第14話 運命の出逢い

「――――あらあら、なんの騒ぎですか?」


 扉の奥から登場したのは、目立ちの良い上背の女性。

 絶望的な空気を一新する清涼感のある声音。

 開いた扉から吹いた風に乗り、花の香りが舞い込んだ。

 突如現れた気品を醸す淑女。

 歳の頃は俺と同じ、いや、もう少し上だろうか。


「やれやれ、面倒なことになりそうだな」


「……なん、だ?」


 彼女が登場したからか、騎士の動きが止まっていた。

 否、騎士だけではない。この部屋、空間の時を止めたように、全員が膠着する。

 剣は首の薄皮一枚を断ち、制止していた。今しかない、痛みを堪えて転がるように、どうにか騎士の間合いから抜け出す。


「やたら騒がしいと思ってきてみれば、何事ですか」


「イリス、何故ここに……危険だから下がっていろ」


 謎の女性の問いに応じたのは領主だ。

 イリスと呼ばれた女性は領主の言葉に対し、不服とばかりに鼻を鳴らす。


「もしかしてあの男の子がやったの?」荒事には慣れているのか、この状況を見て微塵も動じていないようだ。

 彼女は一頻り惨状を確認すると血だらけで膝をついた俺に焦点を合わせた。

 目が合い、吸い付くような視線に取り込まれかける。すぐに視線を外すと、彼女は喜色満面で手を叩いた。


「お父様、私彼が気に入ったわ。とっても強いみたいだし――――助けてあげましょう。きっと役立ってくれるわ」


「ならん。私とて本意ではないが……奴は罪人だ、このような蛮行、とても不問には出来ん。それに兵は足りている」


「その肝心の兵士さんたち、そこに転がっているじゃない」


 痛いところを突かれた領主が口ごもる。

 このイリスという女、領主の娘ときたか。

 容姿は似ても似つかないが、言われてみれば確かに何処となく近い雰囲気があった。何故か理由は解らないが、助けてくれるようだ。


「アルガス。そんな物騒なもの、私の前に出さないでもらえる?」


「へいよ、仰せの通りに」


 俺を追い込んだ騎士、アルガスというのか。アルガスが命令通りに剣を鞘に納める。


「イリス、あまり勝手に振舞われては困る」


「いいじゃない、アルガスは私の騎士でもあるんだから」


 領主の苦言も意に介さず受け流す。

 イリスは完全に場を支配していた。領主はほとほと弱った様子で顔をしかめている。

 領主といっても人の親、娘には形無しか。……確かに父もクシェルには弱かったしな。


「っ……」


 気が抜けたのか、一気に視界が暗くなる。

 一先ず剣を引いてくれたのはいいが、失った指からの出血が酷い。

 早く処置しないと死んでしまうが、手先がかじかんで止血が出来ないでいた。


「――――――……兄さん!」


 異変を感じ取ったのか、意識朦朧としていた俺の元へクシェルが駆け寄った。

 かつてない量と密度の光が、あっという間に広間に満ちる。

 やがて光は収束して、それぞれ負傷した箇所に集中して注がれた。燃えるように熱いのに痛みは感じない。

 薄れかけていた意識は戻り、痣や打ち身は勿論、へし折れた腕や砕けた顎、裂傷や欠損した指ですら瞬く間に癒えていく。

 ほんの数十秒の治癒だった。

 その僅かな時間でクシェルは俺の損傷全てを癒してみせた。

 癒した傷の量、深さ共に未だ例を見ない治癒だ。相当に消耗したことだろう、青ざめたクシェルがぐったりと項垂れる。


「なんだ、今のは」


 目の前に起きた皆、言葉を失っていた。

 騎士は目を見開き、領主の娘は目にしたものが信じられぬのか何度も目を擦っている。

 そんな中、領主だけが辛うじて言葉を紡いだ。


「その力、何故……いや、そんなことよりも、貴様ら一体何者だ。姓は……違うな、両親の名は、何という?」


 歯切れの悪い口調。これは惑いと、焦燥から来るものか。


「母はウェスタ。父の名は……ラグナル」


「聞かぬ名だな」


 当たり前だ。聞き覚えがあってたまるか。

 そう吐き捨てたのだが――――――意外にも反応を示したのは問うた領主ではなく、騎士、アルガスの方だった。


「まさか、こんなことが」


 俺を圧倒していた時の気迫は何処へやら、アルガスからは明らかな動揺が見て取れた。


 口許を抑え、思案気にぶつぶつと呟いている。

 もしかして今なら、切れるんじゃないか。

 仕掛けようと力んだ直後、彼はとんでもない行動を取った。

 あろうことか首を差し出すような体勢で跪いたのだ。


「何の、つもりだ」


 意図が読めず手が止まる。

 仮にも命のやり取りをしているのに、無防備に顔を伏せ、首を晒すのは自殺行為だ。

 ここからなら、簡単に殺れる。

 しかし何故か眼前の騎士には敵意と呼べる物が少しも感じられない。

 それどころか敬意にも似た……そういう感情が声音に混じっていて。

 そんな、何で急に。全く意味が分からない。混乱する俺に、顔を上げた彼が笑い掛けた。


「とんだ無礼を働いたな。会えて光栄だ、騎士の子よ」


「ぁあ?」


 戦っていた時とは一変した態度に声が上ずった。

 何も理解が及ばぬまま、領主とアルガスが話し始める。


「アルガス、もしや知己の仲であったか」


 訝しげに領主が問う。


「はい、彼の父と古くから面識があります。彼自身とも、彼が幼い頃に確か一度。まさかこのような形で再会するとは想像もしていませんでしたが……身元は私が保証します」


「その話は誠か。別人である可能性は」


「気付かなかった俺が言うのも何ですが、間違いはありませんよ。まあ、見た目はすっかり変わっていますがね。面影は有ります。橙褐色の瞳も父譲りだ。それに何より、あの人の、ラグナルの剣の匂いがする」


