第11話 窮地を抜けて


 深い森を抜けた先は、果ての無い空と草原だった。

 極端な明暗の差に目眩が起きる。

 目映さに目を細め、しかめ面で空を見上げた。

 雲一つない快晴、澄み渡る蒼天。視線を垂直に落とせば不規則に盛り上がる、波打つような草原が際限なく拡がっていた。風が吹けば草々が陽光を宿して踊り、その様はまるで自分が緑の海に立っている気分にさせる。

 大きな息が自然と吐き出される。とても言葉には出来ぬ、苦難の道であった。


「やっと……」


 やっと、脱出できた。

 途中途中に幾度心が折れかけたか……いや、挫けた日も確かにあった。

 その都度に騙し騙し進んできたのだ。いつかそのうちにと、常に自分に言い聞かせていた。希望と呼ぶには希薄な光を未来に思い描き、ここまでクシェルと二人。

 胸中は抑え難い歓喜で溢れていた。

 開けた空間で全身に浴びる陽光は、ここまで心地良いものか。

 頭上から注ぐ惜しみない陽射しを全身で受け止め、陽気な風を満足ゆくまで吸い込んだ。


「兄さん兄さんっ、あれは何でしょうか」


 開放感を噛み締めていれば、クシェルがおもむろに地平線を指差した。

 ずっと森の中に居たからか遠方の焦点がぼやけている。二度三度の瞬きにて焦点を合わせれば、辛うじて砂粒ほどの建物らしき何かを捉えた。

 二つ、どちらも大きな建造物のようだ。

 手のひらで傘を作ってさらに目を凝らす。そうすればまだ霞んでいたが、何かの印が記された石造りの塔と、真隣には風車小屋が確認出来た。


「いいぞ、よく見つけてくれたな」クシェルの頭をわしゃわしゃと撫で回す。無抵抗な彼女ははにかむと、得意げに鼻を鳴らした。


「あそこには人が住んでいるのでしょうか」


「多分な、そうだといいけれど」


「人……ですか」


 寄り掛かるクシェルは何か言いたげな思案顔で俺を見つめ、細い指で袖をきゅっと掴んだ。


「平気だよ。何かあっても俺が守るから、な?」


「でも……」


 珍しく目を逸らしたクシェルは閉じた唇を震わせ、改めて逃がした視線をこちらに戻す。

 言いたげな素振りであったが言葉にはせずに押し黙った。

 クシェルは他人に会うのをどうにか避けたいようだが、しかしこのまま二人で生き延びるのは現実的ではなかった。


 ……クシェルはこれ以上保ちそうにない。本人は口にしないが、森での食事の量は日に日に減っていた。

 いくら元気に振舞っていても実際に頬は痩せこけ、血色も悪くなっている。

 精神的も体力的にも深刻な状態にあるのは明白、だからせめて体調が戻るまで、少しの間だけでも誰かの助けが必要だ。

 それと寝床、納屋でも構わないから一泊させてもらえれば御の字だ。贅沢は言うまいが、屋根と壁のある場所で身体を休ませたい。


「大丈夫だから。ほら行くぞ」


 躊躇うクシェルの手を引いて、彼方の建物を目指す。

 なるようになれ、だ。事ここに至って今更恐れるものなどあるものか。最悪はこの身を汚しきる羽目になろうと構いはしない。

 草原を突っ切って進む。

 草は生き生きと背も高く、小さなクシェルは腰まで草に埋もれてしまっていた。

