第13話 惑いと、届かぬ壁


「すまないが、お前たちの話はにわかには信じられん。子供がたった二人、そのような状況下で生き延びるなど、普通ではない――――――よって確認が取れるまでお前たちを拘留する。衛兵ら、この子供たちを牢に連れて行け」


「は?」


 領主ウァルウィリスからの宣告に思考が停止する。

 何故、そのような決定に至るのか。


「案ずるな、素性が知れぬとはいえ子供を苦しめるのは本意ではないからな」


「待ってくれ、俺たちは本当に何も!」


 領主が話は終わりだと言わんばかりに席を立ち、奥の部屋に消えようとする。必死に呼び掛けるも振り向いてはくれない。


「お前たち、聞いた通りだ。手早くな」そう言った騎士が手を叩くと、壁際に控えていた衛兵たちが俺たちを捕らえる為に寄ってきた。


「悪く思うなよ」多少の憐れみは感じているのか、錠を持つ衛兵の一人が目を伏せる。


「俺たちも仕事でな」


 すでに背後の扉は固く閉ざされ退路が無い。伸びてくる衛兵の手を反射的に避けようとしたクシェルは素早く立ち上がるが、足がもつれたのか転倒した。


「いやっ、来ないで!」


「こら、暴れるんじゃないぞ、怪我させたくはないからな」


 クシェルの拒絶など意にも介さず、衛兵は剣の柄を指でなぞる。

 口調は穏やかだが、抵抗すれば得物を使うつもりだ。言うことを訊かせるには、手っ取り早い方法だろう。こいつ、クシェルを脅す気か。


「お前ら……! クシェルに少しでも触れてみろ。必ず後悔させてやる。嘘じゃない……っ」


「おお、怖い。口だけは一丁前みたいだな」持ち得る限りの殺意を込めたが、脅しにはならない。何の力も持たぬ子供、そう思われている。


「にぃ、さん」


 クシェルの瞳が水面のように揺らめいた。

 視線を交えるだけで、彼女の感情がはっきりと伝わる。目の前の光景が、怯える表情が、あの時と重なった。


「――――――……!」


 我慢の限界だった。

 クシェルの頬に涙が伝った時にはもう、俺は動き出していた。

 縛られた両手で床を掴み、身体を側転させて男の顎に踵を命中させる。

 意識外からの急所への一撃。男が頭から前のめりに倒れ込んだ。倒れた衝撃で刀身が鞘から飛び出したので、縄を断ち切って立ち上がる。


「な……」


 振り返った領主は信じられないという表情で目を見開いた。

 衛兵も領主の判断を仰いでいるのか動けずにいる。その隙に倒した衛兵の剣を拾い、クシェルの縄を切って自由にする。


「殺せ!」


 誰かが叫んだ。

 一瞬の静寂を破り、場が熱を帯びる。

 呆然と立ち尽くしていた衛兵たちが剣を構え、俺たちを囲んだ。

 本来、正面衝突は避けるべきだった。上手く領主され捕まえれば楽に切り抜けられるだろうが、流石に距離が遠い。


 いいさ上等だ、黙って従う理由が何処にあった。

 殺すつもりかだと? ああそうだ、最初からその算段だったよ。

 俺たちの邪魔になるものは何もかも切り伏せる。結果的に相手をする人数が少し増えただけだ……。


 最も近い距離にいた衛兵が鋭い一撃を放ってきた。速度はあるがどこか弱弱しい一振り。情けのつもりか、剣を振るう表情に曇りがある。

 だがこっちは手加減するつもりは毛頭無い。

 剣の腹で攻撃を受け止め、さらに真下へと力を逃がしていなす。それによって重心を崩した相手は急所……首が無防備になる。ここだ、と呼吸をするように自然な繋ぎで、俺は突きの動作に移った。

 こいつらだって、あの賊どもと同じだ。

 一人残らずぶっ殺してやる!


