第12話 審問

 陽の傾きから、もう一刻は過ぎたか。

 時刻にして正午過ぎ。最も陽射しが強く、一番熱い時間帯だから余計に体力を奪われる。

 渇きが酷い、振り返れば今日は朝から水を飲めていない。

 渇きを凌ごうにも唾液すら出てこない状況だ。喉を動かすと咽頭が引っ付いたが、我慢できずに空気を飲んで誤魔化した。

 男たちが跨る馬の鞍には革の水筒がぶら下がっているが、分け与える気は毛頭ない。


 こちらの渇きなど気にもせず、男たちは涼しい顔で談笑を始めた。「銀が欲しい」とか「嫁に逃げられた」だのと下らない内容。途中途中でこの土地や近頃の情勢についての会話も聞こえたが、あまり頭には入ってこなかった。


「あの、あとどれくらいかかりますか?」問い掛けるも返事は帰ってこない。もう一度、声量を上げて話す。


「まだ着きませんか。足が痛くて、ほんの少しの時間でいいので休憩を貰えませんか。誓って逃げたりしませんから」


 懇願するが変わらず反応は無かった。

 この距離だ、聞えていないはずがない。聞こえた上で、分かった上であえて無視しているのだ。「あの、すいません」と何度繰り返しても同じこと、面倒だと言わんばかりに、彼らは会話の声量を上げる。


 まだまだ歩みが止まる気配は無い。

 前を歩くクシェルの上半身が右へ左へと傾いた。

 呼吸は荒れ、足取りもおぼつかない。今にも倒れてしまいそうだ。

 クシェルを背負う為に縄を自由にして欲しいとも頼んではみたが、振り向くこともせず鼻であしらわれる。大方、隙を見て逃げるとでも思っているのだ。

 どす黒い衝動が胸の内を支配してゆく。クシェルがこんなにも痛めつけられているのに、こいつらは見向きもしない。このろくでなし共、やはり構わず殺してやればよかったんだ。


「――――着いたぞ」


 さらに幾らかの時が過ぎ、男の一人が縄を強く引いた。


「これは……」


 見上げる程の城壁。周縁部には溝が掘られ、さらに馬防柵が設けられている。

 壁の各所に見受けられる塔には弓を携帯した兵士が四方を見張っていたが、しかしどういうことか、入り口らしきものが無い。

 先導する男が懐から何か金属板のような物を取り出すと塔の兵士へと掲げた。するとそれを確認した兵士が合図を送り、やがて壁の一部から跳ね橋が掛かる。橋を渡れば跳ね橋に隠されていた門が轟音を響かせてゆっくりと開いた。


 ……さっきかざしたのが通行証なのか。許しが無ければ壁の中に入れない仕組み。

 徹底した防衛体制、外敵を阻むためのものか。いや、何も外からに限った話ではないな。一度中に入ったが最後、脱出も容易ではないだろう。


「何をぼけっとしてる。さっさと歩かないか」


 縄を引かれるまま門をくぐる。

 壁の内側には育った村とは比べものにならぬ規模の街があった。

 様々な格好の人、嗅いだことのない匂いが溢れ、入り混じる街はまさしく未知の世界。人々の間では銀貨が飛び交い、商人らしき男は物珍しい動物で客を引き寄せて――――――これが街かと舌を巻く。

