第17話 三年後、歳月を追って
クウェンの街から南西、馬で二日ほどの場所。
この辺りには村落や農地は無く、まっさらな平原のみが延々と広がっている。
広大な平原はクウェンと隣り合う領地を隔てた、いわば支配者の居ない無主地だ。
平時には双方の衝突や要らぬ軋轢を生まない為、一帯は不可侵領域として設定されている。
今現在、その平原は犇めく兵士の熱気に満ちていた。
クウェンと、近年勢いを増す隣の領地……アミュガットから進軍した二つの軍勢が雌雄を決さんと睨み合っているのだ。
地平一帯を埋め尽くす軍勢だが、対立する兵力には差がみられる。二百の兵で陣形を組むクウェンに対するアミュガットの軍勢は、目測にして三倍近くあった……しかし此度の戦場は遮蔽物の無い平原。撤退の余地が許されぬ以上、クウェンは敵軍を正面から迎え撃つ他にない。
連日の戦での損耗が激しく、クウェン側の投入できる兵は全体の三割にも満たなかった。
そんな不利な戦況にも関わらず武器を構える自軍の兵士の士気は一様に高い。その理由は考えるまでも無く、指揮を取るのが『あの男』だからだ。
将軍として味方を率いるはクウェン最強の騎士アルガス。彼は他国にまでその勇名を馳せる戦士だった。
剣をかざしたアルガスによって戦いの火蓋が切られる。
雄叫びと共に、両軍がいよいよ激突した。
鉄が激しく打ち合い、天を穿つほどの轟音が大地を揺らす。
人数差から不利と思われた戦だが、練度はこちらが勝るのか一進一退の攻防となった。
しかし衝突から間も無く、拮抗していたかに見えた戦局が揺らぎ始める。
見れば最前列の味方が敵軍の作った何百もの盾の壁に圧され、じわじわと後退を迫られていた。クウェン軍の前衛は奮闘している方だが、やはり数の暴力には抗えないか。
その中でただ一人、アルガスのみが圧倒的物量をものともせず、幾重にも重なった盾の壁を単身で突破していた。
並みの兵士と比較して遥かに巨大なその四肢は、しかしその巨体からは想像出来ぬ敏捷さをみせた。
淀みない太刀筋。
流水の如く滑らかな体捌きにて発揮される剣術は、ある種の芸術性すら秘めていた。
誰も、彼を止められない。
彼の剣が軌跡を描く度に舞い散る鮮血すら、場を魅せる色彩の一つのよう。
そして後方、アルガスの最も近くで剣を振るうのは――――。
「くそっ! キリがないぞ!」
――――誰に聞かせるでもなく叫ぶ。
向かってくる敵を何人切ろうが、敵軍の攻勢は緩まない。逆に仇討ちの為、義憤に駆られた敵兵の勢いは増すようだった。
アルガスが切り開いた敵軍の懐へ構わず飛び込んだが、相手からすれば恰好の的だ。
容赦ない攻撃が絶えず襲ってくる。事切れ、自分へと倒れ込んだ相手を蹴り飛ばして次の獲物に切っ先を向けた。刀身は既に固着し始めた血と脂によって輝きを失っている。
「こんなんじゃすぐ鈍らになっちまう……!」
「ヴォルフ! 無駄口叩いてないで蹴散らせ!」
「言われなくてもやってる!」
頭上より飛来する矢を剣で弾き落とす。戦場を飛び交う槍や弓矢……敵味方の区別は既に失っていた。敵軍から闇雲に放たれるそれらを注意深く躱し続け、同時に全周の敵への対応も暇がない。
「何だ、もう息が切れたのか!」
敵兵の身体は鎖帷子に守られている。生身の人間を切るのとは都合が違っていた。なるべく露わになった関節や鎧の隙間を狙ってはいるが、混乱した戦場ではそう上手く運ばぬもの。敵兵を鎖帷子ごと切る度、尋常ではない負荷が疲労となって蓄積した。
「はっ、まだまだこれからっ」
荒れる呼吸を無視して、すっかり膨張した筋肉に力を込める。
鍔迫り合いを仕掛けてきた相手を剣の柄で殴り、意識を刈り取った。
「おいヴォルフ! まだいるぞ!」
「うおっ」突如、アルガスによって首根っこを掴まれ、後ろに引っ張られる。
俺が切った相手を障害物として、別の敵兵が味方もろとも槍を突いてきたのだった。恐らくはまだ息のあった味方を犠牲にした不可視の一撃。危うく致命傷を負うところだが、アルガスの援護によって槍の矛先は眼球と皮一枚の所で止まった。尻餅をついた俺をアルガスが引っ張り起こす。
「まったく……危なっかしいな。常々言っているだろう、よく周りを――――――」
刹那、得意げなアルガスの隙を突いて敵が挟撃を仕掛けた。
俺はすかさず割って入り、片方を足払いにて態勢を崩すと、もう片方の攻撃はいなして同士討ちさせる。力無く倒れた敵兵を、アルガスが渋い顔で見下ろしていた。
「――――周りを見ろ、だろ? 確かにあんたの言う通りだな」
今度ばかりはしてやったりと俺は微笑混じりに鼻を鳴らす。アルガスは忌々しく唾を吐いた。
「相変わらず生意気な小僧だな」
