第15話 誓い


「さて、本題に移ろうか」


 いよいよ食事も終わろうという頃、ウァルウィリスがそう切り出した。

 これだけの持て成し、食事だけで終わる筈も無かった。

 好意の裏には企みがあって必然か。しかし丁度いい、こちらも幾つか訊かねばならないことがある。気を引き締め、背筋を正す。


「実はお前たち二人……お前の父について話しておくことがある。どういう訳か、お前自身も深くは知らぬ様子」


 ウァルウィリスの話題は、今まさにこちらから問おうとしていた事だった。

 娘はもちろん、衛兵の姿も無いのは話を聞かせない為の彼からの配慮だったか。「アルガス、話してやれ」ウァルウィリスは控えていた侍女を退出させ、話をアルガスへと引き継ぐ。

 謎めいていた父の話、思わず自然と背筋が伸びる。


「俺とお前の父、ラグナルはかつてナーヴァルトングの王国騎士団に所属する騎士だった。ラグナルは当時騎士団長を務めていて、見習いだった俺は彼が騎士団を抜けるまで傍仕えをしていた。だからラグナルは俺の主君でもあり、師匠にも当たる存在になる」


「ナーヴァルトングの、騎士……」


「そう、お前の住んでいた王国だ。かの《奇跡》を有する、な」


「何故父は、騎士団を抜けた」


「まぁ……ちょっとしたトラブルがあってな、俺も詳細は知らん。お前、両親は二人とも亡くなったと言ったが、それは間違いないのか」


「母は弓で急所を、父は、目の前で……首を落とされた」


「何が起きたのか、もう一度詳しく話せ。あのクシェルとかいう娘の力のことも――――――覚えている全てを、隠すなよ」


「……わかった」


 俺は今日に至るまでに起こった出来事の一切を語った。

 父と狩りに出掛けたこと、突然村が焼かれたこと。賊がやってきて、根こそぎ蹂躙していったこと。

 逃げ惑う村人の背中に突き立てられる斧……多分、誰も助からなかった。

 母とクシェルを助けに行って、俺の油断で母が射られて、ヴァルリスという騎士が現れて、少しも歯が立たなかった。

 ずっと鍛錬を続けていたのに、まるで赤子の手をひねるように。

 殺される寸前で父が割って入って、どうにか生きている。でも、父は俺とクシェルを逃がすために犠牲になった。

 追い詰められた先でクシェルと谷底に身を投げた。心中だった。それでも奇跡的に助かって、逃げ続けて、なのに、逃がしてくれなかった。

 殺して、殺して。何人も切った。何も感じなかった。

 でも、ここには。何も言えずに俺は逃げて、殺して、逃げて、殺した。

 微かだが、確かに残っている感触と温もり。挫けそうな心を、クシェルが繋ぎ止めた。そして恐らくは、敵の狙いがそのクシェルだという事。


 全てを話し終えた時、両手には血が滲んでいた。

 多少酔いが回っているのか痛みは無い。想像を絶する破壊と、血みどろの語りを前にウァルウィリスたちは言葉を失っている。


「――――王国最強とまで謳われた騎士が遂に敗れるとは……叶うのなら見届けたかった」


 そう溢したアルガスの頬は震えていた。


「お前、これから先どうしたい? ラグナルの息子だ、俺に出来る事なら手を貸してやるが」


「……クシェルの安全を約束して欲しい。あの子を害するものから、守って欲しい」


 アルガスは記憶の中の父、そしてあの男と比肩しても遜色の無い実力者だ。

 味方で居てくれるのなら、どれほど頼りになるか。

 こちらの要望を受けたアルガスは、最初から決めていたかのように二つ返事で頷く。


「引き受けた。それで?」


「それで……?」


「お前はどうしたい?」


「俺、は」訊ねられたのは、俺自身の欲求。胸に手を当てて、己の心に問い掛ける。俺の望み、この先に望むもの――――――そんなもの、最初から決まっていた。


「俺は、復讐がしたい。両親の仇を、村を燃やしたあいつらを、クシェルを傷付けた糞共を、全員ぶっ殺してやりたい。母を射ち、父の首を落した男を、この手で葬りたい」


 腹の底からの言葉。

 憎悪に焼かれ、黒く荒んだ心の奥底に未だ燃える渇望……その勢いは枯れるどころか増すばかりだ。

 何を犠牲にしても、あの男を殺さなければならない。

 他でもない自分自身の怒りの為に。例え、この身を棄てることになっても。


「望みを果たす方法はある」会話の進行がウァルウィリスに戻る。


「……どうやって」


「復讐がしたいのなら、この領内では兵士となれ。お前の剣技、見事であった。かなりの腕だ、正直に話せば、捨ておくには惜しい」


「それで、俺の望みは叶いますか」


「少なくともここに居れば妹の安全は保障されよう。何不自由なく暮らしていけるはずだ。お前たちを狙う敵も、いつか相まみえる時が来よう。復讐の機会が来れば、兵も貸してやる。ただし……」


