのか。これは良い事を聞いた。

 正直な話、そろそろ心身が悲鳴を上げてくるところだったのだ。たった二日とはいえ、完全な休日など何ヶ月振りか。今からどう過ごそうかと、心が浮足立つ。


「お前たちもここまで働き詰めだろう。束の間かもしれぬが久し振りの暇だ。普段過ごせぬ分を誰かと露店を回るのもよい、羽を伸ばして楽しむといい」


「そうさせてもらいます」


「開催は一週間後だ。さあ、明日から準備が忙しくなるぞ」


 今回の豊穣祭、どうやら俺たちへウァルウィリスなりの労いも兼ねているようだ。

 この好機、利用しない手は無いな。声を掛ける相手はもちろん決まっている。

 そうして俺はクシェルを誘うべく動き出した。

 クシェルはとりわけ若い兵士たち人気がある。普段は誰の誘いも受け付けてない彼女でも祭りがあると皆が知れば、この機に乗じて声が掛かるに違いなかった。早めに済まさねば。

 同じ城内で働いているのだから、すぐに見つかるはず。そう思って城中を回ったのだが、どういうわけか、一向に彼女は捕まらなかった。


「なあ、この辺りにクシェルを見掛けなかったか?」


 近くで通路の掃き掃除をしていた家政婦に訊ねる。


「いえ……つい今しがたまで掃除を担当していたのですけど、何処に行ったのでしょうか」


 どうしたことか、同僚ですらクシェル行方に首を傾げていた。

 もしや俺が避けられるのか?

 どう捕まえようかと模索して歩き回っていると、背後から妙な気配を察知する。

 咄嗟に振り返れば、慌てた様子で遠ざかるクシェルの背中があった。

 遠目から俺の姿を確認し、すぐに踵を返したようだ。逃げられるまで理由が思い当たらないが……前回の別れ際が微妙な状況だったからな、会いにくいのかと考えた。

 しかしいつまでも逃がすわけにもいかないのでクシェルの行先を予測して先回りする。しばらく待ち構えていると油断しきったクシェルが角から曲がってきた、今度は逃がすまい。

 目が合うとクシェルは「しまった」という顔を作ったが、やがて観念したのか俯きながら向かってきた。合わせて近づくとどちらかが促すでも無く、あと半歩の距離で足が止まる。


「「あの」」


 意図せず互いの言葉が重なった。


「あ、悪い……何か言おうとしたよな」どうにもやりにくさを覚え、話題をクシェルに譲ったが、「兄さんからで大丈夫ですから」と彼女は彼女で先に話そうとはしない。


「そ……そっか、じゃあ」


 意気揚々と出向いたはずが、本人を前にすると緊張が勝っていた。

 実の妹に何を怯むことがあるのかと、一呼吸置いてから落ち着いた声で切り出す。


「来週の話なんだけど、豊穣祭ってのがあるんだ」


「はい」


「その、何だっけな。何かこう、街をあげての祝い事みたいなのらしいんだけど、話じゃ色んな店が出るらしくて。で、俺も休みを貰えることになってて、多分、クシェルもそうなじゃないかと思って、な」


「それでクシェルが良かったら、一緒に街に出て店を回ろうかと。一人で出歩くのも寂しい感じがするだろ。だから……何というか、その誘いに来たんだ」


「それは、私と回りたいってことですか」


「平たく言えば、そうなるな」


「ふうん」唇に指を当て、クシェルは思案する素振りを見せた。


 こういう場合、いつもなら即答するはずが今日に限って返事が遅い。

 まさかとは思う既に誰かから話を貰っているのか。いやでも、知らない様子だったし……。


「どうかな?」


 確認を取るも、彼女は黙ったまま悪戯っぽい表情で意味ありげに微笑むだけ。

 堪らず再度返答を促せば、ようやく彼女が口を開いた。


「まあ、折角の兄さんからのお誘いですからね」


 距離を取ったクシェルが舞うように身を翻す。

 ふわりと浮いたスカートの裾を掴み、優雅に一礼した彼女はこう答える。


「慎んで、お受けいたします」と。

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