 背高草を掻き分けている様は本当に水の中を泳いでいるみたいだ。背負ってやろうかとも考えたが、はしゃぐ彼女を見て出し掛けた手を引っ込めた。

 少しすると、塔と風車小屋の輪郭が確かなものに変わってきた。

 比較する対象があるわけではないが、かなりの大きさではないだろうか。何処からか立ち昇る煙に期待が膨らむ。何者かが居るに違いない、自然と歩幅は広くなる。


「しかし、やたらと天気がいいな」


 土地柄か季節による影響か陽が暖かい。

 じっとしている分には心地よいが、歩いていると汗が滲んできた。もう少し涼しければ良かったのだが。


「でも風が気持ちいいですよ」


「まあ、そりゃあな」


 それから小一時間もしない内に、踏み慣らされた道に出た。草原の中に不自然に作られた道は、風車小屋まで一直線に続いている。

 茂みと道の境界上には浅い轍が引かれていた。丁度、両手を広げたくらいの幅だ。

 風車小屋と塔は目前となり、霞んでいた形貌も鮮明に見える。

 村にはこんな立派な建物は無かった、どのように造られているのだろうか。

 遠目から確認できた印は絵であった。

 盾の上に重なって、鍔迫り合い交差し二本の剣が描かれているようだ。

 何か意味のあるものかと、もう少し近づいてみる。何処となく既視感を抱くのは気のせいなのか。


「――――――兄さん」途端にクシェルが躓いたようにピタリと足を止めた。


 彼女の怯えた瞳に何者かの襲来を察知する。

 ざっと周囲を見渡すが、確認できる範囲には姿は無い。それとも草の茂みに潜んでいるのか……。耳を澄まして気配を探るが、葉擦れのさざめきに阻まれる。その代わりに足の裏に伝う振動がいくつか――――――正体を探る苦労も無く、前方より三頭の馬がやってくる。馬に跨るのは武装した男たち。


「クシェルは俺の後ろに隠れていな」


「わかりました」


 敵か味方か。クシェルを下がらせ腰に備えた斧に手を回す。

 通り過ぎてくれないものかと淡く期待をしたが、男たちは予想通りに行先を塞ぐ形で馬を止めた。立ち塞がった彼らは俺の瞳の色と、特にクシェルの容姿を珍しく思っているようだ。不躾な視線をしつこく浴びせる。


「――――――ここらじゃ見ない容姿だな。異国の者か?」


 美しい光沢を持つ銀の胸甲。手足には籠手、下半身には膝当てと脛当てを、男たちはそれぞれ装着していた。

 自分より一回り以上大きな肉体は、鎧越しでもよく鍛えられているのが分かる。

 腰には剣、背中には盾を装備しており、いかにも兵士と言った風貌だ。

 今の時点では敵意は無いようだが、いつでも攻撃に転じられるよう感覚を研ぎ澄ませる。


「質問に答えろ、お前は何処から来た」馬上から見下ろす男の口調はやや威圧的。敵意までは感じないが、やはり警戒されていた。


 正面の男の胸甲と、跨いだ馬の鞍には石造りの塔に記されたのと同じ印があった。背後の二人にも同じものが記されている。俺は「そうか」と一人、見えるか見えないかで小さく頷いた。父から教わった記憶に誤りが無ければ、この絵、いや、印は土地を治める人物……領主を表す紋章のはずだ。


