第16話 それぞれの役割を


 翌朝、陽が昇る前に眠りから覚めた。

 まるで直前まで目を瞑っていただけのような快適な目覚めだった。

 懐で丸まったクシェルは未だ夢の中に居るようで、「クシェルは大人ですよ」などと舌足らずな寝言を溢していた。

 どんな内容か少々気になるが、どうも悪い夢でもないらしい。その証拠に寝顔は薄っすらと微笑んでいる。


 折角の夢だ、無理に起こすのも悪いか。

 極力物音を立てないように慎重にベッドから起き上がる。

 食事と休息が効いたのか、昨日までの疲労は無くなっていた。全快したからなのか、身体がやたらと疼く。無性に身体を動かしたい気分だ。

 窓の外に見える空は夜を色濃く残しており、瑠璃色の中に僅かだけ白色が滲んできていた。

 外気は冷たいが、運動するには最適な気温だろう。

 そっと部屋を出て、散策ついでにどこか手頃な、身体を動かせるスペースを探すことにした。

 流石に時間が早すぎるのか衛兵の姿は無く、ある程度自由に歩き回ることが出来た。

 だが肝心のスペースは見当たらず、結局は部屋の前まで踵を返す羽目になった。


「そういえば」


 頭を悩ませていると、ここに連れてこられた時に通った庭園の存在を思い当たる。

 朧げにだが道順は覚えていたので記憶を頼りに向かってみれば、すぐに庭園に辿り着けた。

 一応、周囲の人気を確認しておく。

 一頻り見渡したが、やはり人の気配は無い。唯一在るのは、人の形を模した悪趣味な像があるだけだ。


「ふぅー……」限界まで息を吐き出し、時間を掛けてじっくりと息を吸い込んだ。

 覚醒して間もない肉体と脳を新しい空気で一新する。


 各部の関節伸ばし、念入りにほぐす。

 熱が全身を巡るのを感じた。今すぐにでも全力で動けるだろう。

 俺は手元に剣があると想定し、姿勢を落として中段の構えをとった。

 村では一日と欠かさず続けてきた訓練。父亡き今、共に鍛錬する相手も居ないが……今更止める気にはならなかった。

 むしろ、以前よりもその必要性は増している。この短期間で、自分の無力さを痛いほど味わった。今のままでは駄目だ、もっと力を付けねばならない。


 架空の相手を目の前に投影して、疑似的な戦闘を始める。

 作り出したのは最も馴染みの深い父の幻影。

 空想上の産物とはいえ、幾千幾万と剣を交わしてきた俺のイメージは父の剣技を正確に再現していた。

 父の攻撃に合わせて回避、守勢から攻勢に転じ、また反撃を躱す。

 想像の父とは以前よりずっと拮抗した打ち合いとなっていた。

 微かにしか捉えられなかった剣も、今はより確かに見える。少しずつだが確実に距離は縮まっていた。

 しばし訓練に没頭しが、父の剣がいよいよ俺の首筋を捉えたところで一旦区切りとなった。


「――悪くない動きだったな」


 ふいに何者かが声を掛けた。

 気配を感じて振り向いた背後には、像にもたれかかる男の影があった。


「……アルガス」


「おいおい、『さん』を付けろよ糞餓鬼が」いつから見ていたのか、地面に唾を吐き捨てたアルガスが近付いた。


 相変わらずこの男、立ち振る舞いに隙が無い。

 そよ風に捲られるコートからは尋常ではない肉体を覗かせる。

 装備は腰に剣が二振りのみで昨日のような防具は無い。薄着故に、徹底して鍛え込まれた身体がよく目立った。


「どうも飯食って元気になったみてぇだな、昨日とはまるで別人だ。――――どうだ、一本打ち合ってみようか?」


 突然の提案に驚きはしたが俺は無言で頷いた。願っても無い誘いだった。昨日はまるで歯が立たなかったが、万全の今ならどうだ。全力の自分を試すにはいい機会だ。アルガスもその興味があっての発言だろう。


 アルガスは上機嫌に「そうこなくてはな」と抜剣するとその剣を俺に投げ渡して、自身にはもう一刀腰に下げていた木剣を構えた。剣を受け取った俺は、その様子に首を捻る。


「どうした?」


「いや、だってこれ」


 アルガスより渡された得物は正真正銘の真剣。

 昨日、俺の指を造作も無く切り落とすだけの切れ味を秘めた刀身だ。対するアルガスは訓練用の木剣で、こっちに比べてリーチも極めて短かった。これは余りにも不利がある条件では無いか。


「心配すんなよ、峰内で済ませてやる」


 余裕綽々のアルガスは欠伸をすると、両腕を広げて距離を詰めた。脇を開き「さっさと切ってこい」と顎で促す。

 乗せられてはいけない、これもアルガスの戦術の内。思惑や謀り、より熟達した使い手は巧妙に意識をちらし、勝機を攫う。これもれっきとした技術であり、達人ほどこれらを上手く織り交ぜて戦うものだ。