……奮戦の甲斐あってか、戦況はややこちらに傾いていた。
開戦から二十分は経過したか、敵も味方も消耗が目立ってくる。人間、どれだけ鍛錬を積もうが本気で動ける時間は長くない。このまま長引けば戦況の泥沼化は必至。勝負を賭けるならこの辺りだろう。
「おい、お前ら!」そう考えていた矢先、騎士から号令が飛んだ。
「もう一息だ! このまま押し切るぞ!」
「「おおっっ」」
鼓舞された兵士たちが傷も厭わずに猛進する。どうやらアルガスも考えることは同じか。
「この蛮族どもが! 叩き切ってくれる!」
「……!」
脇目も振らず突撃してきた兵士からの豪快な一撃。
相討ち覚悟か、攻撃に余念が無い。必要を逸脱した動きは隙だらけだ。
身を捻って躱し、脛、膝上を蹴って転がしてから相手の心臓を突き刺した。
これで自分を囲んでいた敵兵は一先ず片付いたか。アルガスの状況はどうかと視線を流せば、彼も丁度、相手を倒したところだった。俺ほどではないが、アルガスにも疲労の色が出始めている。目を通して、互いの余力を確認した。
「俺たちで敵将を討つ」
そのようにアルガスの瞳は問い掛けていた。視線を合わせたまま相槌を打つ。わざわざ声に出して確認はしない。
言葉など無くともはっきりと聞こえていた。
呼吸を整え、アルガスの隣に並び立つ。何十の隊列の先、堅牢に守護された陣形の中心に敵将を捉える。今からあそこに突っ込むのか……。
改めて正気ではないな、と俯瞰する。
しかし戦場の熱に当てられたか、どうやらやる気らしい自分が居るのだった。
◇
戦に勝利した俺たちを迎えたのは、耳を塞ぐほどの賞賛であった。
伝令にて先の戦の結果を知った領民らは、勇猛な兵士の帰還を迎えるべく門の前で列をなしていた。見事勝利を得た将軍と、領地の為に血を流した同胞への労いと賛美が飛び交う。
「英雄たちの凱旋だ!」門をくぐった矢先、何者かが声高に叫んだ。
確認すれば、祝勝に押し寄せた人垣の最前列より手を振る少年のものだった。
あの少年もいつか、同じように剣を振るう日が来るのだろうな。興奮した少年に手を振り返すと彼は一層目を煌かせて喜んだ。
その内に幾人かの領民が列を無視して進行を阻む。
集まった人の多くは、出征した兵士の面識がある者だった。
兵士それぞれに生活があり帰りを待つ人がいる。それは恋人や友人、または両親や兄弟姉妹であり……皆、大切に思うそれらを守るべく戦っていた。
無事に帰ったことを安堵し、歓喜のあまりか人目も憚らず抱擁や接吻が行われる。
微笑ましい光景ではあったが、その一方で悲劇に見舞われる人がいることも知っていた。
「リッチェルッ……リッチェルを見掛けませんでしたか?」
女性が呼ぶ兵士は、此度の戦いで命を散らした犠牲者の一人だった。
どうにか持ち帰った遺体を見せると、女性は膝を崩して泣き叫んだ。その光景を見た別の兵士がぼそりと言う。
「可哀想になあ。あいつ、一緒になるって喜んでいたのに」……女性と亡くなった兵士は、将来を誓った間柄であったという。
先の戦、アルガスと共に大将首を討ち取りはしたが、そう簡単には戦いは終息しなかったのだ。
敵軍は徹底抗戦を求めたが、指揮官を殺され、統制を失った軍に勝ち目はない。彼我の戦力差が逆転した頃にはアミュガットは後退の素振りをみせたが、最後には殲滅戦となった。
敵軍は壊滅、対してこちらの被害は至って軽微なもので、負傷者こそ多いが実際の死者は五十余りに留まった。結果を見れば大勝の戦だが、その全貌に迫れば華々しいだけでは到底無いのもまた、紛れもない事実だった。
歓喜に震える群衆の中、涙で袖を濡らす人もいる。死後二日……腐敗の始まった屍へ泣き縋る姿に、どうしようもなく重たい何かが圧し掛かってきた。
やりきれない想いを引き摺って歩く。
あまり見るものでもないだろうし、この場に居ては自分自身すら囚われてしまう気がしたのだ。そして何よりも、俺には直ぐにでも寄るべき場所があった。
向かった先は城と隣接する兵舎だ。
兵役に就いて間も無く、生活の為の部屋は兵舎に移された。
細長い石造りの兵舎は一棟につき十五人が住んでおり、それが十数区画も連結して出来ている。
俺のように妻子または持ち家の無い兵士は皆、この兵舎で寝食を繰り返すのだ。ちなみに兵舎の近くには侍従の宿舎もあって、クシェルはそこで暮らしている。
数百もの兵士が寝食を共にする兵舎は現在、負傷兵で溢れかえっていた。
連日に及ぶ戦で傷病者は増加し、治療用のベッドはすでに満床状態。比較的、怪我の軽微な負傷兵には兵舎の目の前に仮設テントを設置して、固い地面に麻布を敷いて対応していた。伴って治療を施す医者も不足しており、本当に重篤な患者を除く……例えば骨折や止血の済んだ創傷などは負傷者自らで処置せねばならなかった。