 何もかもが己の常識を越えていた。黄昏に染まる街は、しかし一向に夜を迎えるつもりはないのか大いに賑わっている。


「ほらほらお前たち、道を空けろ。馬が通るぞ」


 手綱を握る男の声が、浮足立つ俺の思考を現実に引き戻す。

 子供が縄に繋がれているというのにすれ違う通行人は気にも留めない。我関せずと視線を逃がして道を譲る。こういう光景には慣れているようだ。


「言っておくが、妙な気を起こすんじゃないぞ」


「その、僕たちは今から何処へ連れていかれるのですか」


「決まっているだろう、我らが領主様のところだ。そこで法に則ってお前たち二人の処遇が決まる。道中に説明してやっただろう。お前、まさか話を聞いていなかったのか?」


「それは……その、申し訳ありません」


「まあいい、どのみち結果は見えているからな」


「どういう意味でしょうか?」


「別に、大したことじゃない。――――――そら、この城だぞ。もう一度言うが、下手な動きを見せれば容赦はしないからな」


 はぐらかされてしまったが言及は避けた。無理に踏み込んで機嫌を損ねても敵わない。

 到着した城は明らかに他とは異なる外装で、見るからに上等な造りをしていた。

 汚れの無い白の外壁、入り口の両脇には半透明な色とりどりの結晶が嵌め込まれ、斜陽で煌めいている。

 領主が住まうというだけあって警備も厳重だな。

 数えられるだけでも武装した兵士が外に十数人。中にはさらに控えているだろうか。

 城内に足を踏み入れる。

 皴や汚れ一つない真っ赤な絨毯が敷かれた大広間を抜け、さらに奥へと連行される。

 驚いたことに屋内は外と変わらない明るさを保っていた。あの結晶……あれが採光窓の役割を果たしているようだ。

 城の中は外から見えた通り相当の広さ。

 十余りの部屋を越えた先に在っただだっ広い庭園では、三人の庭師が汗を額にせかせかと剪定していた。庭園の中央には鈍く煌めく謎の人物像。どうやら銀で出来ているらしかった。趣味はともかく、富を見せつけるには十分な代物。


「ここで待っていろ」


 扉の奥に居るという領主に伺いを立てるべく、男は先に中に入っていった。

 残された俺とクシェルは未だ縄に繋がれたままだ。

 気付かれぬように周囲を確認する。見える範囲の廊下には人の影はない。扉の両脇には警備の兵が二人だけだが、どちらも一筋縄ではいきそうにない。


「クシェル、足、痛いよな。平気か?」


「ちょっとだけ痛いです」


「これから、どうなるのでしょうか」


「大丈夫、何も心配なんて要らないよ。夜には柔らかい寝床で休めるさ」


 クシェルを安心させようと吐いた台詞は、自分に言い聞かせる為の物でもあった。

 男の話に寄ればこの後に俺たちの処遇を決める、つまりは裁判が行われるわけだ。裁かれる謂われなど在りはしないが……真実を話した上で納得して貰うしかない。


「おい、いいぞ。中に入れ」


 しばらくすると扉が開き、男が顔を出した。「さ、もう少しだけ頑張ろうな」へたり込むクシェルを立ち上がらせ、扉の奥に足を踏み入れる。

 物々しい雰囲気だ。絡みつく視線と、嘲笑交じりの囁き……当たり前だが歓迎はされていない。

 部屋の中には縄を握る男を除いて、壁際に衛兵が八人。

 最悪の事態も想定もして、一人一人を素早く観察する。野党や盗賊といったごろつきとは違う、正規の訓練を積んだ兵士。簡単ではないな。


 視線を巡らせる内に、一人の人物と目が合った。

 部屋の奥、並べられた椅子の中央に腰を下ろす男……。

 説明を受けるまでも無く、一目で理解する――――――あれが領主とやらか。

 男を取り巻く空気には、何処か威厳のようなものが感じられた。その男から一歩引いて脇に控えるのは一風変わった雰囲気を漂わせる騎士。どうも只者では無いと直感する。


「そこに跪け」


 領主と思われる男が肘掛けを二回、指で叩いた。

 その言葉に従うより速く、俺たちを連行してきた兵士に膝を崩される。

 固い床の衝撃が骨に響いた。並んだクシェルが悲鳴を漏らす。男を睨みつけるも、特に悪びれも無く飄々と壁の方へ歩いて行った。

 こいつも、大概の糞野郎だな。

 破壊的な衝動に駆られたが、踏み止まる。ここは堪えなければ。


「私はウァルウィリス。エランデル共和国よりここクウェンの自治を任されている領主だ。お前たちの名を聞こう」


 やはり予想通り、この男が領主か。

 放つ言葉一つ一つに計り知れぬ重みを感じる、権力者とはこういうものか。

 この男の匙加減で俺たちの運命が決定されるというわけだ。ふざけた話だがこの場は従う他にない。

 一先ずは領主からの質問に答える。最終的にどう動くかは、下される沙汰次第だ。


「お――――――私はヴォルフ、こっちは妹のクシェルと言います」


「ふむ、ヴォルフにクシェルか。何故ここに連れてこられたのか、理解しているか。どうやら西の粉挽き屋で捕まったようだが」


 粉挽き屋……あの風車小屋の事だろうか。


「いえ。心当たりもなく、困惑しています」


「そのようだな。だが子供が二人、そのような格好でいれば不審に思うのは当然だろう。何かあったのではないか、とな」


 屋敷に来る道中を振り返る。街の住人は比較的綺麗な身なりをしていた。つまり民が富んでいる証だ。

 比べて俺たちの格好ときたら汚れに汚れており、生地は薄くなって地肌が透け、袖や裾、首元が派手に破れていたりと衣服の形を留めていなかった。確かに今の身なりでは浮浪者か乞食か、そう捉えられても仕方ない。