『――――――……もう、だめだよ』


「……っ!?」剣先が相手の喉を刺し穿つ直前、クシェルの台詞が反芻する。


 咄嗟に踏み込んだ左足を軸に身体を回転させ、こめかみに裏拳を見舞った。

 側頭部に拳の痕をつけた衛兵が白目を剥く。しかし気は抜けない。二人の衛兵が死角を狙って仕掛けてきていた。

 すぐさま身を翻し、一人の脛を蹴って動きを止めてから脇腹へ膝をめり込ませる。

 続くもう一人は剣を振り上げる隙を突いて接近、鳩尾を剣の柄で思い切り抉る。一合目に弾いた剣が床に落ちるのと同時、三人の衛兵の身体が倒れ込んだ。

 俺たちを囲んでいた衛兵たちの足が止まる。起こった状況を理解できないのか、怖れが表れていた。


「何をしておるか、全員で掛かれ! こやつ、ただの子供ではないぞ!」


 いつの間にやら部屋の隅へと避難していた領主が残った衛兵に指示を送った。呆気に取られていた衛兵たちが我に返る。

 あの男、偉そうに指図をして自分は高みの見物か。

 騎士共々逃げない様子からして俺を止められると思っているわけだ。

 その予想、覆してやる。

 一斉に放たれる呼吸の合った斬撃。

 僅かな乱れも無い連携だが、それ故に読み易い。

 俺の視界には振られた相手の剣から自分の肉体まで伸びる、未だ描かれていない軌跡が明瞭に映されていた。

 不思議なことに、相手の剣は軌跡を忠実になぞってくる。ならばこちらはその軌跡を相手の剣がなぞるより速く、剣を置いてやればいい。

 襲い来る剣を悉く捌き切り、一人ずつ確実に制圧する。


「まさか、こんな事が」


 いつの間にか全ての衛兵が倒れていた。

 一部始終を見た領主は口を大きく開けて啞然とした様子。

 しかし予想外の決着の早さに、自分でも驚いている。敵も訓練を積んだ兵のはずだが、まるで相手にならなかった。

 それも、誰も殺めない縛りを課したまま。やはり、強くなっているのだと実感する。

 全身に力が漲っている。

 活力とでも言うのか、手足の細部に至るまで、在り余る充実を感じていた。

 残るはあと一人、戦闘が始まってから一歩も動かずにいた騎士だ。余裕か、もしくは騎士としての矜持か。どちらにせよ――――――。


「これで、一対一だ」


「はあ、仕方ないな」


 くたびれた溜息を一つ。静観していた騎士がいよいよ動き出した。

 かなりの長身。背広もあって、相当に鍛え込んでいるのが解る。

 クシェルを少し下がらせ、深呼吸をする。この相手、他の衛兵とは違う。

 肌を刺す緊迫感。やはり相当な実力者であると窺えた。同時に、今の自分に勝てない相手でもないと思える。父やあの男には、心臓に剣を当てられているような感覚があった。この騎士からはそういった強い圧力は感じない。父との稽古を思い出し、立ち回りで翻弄してやる。


「いつでも、好きなように掛かって来い」


「言われなくてもっっ!」


 姿勢を低く強襲する。騎士は未だ剣を抜かず徒手のまま。構えを作る間は与えない。落ちていた鞘を騎士の顔面に投げて視界を奪い、その障害物を陰にして懐に滑り込んだ。大柄な故に、こうした低姿勢からの攻撃には反応しにくい。

 理想的な入り方だ。

 己の速度には自信があった。

 狙い通り、初撃は貰った。機動力を失えば何も出来まいと、先ずは足の腱を狙う。

 自身の剣界にて出せる最大の剣速、必殺の間合い。しかし一体抜いたのか、狙いは騎士の剣に易々と阻まれる。

 反撃を警戒して飛び退くが、騎士は追撃してこない。


「まあ、こんなものか」


 命のやり取りをしている最中にも関わらず、騎士は退屈混じりに欠伸をした。

 挑発的な態度は誘いか、或いは単なる余裕の表れか。恐らくは、後者だろうな。

 冷たい汗が目尻に染みた。

 剣が交わった際の奇妙な感触……直撃の瞬間、まるで水中で振るったように力を奪われた。

 この感覚、手応えの無さ、忘れようもない。

 あの男と同じだ。父を殺した男、ヴァルリスと打ち合った時と酷似する感触。


「何だ来ないのか? では、こっちから行こう」


 騎士がゆらりと身体を傾けた。刹那、騎士から吹き荒れる気迫に身体が強張ってしまう。

 しまった、と思った時にはもう手遅れ。ブレた騎士の手から放たれるは目にも止まらぬ閃光の如き剣撃……稲妻が迸る。


 なんだ今のは――――――!?


 青い火花が目の奥で、何故か父の姿を伴って弾けた。

 この騎士が攻勢に転ずる為の予備動作、その剣筋が全く読めなかった。


「ぐぅぅうっ」数えられるだけでも都合九つのうねる斬撃が全身を切り刻んだ。空中に血飛沫が激しく舞い踊る。


 歯を食いしばってどうにか耐えるが、騎士の攻撃は終わらない。

 尽かさず詰めてきた騎士から脇腹に強烈な一撃。とんでもない衝撃に吹き飛ばされる。

 鉄塊か何かで殴られたのか。確認すると、突き出された騎士の右足があった。ただの蹴りでこの威力か。

 呑気に転がっている場合ではない。とにかく急いで立ち上がる。


「はっ……はっ……はっ」


 左の視界が赤く染まった。どうやら額から左側頭部までを裂かれているようだ。それに頸動脈と肘の裏……的確に急所を狙われているが、まだ浅い。すぐに動けなくなるような出血では無いだろう。

 この騎士、とんでもない達人だ。

 殺すだの殺さないだの、そんな悠長な話をしている場合ではない。

 今一度気を引き締め、構えを作ろうとすると剣を握れないことに気付く。


「勝負あったな」


「ぁ?」


 自身の足元に血溜まりが生まれている。

 不可解な熱と脈動を感じ、剣を握る利き手を確認すると小指と薬指が切り落とされていた。

 視認した途端、焼けるような痛みが襲ってくる。

 とても我慢して抑え込める痛みではなかった。

 悶える俺を見下ろす騎士の表情は、恐ろしい程に冷めていた。何の熱も感じられぬ無機質な瞳に、心の底から恐怖する。


「くそったれ……っ」挫けそうな心を意地でも支え、ありったけの力を込めて騎士を睨む。

 負けて堪るか。ここで負けたら、全部終わりじゃないか。


「未だ闘志は衰えず、か。大したものだが、ここまでだな」騎士の突き出した刀身が首筋に触れ、鋭い白刃に血が滴る。「取り敢えず殺すが、恨むなよ?」


 このままでは、殺される。

 俺が死んだらクシェルはどうなる? 仮に彼女は見逃されたとして身寄りのないこの土地に一人、どうやって生きていくのか。

 まだ幼く、か弱い妹を置いてはいけない。まだ、負けられない。ここでは、今はまだ、死ねない。


「諦めろよ、運が無かった」


「まだっ――――――」


 騎士が腕を僅かに引いたその時、突然に扉が押し開かれる。





「――――あらあら、なんの騒ぎですか?」

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