「そうか……」


 騎士の返答に、領主は難しい表情で溜息を吐いた。

 ――――思い出した。

 このアルガスとかいう騎士、いつか村の近くを立ち寄った人物だ。そうだ。あの日、父と二人で何か話し込んでいた。まさか面識があったとは。


 今回の騎士といい、村を襲った騎士といい、父は一体何者なのだろう。

 知れば知るほどに謎は深まるばかり。

 いや、違う。そうではない。最初から俺は父について、何も知らなかったのだ。


「それで、その子はどうなるの?」


 領主の娘が訊ねた。

 最初こそ驚いていたが他の者と違い、彼女はクシェルの起こした現象に特に関心を抱いていない。

 何故か彼女の視線はずっと、俺だけに注がれている。


「都合が変わった。アルガスの知己と言うのであれば問題はあるまい。……処分は無しだ。二人の拘留も、取り止めよう」


「まあ! 流石お父様、そう仰って下さると信じていたわ」


「だ、そうだ。よかったな、何事も無くて」


「今の今、あんたに殺されかけたばかりだけど」


「まあ、許せよ。小さい男だな。本気だったら一合目で殺ってたさ、それにほら、何処も怪我してないだろ?」


 ……クシェルのおかげでな。

 冗談じゃない、こっちは本気で死ぬところだったんだ。

 しかし、どうやら乗り切ったらしい。

 今回こそ終わりだと思った。実際、このまま戦っても勝機など無かった。領主の娘の登場があと一秒でも遅ければ死んでいた。


 父と面識のあるこの騎士……巡り合わせにしては出来過ぎていた。別れの際、西を目指せと言ったのはつまり、こういうことなのか。

 項垂れるクシェルを背負い立ち上がると、領主の娘が急接近してきた。

 半歩前に出れば互いに触れ合う距離で彼女は立ち止まる。あまり身長差はなく、ほとんど真正面から見つめ合う形になった。

 目を逸らそうにも、目線を合わせるように覗き込んで逃がしてくれない。

 何なんだこの女は。あまり馴染まない視線に堪らず声を出す。


「あの……何か?」


「ふふ、助かってよかった」


 そうして彼女――――イリスは好意的に微笑む。

 少し背伸びをして、俺の耳元で囁いた彼女の身体は……噎せ返りそうな程、甘い香りがした。


 ◇


「――――どうした? 腹は空いていないか」


 向かいに腰掛ける領主が問い掛ける。

 騎士アルガスにより身元が証明されたことで処罰は無効となった。

 その後どういった風の吹き回しか、はたまたアルガスの計らいか、俺とクシェルは今後しばらくの間、食客として扱われるようだ。


「それなりの食事を用意させたはずだが、もしや口に合わなかったか」


 当然、空腹でないはずは無かった。

 目の前に置かれた脂の乗った肉の香りに、思わず涎が垂れそうになる。ただ、やはり警戒心から素直に口に運ぶ気にもなれなかった。


 ……現在、俺は領主であるウァルウィリスに招かれ、夕餉を共にしていた。

 領主自らが食事に招くなど普通有り得ないのだが、今回疑いをかけた謝罪と、友好を兼ねてのものらしい。


「もしや残してきた妹が心配か?」


「それも、あります」


 クシェルは食客としてあてがわれた部屋に着くや否や、眠りについてしまった。無論、彼女を一人にするかを悩んだが、クシェルと離れる間、ウァルウィリスからの好意で警備が付くことになった。