「ところで、お前たち二人は何処の者だ? 特に娘の方は……この土地では珍しい容姿をしている、まさかこの土地の生まれとは言うまい。聞くところ、通行証も知らぬ様子」


「はい、私たちはここよりずっと北の……峡谷を越えた先の村からやってきました」


「峡谷の向こうからと。随分と遠出をしたものだ」何が可笑しいのか領主はくつくつと口元を抑え、しばし考えるような素振りを見せてから話を続ける。


「実はここ最近、我が領内では災いが蔓延している。疫病や飢餓、同盟との軋轢や衝突、そして戦争。手の届かぬ各地では略奪が横行し、暴力に満ち満ちている。嘆かわしいことに、そうした境遇に遭った人間というのは脆いものでな、善人と思えた者ですら、道を踏み外してしまうのだ。そういった民の中には身寄りのない子供や女、年老いた老人も含まれるわけだが――――――彼らは一見無害にも思えるから質が悪い。そうは思わんか」


「あの、仰っている意味が……」


「其の方らは大方、奴隷身分であろう。主人でも手に掛けたか? 先に教えておくが、殺人は重罪だ。如何なる理由があろうと、処罰は免れんぞ」


「違います。それに、僕たちは奴隷ではありません。賊に村が襲われ、妹と二人、命からがらに逃げだしてきたのです」


「なるほど、賊に……な。その後、両親はどうした?」


「父と母は、殺されました」


 領主はこちらの説明に納得したように頷いてはいるが、全く信用していないようだ。


「はっ、白々しい。領主様、このような卑賎な者の言葉に耳を貸しては、品位を疑われます」


 発言したのは俺たちを連行した兵士だった。こちらを見下すように目を細め、侮蔑の視線を隠そうともしない。


「作り話をするのなら、もう少し現実味のある話をするべきだったな」


「嘘じゃありません。証明は出来ませんが、信じて下さい」


「はっ、この期に及んでまだ見苦しい言い訳を」


「どう受け取ろうとも構いません。私は今、あんたじゃなく領主様に訴えている」


「くはは、言われているな。こやつめ、若いのに随分と肝が据わっている。よかろう、話を続けようか。その服の血は何の血だ? そしてこの斧、我が兵士からはお前が持っていたと聞いているが。かなり使い込んでいるのだな?」


 領主が椅子の陰から取り出した、血と脂で艶めく弧状の刃。

 幾人の肉と骨を断ち、刃毀れの目立つその得物は、兵士に捕まった際に没収された斧に違いない。


「それは」十分に言葉を選ばなければならない。一呼吸置いて返答する。


「襲ってきた相手を……倒しました。血は、その時に。森を抜けて、助けを求めて彷徨っていたところを捕まったのです。何も、悪いことはしていません」


「人を殺したのか。我が兵士からは兎の血だと説明されたが、それは嘘か」


「はい」


「何故嘘を吐いた。何か後ろめたい事情があったか」


「領主様が仰った通りの理由です。殺人を犯したと話せば、どうなるか分かりませんでした」


「ふむ、つまりこういう話だな。お前は村を襲った賊を倒して森を越えてきた。そして人の手を借りようと見当たった粉挽き屋に向かう最中、哨戒中の彼らに捉えられた。そう言いたいわけだ。武器を、懐に隠したままに」


「あくまでも護身の為です。いつまた襲われるか分かりませんでした」


「助けを求めていたと話したが、相手が求めに応じなかった場合、どうするつもりだった」


「特には、考えていませんでした。そこまでの余裕は無かったので」


「こう言っては何だがな。最初から殺め、奪う算段だったのではないか?」


「……っ」領主の言葉に、首を絞められたかの錯覚を抱く。


 反論が出ない。口先の否定は容易いが彼の口調と瞳には絶対の確信が宿っていた。

 まさか、見透かされているのか。


「そんな、違います!」


 言い返せない俺の代わりに声を上げたのは、ここまで沈黙していたクシェルだ。


「クシェル……」


「何も知らないくせに! 兄さんはそんなことしない!」クシェルの声が部屋中に響く。滅多なことでは声を荒げることもない妹……そんな彼女の面様は兄を侮辱された怒りで満ちていた。縛られた両手を握り締め、固く結んだ拳は震えている。


「ね、兄さん? 違いますよね?」


 クシェルから向けられる純粋無垢な視線、混じりっけの無い想いに呼吸が詰まる。

 実際の所、望むように事が運ばなかった場合は殺して奪う。

 領主の言葉通り……図星だった。

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