「……ぁあああああああああっっ――――――!!」
テントの一画から、悲鳴に似た叫び声が響いた。声が止むと同時に、片足を失った男が顔を出す。男は警戒しているのか、慎重に周囲に目を配ると近くに立て掛けてあった剣を引き抜き、あろうことか振り回し始める。顔は痩せこけ、真っ黒な隈で囲われた眼球が血走っていた。
「おい! あいつ、また暴れているぞ!」異変に気付いた兵士の一人が、暴れる男を抑え込んだ。やっと落ち着きを取り戻した男はそのまま意識を手放すように眠りにつく。「こいつ、もう三日も寝ていなかったんだ」と兵士が言った。怪我を負い戦場から離れたものの、夜眠ることが出来なくなったのだという。先程の……嗜癖症状というのか、戦場帰りの兵士にはままあることだと教わった。
「――――――兄さん!」
俺を呼んだのは、騒ぎを聞き駆けつけたクシェルだった。
目尻に涙をこさえた彼女は手に持っていた荷物を地面に落として抱き着いてきた。以前は胸元にも届かなかった頭が、今や顎の下まできている。鎖骨に掛かる息がこそばゆい。
……三年もの歳月を経て、十三歳となったクシェルは大きく成長していた。
少女から淑女の狭間、日ごとに実る彼女はひどく曖昧な境界に在る。
あどけなさを残す輪郭に確かに息づく肢体。
艶のある髪がなびけば誰しもがその流麗さに息を呑む。
そして同時にどこか幼く細いうなじに困惑した。大人と子供、本来は混ざらないそれらの要素が精神と肉体に共存している。
赤みのある肌に、すらりと伸びた手足。
程よく肉付いた長い指は得も言われぬ艶めかしさを醸しだす。
整った薄紅の爪は絹糸を編んだかに白い、滑らかな質感を持つ肌に映えた。
加えて成熟を待つばかりの色香と、穢れを寄せ付けぬ純潔がクシェルの魅力をまた一段と引き上げている。それでいて、溢れる魅力を振り撒かない奥ゆかしさをも持ち合わせるのが彼女だった。
絶世の体貌に、本当に同じ血が通っているのかと疑いたくなる。
最近では若い兵士から食事に誘われることも少なくないとも聞くが、あと二年もすれば結婚という話も身近なものとなる。そこのところ本人はどう考えているのだろう。
「ずっと、心配していました」
疲れからか、クシェルの声は少し掠れていた。
「先に伝令が来ていたろ、勝ったよ」
「はい、本日戻られることは聞き及んでいました。本当なら一番に出迎えたかったのですが……最近は上手く都合がつけられなくて」
クシェルは直前まで、俺の出征を案じてくれていた。
せめて出迎えくらいはと家政婦長に申し出たようだが、相手にもされなかったのだとクシェルは向かっ腹を立てている。
「私ずぅーっと働き詰めなのに、少しの暇も貰えません」
抱擁を解いたクシェルが珍しく愚痴を言う。
本来であれば家政婦としての役割は城内の炊事や清掃の雑務に当たる。だが今現在、クシェルを含む家政婦の大多数が負傷兵の治療や看護に駆り出されている状況。中でもクシェルはとりわけ優秀だそうで、領主のウァルウィリス自らが負傷兵の手当をと要請に来るほどだった。
「ごめんなさい兄さん。我儘を言ってしまいましたね」
「構わないよ、クシェルのお陰で安心して戦えるんだから」
優秀であるが故に――おそらく他の理由もあるだろうが――負傷兵の多くがクシェルからの治療を望んだ。
問題なのは手際の良いクシェルがそれらの対処をこなせてしまうことだ。
必然、クシェルの負担は他よりも多くなるわけで……だから、彼女の不満も正当なものだった。
「皆、お前に感謝してるよ」
「そうだといいです……でも、救えない人もいますから」
微笑んだはずのクシェルの口元は哀調を帯びていた。
兵士が命を落とすのは何も戦場に限った話ではない。一命を取り留め帰還したとて治療が間に合わず死ぬ事もある。俺自身も腕や足が腐って死んでいく兵士を大勢見た。特に胴体を刺されれば、まず助かる見込みは無い。クシェルの治癒ならば可能かもしれないが、無闇に他人に見せることは出来ない。
「戦いなんて、止められればいいのに」誰に聞かせるでも無い声量でクシェルはそう溢した。
クシェルは敵味方の差別なく命を奪い合う行為を忌諱しているのだ。かつて俺たちを拘束した兵士を殺そうとした時も彼女は俺を制した。
戦いの無い世界。誰もが望む理想だが、現実は違っている。
これからも際限なく死者の数は増え続けるだろうし、自分自身もその一助を担っている。
俺は返事をせず、憂う彼女から目を逸らして苦笑するしかなかった。
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