 体のいい監視だろうが……もしも害を為すつもりなら、今頃俺は生きていまい。


「安心しろ、毒もなんも入っちゃいねえよ」右手に座るアルガスが豪快に肉に齧り付く。


 四角い食卓には領主を含めた三人。

 向かいに座るのは将軍のアルガス、そしてこのクウェンの領主ウァルウィリスだ。

 部屋には衛兵の姿は無く、酌と配膳を担う侍女が一人だけ。


「もしや我らを気遣っているのか? 心配せずとも作法など構わず食べればいいぞ。そこのアルガスも見ての通り、騎士にはそぐわぬ無作法な男だからな」


「……では、ご厚意に甘えて」


 準備された食器を手に構え、取り分けた肉料理を口に運ぶ。

 口に入れた途端、豊潤な肉汁が溢れて溶ける。

 領主はああ言ってくれたが、幸い一通りの礼儀作法は教わっていた。

 両親に教わったことを記憶の片隅から引っ張り出して、とにかく粗相のないように努める。

 これには流石の領主も面を喰らったのか声を出して感心した。


「素晴らしい、剣技だけでなく食事の作法まで身に着けているとは。誰を倣った、父か」


「剣は父から、礼儀作法は主に母から学びました」


「ほう、母方からと。よくよく思えばお前の言葉、節々からは知性が感じられる。母はそれなりに高貴な生まれとみるが、どうだ?」


「存じていません。両親とも、あまり過去を話しませんでした」


 詳しく知らぬのは父だけでなく母も同じ。

 しかし領主の言うように、母は彼と近しい気品があった。それこそ辺境に暮らすのが不自然であるほどに。


「先程は見事な奮戦であったが、妹の方はどうだ、戦えるか」


「クシェルは剣は使えません。戦う……守るのは、兄の役目ですから」


「ははは、頼もしい兄貴だなぁ」


 隣で話を聞いていたアルガスが笑う。

 どうも虚仮にされていると感じるのは気のせいでは無いだろう。

 言葉尻に、「お前に守れるのか」と言われている。


「怖い目だな、今にも噛み付かれそうだ」


「まさか、やらないよ。あんたにはまだ、勝てない」


「まだ、な」


 いつか一泡吹かせてやると目で訴え、杯に注がれていた飲み物を飲み干す。

 まろやかな酸味の中に厚みのある渋み……初めて口にする酒だ。

 食卓に並べられた料理はどれも最上級の逸品なのだろうが、緊張からかあまり味は楽しめずにいた。

 美味しい事には美味しいのだが、食は進まない。咀嚼し、飲み込むほどに母の料理が恋しくなった。

 隣にクシェルが居れば、また違っただろうか。酒ばかりが進む。


 料理は侍女によって際限なく運ばれてくる。

 いつの間にか蝋燭が半分にまで溶けていたが、会話は途切れず続いていた。

 そのほとんどが俺たちについての質問、まるで尋問だ。訊かれる内容は今のところ全て当たり障りのないものだが、探られているのだと感じる。

 久し振りのまともな食事も、これでは気が滅入ってしまう。

 これなら戦っている方が幾らかマシだな。

 せめてもの救いは、あの領主の娘が居ないことか。

 彼女の視線、どうにも得意では無かった。

 この場に居たら、それこそ気が散って食事どころでは無いからな。


 ……そんなことを思いながら、俺は無心で食事を口に運ぶのだった。

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