第3話 世間話とクシェルの約束

 朝食を終えたら早々に支度を済ませ、父と共に首長の元へ向かった。

 首長の家は村の端にあって、歩きだと十分から十五分くらいの距離。村は小さいが、俺たちの家がやや外れた位置にあるから、若干の距離があるのだ。

 出発の際、クシェルはやはり俺と離れたくないと駄々をこねた。


「早く帰るから、そしたら一緒に過ごそう」と諭したら一旦は納得してくれたが、「すぐに戻ってきてくださいね」と瞳を潤ませた別れ際のクシェルを思い出す。


 たしか首長の為に新しい納屋を建てると言っていたな……早く切り上げられるとよいが。

 一人溜息を吐けば、「お兄ちゃんは大変だな」と父が他所事みたくからかった。


 クシェルが懐いてくれるのは兄貴冥利に尽きるというものだが、もう少し自立して欲しいとも思う所存。

 今回の冬でもう十歳になったというのに、クシェルは友達もろくに居らず兄の自分にべったり。

 日中は家に籠りきっているから、身体は華奢で体力もない。

 もうちょっと外界との触れ合いを増やした方がいいだろうと思いつつも、あまり活発になって自分の手から離れてしまうのは、それはそれで寂しくもあるか。


 村を横断する最中、すれ違う村人と挨拶を交わす。

 俺も父も滅多に村に顔を出さないからか、結構な人数が寄ってきた。朝の忙しい時間にわざわざ話しかけられるのは、父の人徳あってのものだろうか。

 話し込むわけにもいかないので、それぞれと一言二言だけ会話して切り上げる。

 内容は「収穫はどうだ」とか、「娘は元気か」とか、そういう世間話。

 特にクシェルのことを気にしている人が多いようだった。まあ、クシェルこそ姿を見せないからな。村に小さな娘は彼女しか居ないのだから、気にもなるか。


 幾人かと挨拶を交わしている最中、遠巻きにこちらを眺める男に気付く。髭面の偉丈夫、見知った顔だ。住民が少ないから、知らぬ顔など当然居ない。男はしばらくその場に棒立ちしていたが、俺と目が合うや否や駆け寄ってきた。


「やっぱりヴォルフか、こんな所で珍しいな」

「おはよう。おじさん」


 気さくに話しかけてきた男は父の友人で、よく夕食の世話になっていた。父とは馬が合うのか、肴も無しに夜更けまで二人で酒を飲むこともしばしばある。


「ラグナルよ、ヴォルフまで連れてどうしたんだ。狩りには出ないのか?」

「狩りは明日だ。今日は首長から頼みごとをされて、今から向かうところだよ」

「へえ、あの頑固で偏屈な爺さんが。誰かに頼みごとをするとは珍しい」

「まあ、確かに変わり者ではあるけどね。彼は気の良い人だよ」

「お前さんは信頼されているから、特別に気を許しているんだろうさ」


 父の首長からの信頼は厚い。否、首長だけでなく父は村の皆からも慕われている。

 余所者だった父と母は、当初村では浮いた存在だった。外界との関りをほとんど持たない村は閉鎖的で、外部からの異物を良しとしなかった。父は多くを語らないが、さぞ暮らし辛かったことだろう。だが二人は不満を述べることも無く静かに、慎ましく暮らしていた。


 両親の評価が変わったのは、とある事件がきっかけ。

 あまり覚えはないが、なんでも俺が小さい頃、山から下りた熊が村を襲ったらしい。

 上手く冬眠出来なかったのか……獲物に困った熊が村までやってきたのだ。当然、村には熊と戦える者など居らず、腹を空かせた熊は食糧庫を思うままに食い漁った。

 皆、冬の備蓄が無くなっていくのを眺めていた――――――ただ一人、父を除いて。


 父ラグナルは剣を片手に、一人で倍以上の体躯を持つ熊へ近づいた。

 背後から並々ならぬ気配を察知した熊は振り返り、臨戦態勢に入った。鼓膜をつんざく砲声が放たれ、新雪が吹き荒れる。食事の邪魔をされた熊は怒髪天の形相で、父を睨み付けた。男曰く、それは一瞬の攻防だったという。