「俺があんたに仕えることが条件、ですか」


「左様。お前とて闇雲に逃げているだけでは未来が無いと気付いているはず」


 話したかった本題は『これ』か。

 父の話など、俺とクシェルを引き込む為の餌に過ぎなかった。


「近年、私を含め領主同士の小競り合いが続いている。この先も諍いは絶えず、領内は一層荒れるだろう。アルガス主導の下で兵力を強化してはいるが、お前が仕えてくれるのならより心強い。どうか、頼まれてはくれないだろうか」


 先刻まで俺を拘留しようとした男が食事を振るい、躊躇いなく頭を下げる。

 統治に必要なものは全て取り込もうとする強かさを感じる。

 この返答一つで俺たちの運命は大きく左右される。翻弄されるだけの状況だったが、これが分水嶺となるのか。


「本当にクシェルを、守って下さるのですか」


「ああ、お前が私に仕えてくれるのなら、我が領内にいる限り全霊を以て守護しよう。その為の兵は惜しまぬ。決して約束は違えぬと、ここで誓おう」


「そう、か……」


 決断の時だ。領主として企みはあるのだろうが、並べた言葉に噓偽りの気配はしない。


「貴方の下で働きます。俺を……雇って下さい」


「いい判断だ。では、よろしく頼む」頭を下げて差し出した手のひらにウァルウィリスは快く応じる。こうして腕を見込まれた俺は、兵士として剣を捧げることに決まった。


 ◇


「――――『あの事』は話さなくてよかったのか」


 ヴォルフを食事に招待する前、ウァルウィリスはヴォルフに関する委細全てをアルガスより余さず伝えられていた。それ故に、彼はアルガスに尋ねなければならなかった。


「いずれ、知ることになるやもしれんぞ」


「……」主君からの問いにアルガスは押し黙る。


 ウァルウィリスにとってアルガスは替えの利かぬ忠臣の一人。信頼に足る人物だ。その騎士が口を閉ざすなど、滅多なことでは無かった。主君の言葉を本来は許されぬ行為だが、


「まあいい」思うところがあるのだろうと、ウァルウィリスはそれを見逃して質問を変えた。「ところで、ヴォルフという若者をどう見る。まだ子供だが使えそうか?」


「俺の兵士はただの子供に負けるようには鍛えていませんよ。流石は騎士の血筋、素質がある」


「奴は嫌な目をしていたな。まるで猛獣のようだった」


「話した通りなら、相当の死線を潜っています。荒むのも無理はないかと」


「利用価値はあるが……慎重に事を運ばねばならんな。特に娘の力、いや、《奇跡》というべきか。眉唾物とばかり思っていたが、よもやこの目で拝む日が来るとはな」


「心中お察ししますよ、領主様」


「ふ、思っても無い事を」ウァルウィリスがにやけ顔のアルガスの腰を小突く。


「念の為、ヴォルフの監視はお前に任せるとしよう。」


 素性はともかく、ヴォルフ自身の人柄を知らぬウァルウィリスの言葉をアルガスは杞憂と断じる。


「……何も憂慮する必要はないでしょう。約束を違えぬ限り奴は裏切りませんよ。よほど妹が大切らしい」


 ◇


「おかえりなさい、兄さん」


 夕餉を終えた俺が部屋に戻ると、いつ目覚めたのかクシェルがベッドに腰掛けていた。


「体調は平気か? お腹とか、空いてないか」


「はい、大丈夫です。少し寝たら良くなりました。お食事も、侍女の方がお運んできてくれましたので」


 クシェルが腰掛けるベッド横のテーブルには、空の皿と水の注がれた杯が置かれている。短時間と言えしっかりとした休養と食事のおかげか、クシェルの顔色は今朝に比べて格段とよくなっていた。


「そっか、ならよかった」


 与えられた部屋の間取りは、二人が過ごすには十分な広さだった。

 扉には鍵が付いていて、部屋の中には寂しい本棚と燭台、細長い採光窓に一人用のベッドが壁際に二つ。その間に小さなテーブルがある。


「はあ……」


 酒を飲んだ酔いからか、もう片方のベッドに腰掛けた途端に睡魔が訪れる。

 服を脱ぎ捨てそのまま横になると、クシェルは「だらしないですよ」と呟きながらも毛布を掛けてくれた。


「お疲れですね」


 クシェルはわざわざ俺が寝転ぶベッドに移動すると、さも当然といった表情で同じように横になった。


 毛布の端を掴んで持ち上げてやれば、空いた隙間からクシェルがもぞもぞと侵入する。

 顔半分まで潜った彼女は俺の腕を枕代わりにして丸まった。

 クシェルは小さいがベッドは一人用なので流石に窮屈だ。彼女が落っこちてしまわないように、なるべく身を寄せ合う。


「ね、兄さん」


「ん?」


「何処にも、行かないでね?」


「……ああ」


 程無くして、クシェルの寝息が聞こえてきた。部屋の中はすぐに柔い芳香で満たされる。


 俺は真っ暗な部屋の角をぼんやりと見つめた。

 そのまま見つめていたら、深く呑まれてしまうような影。

 その闇から、目を離せない。


 どこまでも暗く、底の無い闇が自分を呼んでいる気がする。

 誘われるように、ゆっくりと瞳を閉じた。

 必ず、殺してやる。


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