「ずいぶんな身なりだが、何か身分を示すものは携帯しているか? 通行証や書状はあるのか」


 通行証――――口振りから個人を証明する、何か公的なものに違いないが、そんなもの所持している訳もない。

 この様子からして俺たちを狙う追っ手では無いようだが、どう答えたものか。


「どうした? まさか言葉が分からんわけでもあるまい」


「その、私たちはそういった物は持ってないです。ですが誓って、怪しいものではありません。つい先ほど二人で森を抜けたばかりで……怪我や汚れは森でつけたものです」


 背後を振り返り、伝わるようにその森を指差した。見れば見るほどに巨大な森だ、俺たちはあんなところを抜けてきたのか。口にしてみたが、どうも実感が沸かない。


「あの森を、子供がたった二人だけで?」


 兵士たちの纏う雰囲気が攻撃的なものへ変化した。明らかに不審がった様子、不味いことを言ったか。

 男が目配せをすると、後ろに控えた二人が俺とクシェルを囲うように、ぐるりと対角に回り込んだ。咄嗟に斧の柄から手を離す。


「その斧は何だ、どうも血が付着しているようだが、誰の血だ」


「森に居た兎の血です。狩ったものの、解体用の包丁がありませんでしたので」


 発せられたのは抑揚のない、自分でも白々しく思える声音。

 解答はほとんど反射的なものだった。

 当たり前だ。正直に「人を殺した」などと答えられる訳がない。

 用意した台詞では無いが、男たちは何か違和感を抱いたのか俺の顔を覗き込んだ。思わず視線を外しそうなる。しかし目を逸らせばあらぬ誤解を与えるかもしれない。


 あくまでも毅然とした態度で応じ、真正面から視線を受け止める。しかしどうやら、その態度が却って男の不信感を招いたらしい。


「なるほど」


 男は含みのある笑みを溢したかと思えば馬上から降り、素早く俺の肩を掴んできた。避けようと思えば避けられたが、抵抗を控える。


「何をするつもりですか」


「悪いが連行する。お前ら、二人を城まで運べ」


 凄い力だ。さり気なく振り解こうとするが、完全に抑え込まれている。

 全力で抵抗したとしても腕力では敵いそうにないな。穏便に済めば越したことはないが、どうなるか。


「あの、困りますよ。僕たち疲れ切っていて早く休みたいのです……どうか見逃しては頂けませんか」


「ははは、安心しろ、寝床くらい用意してもらえるだろうさ。快適かどうかは保証せんが、なあに、やましいことが無ければ何も問題無いだろう?」


 こいつ、完全に疑っていやがるな。

 やっぱり面倒だ、いっそここで殺してしまおうか。

 武装した男が三人に対してこっちは刃毀れした斧が一丁。

 どういうわけか微塵も負ける気がしなかった。

 最悪は馬だけ奪って逃げてもいいが、追われるのも億劫だ。ここまで来て踵を返すというのも気が滅入る。やはり殺すのが堅実だろうな。

 意識の隙を縫い、がら空きの急所を一突き。決して気取らせない。


 ほんの一瞬だ、その気になれば、瞬きよりも速くこの男を物言わぬ肉塊に変えてやれる。その力が自分には在る。躊躇わなければ、今すぐにでも。

 不用意に近づいてくれたおかげで、三人とも俺の間合いに入っている。


 二人はまだ馬上故に急所の位置が高い。正面の一人は簡単に喉元を裂ける。なら残り二人は馬を刺して、地面に落としてから仕留めればいいか。まとめて十秒と掛からないだろう、クシェルを逃がす必要も無い。


 背筋が粟立った。全身の毛が逆立つようだ。まさに斧を振ろうと力んだ直後、異変を感じ取ったクシェルが俺の右手を抑える。


「――――――……だめ」二人にだけ聞こえる声で、クシェルは囁いた。


「駄目って、どうした急に」


「もう、だめだよ」


 クシェルは俺が今から何をするつもりかを見抜いていた。

 宝石みたいなつぶらな瞳は鋭く細められ俺を捉えている。攻撃的、とは言うまいが確固たる意志を感じさせる、彼女があまり見せたことのない眼。


「殺しちゃ……め」


「何で、急に」


 ひ弱なクシェルの手を振り解いて男を殺すのは容易い。が、しかし、怯みなく開かれた翡翠の双眸が実現を阻んでいた。一歩も引くつもりはないと、そういう眼差しを向けてくる。


「わかったよ」

 

 こうなっては俺が折れるしかない。もう、どうなっても知らないからな。


「娘を前に、お前は後ろに並んで大人しく両手を出せ。言っておくが無駄な抵抗はするなよ、仕事とはいえ、子供を傷つけたくはないからな」


 男は縄で俺たちの両手を縛ると、馬に繋いで連行する。

 斧は取り上げられ、動きも封じられた。これで手出しは出来ない。

 逃げ出さないよう背に剣先を当てられて、これじゃあまるで、罪人じゃないか。


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