 まず一手、俺はがら空きの左脇目掛けて技を繰り出す。

 当然にアルガスは反応してくるが、続けてアルガスの視界を奪う為、地面の土を爪先で蹴り上げた。これも想定の範疇なのか、アルガスは難なく回避する。

 再度、無手の右手で両目を突く。同時に振るった剣を逆手で持ち替え、切り返す。

 狙ったのは肩だ。流石に胴体を刺しては致命傷になってしまう、そう考えての攻撃だった。

 しかし容易く剣を防いだアルガスによって、それが余計な気遣いだと思い知らされる。


「よほど甘やかされてきたみたいだな、何だそのふざけた太刀筋は」


 アルガスの眉間に青筋が立っていた。

 直後、炸裂音と共に衝撃に見舞われる。剣を握っていた左手の甲を激しく打たれ、肘から下の感覚が一切麻痺してしまった。

 手から落ちた剣を拾おうとした隙に三発、顎と鳩尾と右の脛を叩かれる。瞬く間もない連撃を防ぐ手立てはなく、一方的に無力化された。


「ぐっ……ぁつ」


「腑抜けが、もう立てないか? お前の父はこんなもんじゃなかったぞ」


「このっ」


 俺が身を起こそうとする度、アルガスは執拗に嬲ってきた。

 あえて手加減をして、幾度も木剣に打ちのめされる。この男、人体をどう殴れば痛むのかを徹底的に熟知していた。一撃ごとに闘志が削がれ、立つ気力を奪い取る。


「素人に毛が生えた程度だな」片膝を付いて動けないでいる俺に、アルガスは容赦なく言い放つ「これじゃあ仇討ちなんて夢のまた夢だぞ」


「あんた……父を討ったヴァルリスについても……知っているのか」


「さあな、顔を合わせたことも無い。ただ一つ言えるのは強いってことだ。一線を退いたとはいえ、お前の父を一方的に下す程度には、な」


 脳裏であの男、ヴァルリスの剣技が蘇った。

 父との間で魅せた剣戟、遥か高みに位置する強者が繰り出す芸術性すら秘めた一振り。現時点では推し量れぬ力量差があった。

 ……そしてこの目の前の男もまた、比類なき剣技を有する実力者。


「何か言いたそうな顔だな」


「……俺に剣を教えてくれ。もう何も奪われたくない……失いたくない、だから」


「だから?」


「クシェルを、あの子を守ってやりたいんだ」


 姿勢を正して頭を下げる。手段を選んではいられない。今の手合わせで、高みを目指すには彼に師事する他ないと確信した。或いは、このアルガスならば。


「顔を上げろ、馬鹿」


「――――っっ!?」ゴツンと裏拳が無防備な顎に炸裂した。予期していなかった俺は地面へと大の字に転がる。


「な、何を……しやがるっ」身を起こして抗議するも、アルガスは明後日の方向を向いて「まあ、見込みはあるか」などと独り言を溢していた。


「じゃあ、お前がその気なら毎朝ここに来いよ。しごいてやる」


「え」


 どういった訳か、彼は特に思案することも無く俺の願いを承諾した。


「何だ、嫌なのか?」


「いや、だって今、なんて……?」


「だから、稽古をつけてやると言ったんだ。剣の腕だけじゃなく、耳も悪いのか」


「いいの、か?」


「俺はラグナルほど甘くはない、覚悟しておけよ」


 ぼろ布みたいに扱ってやると高笑いして去る際の横顔は何処か微笑んでも見えた。

 父と共にあった男の剣を習う好機だ、どうあっても喰らい付いてやる。

 誰が相手だろうとクシェルを守り切れる力が欲しい。

 そして必ず、この手で仇を討つのだ。


 ◇


 朝の訓練を終えてクシェルの待つ部屋へと戻る。

 扉を開けると香ばしい匂いと、使用人の服に身を包んだクシェルの姿があった。


「おはようございます、兄さん」


「お……ああ」


 その恰好はどうしたことかと訊ねると、クシェルは服の裾を持ってひらりと回り答える。


「家政婦見習いとして働くことに決めました。ちゃんとお給金も頂けるそうですよ」


 ……クシェルは俺が兵士となることを知っている様子だった。

 領主の下で仕えることも含め、昨日の話はまだ伝えていない。いつ聞きつけたのか。

 家政婦の件は、何でも昨日の時点で話を貰っていたらしい。

 というよりも、従者の一人が食事を部屋に運んできた時にクシェルから申し出たという。

 やはり聡い子だなとしみじみ感心した。

 村での生活には必要なかったが、ここで生きていくには金が要る。いざという時の路銀と、この場所で確かな地位を手に入れる為、クシェルなりに先を見据えての行動だろう。

 話してくれればよかったのに、とも思いはしたが、お互い様か。俺も兵士となることを、クシェルには相談しなかった。彼女が自分で決めたのなら、口を挟むことではない。


「どこか変でしょうか……?」あまりの反応の薄さに不安を感じたか、クシェルが首を傾けた。無論、似合っていないことがあろうはずもない。正直に「すごく似合っているよ」と感想を伝えれば、彼女はいたく喜んだ。


「そうだ、お腹は減っていませんか? さっき朝食を頂きました、ごちそうですよ」


 クシェルがテーブル上の手提げ籠を指差した。部屋に入った時の匂いはこれだったか。

 被布を捲ると、焼き立てのバケットに燻製肉、何種類かの果物が詰められていた。


「起きていたのなら、先に食べててよかったのに」


「一緒に食べたほうがずっと美味しいですから」


「そんなもんかな」と呟くと、彼女は「そういうものです」と強く肯定した。クシェルが言うのなら、まあそういう事なのだろうと納得する。クシェルより果物を受け取った俺は大口で齧り付く。果物の瑞々しさと酸味は汗を流した身体には格別だった。


「ね、美味しいでしょう?」


「ああ、美味いな。でも、クシェルの手料理の方がもっと美味しかったよ」


「えへへ、じゃあまた今度、お給金が入ったら買い物に行きましょう。御馳走します」


「はは、そりゃあ楽しみだ」


 そうしてまた繰り返しの日々が続く。

 いつしか、三年もの歳月が流れていた。


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