「今でもたまに思い出すよ。お前さんの親父、ラグナルの背中を」


 村を守った父は皆からの尊敬と大きな信頼を勝ち得ることになった。

 だから村にとって父は恩人であり、英雄なのだと、幼い頃より幾度となく語られた父の武勇伝だ。

 未だに半信半疑だが、父の剣技を知る身としては眉唾だと一蹴することも出来ない。

 何よりも男が父に送る敬意の眼差しが紛れもない真実であると語っていた。


「止せよ、昔の話だ」父は照れ臭そうに頬を掻く。


 驕らず、自身の手柄を主張しない父を誇らしく思う。村を守った功績がなくとも、そのうちに受け入れられていたのだろう。


「それじゃあな、二人とも。近いうちにまた家で食事でもしよう」

「酒盛りの間違いだろうに」

「がははは、そうとも言うか!」思い出話に満足したらしい男は豪快に笑い、早々と去っていった。

 そうして遠ざかる背を眺める父は、「陽気な奴だ」と口元を綻ばせた。


 ようやく首長の家に着いたのは、出発から三十分は経った頃。

 黒い樹皮ばかりが目立つ、寒々しい針葉樹の隣にひっそりと佇む家。

 村を治める存在なだけあって、住む家も一等派手な造り……なわけでもなく、どちらかと言えば控えめな、こじんまりとした家に住んでいる。大きさで言ったら、我が家の方がずっと大きいくらいだ。

 ドアを数回叩いて呼び掛けるが、応答はない。眠っているのか、もう一度強く叩いてみる。

 何度か呼び掛けてみたが返ってくるのは静寂ばかり。耳を添えて、ドア越しに音を探ってみるが、人の気配は無かった。


「おかしいな、約束は今日のはずだが」


 はてさて何処へ行ったものか。首長の行先に心当たりはあるかと訊ねるが、父は困ったように頬を掻いた。どうやら分からないらしい。


「父上、あれを見て」一頻り周囲に目を配ってみれば一つの痕跡を発見した。


 何かを引きずった跡、もしくは轍か。

 薄くはあるが土の捲れ方から新しく、人為的なもの。等間隔に走った線は首長の家よりさらに奥、枝木が繁茂する山の方までも延々と続いている。もしかして、いや、まさかな。


「とりあえず辿ってみようか」特にこれという宛てもないので痕跡を辿ってみることに。父と二人、なだらかとは言い難い山道を追う。


 冬を越え、春を迎えた木々は色彩を増しては大地へと貪欲に根を回していた。

 深碧に覆われた木立から漏れる陽は光の紗幕となって、行く先をまばらに示している。木々に濾された空気は一際冷たく澄んで、時折そよぐ風は温まった身体には心地よい。


 奥へ向かう程に緑に鎖される獣道、なるべく傷つけないように草木を掻き分ける。

 依然、痕跡は奥に続いている。そこそこ歩いたが、まだ先があるようだ。一体何処まで続くのだろう。 

 苔と雪解けで湿った足場がグリップを奪い、緩やかな斜面が着実に体力を削る。

 限界とは言うまいが、流石に息が切れてきた。

 

 小一時間は歩き続けると、ふいに微かな音が鼓膜を掠めた。

 風に乗って届いた、木の葉のさざめきに消されてしまいそうな音。聞いた覚えのある旋律だ。はて、何の音色だろう。しばし記憶を遡ってみても、ピンとくる物が見当たらない。喉元まで出掛かっている感じはあるのだが。


「斧の音だな、木を伐っているのだろう」


 首を捻らせる俺の隣で父が呟いた。伐採、言われてみれば確かにそうだ。得心がいった俺は「ああ、なるほど」と頷いた。と、いうことはすぐ先に誰かいるのか。でもこれで首長じゃなかったら、とんだ骨折り損になるな……。


 音を頼りに前進すると、いくらもしないうちに緑が開けた場所に出た。

 見上げれば雲一つない晴れ間が広がっていて、開放的な気分になる。

 大きく息を吸えば冷えた空気が火照った身体を一気に冷ましてくれるようだった。細部を巡る血から熱が消えていくのを感じる。

 しかしながら、ずいぶんと変わった場所だ。意図的に切り拓いたのか、よくよく見れば切り株だらけ。


 何気なく目を配らせれば、斧を振り回す老人の姿を見つけた。

 ……首長だ、本当に居た。こちらに気付いているはずだが、依然として斧を下ろす気配は無い。淡々と斧を振るい、木を倒すための追い口を作っている。父も遠慮しているのか声を掛けようとはしない。とりあえず伐倒が済むまで待つ気らしい。


「おはようございます首長、探しましたよ」


 木が倒れるのを見届けて、やっと首長の傍へ駆け寄る。首長は父の挨拶に素っ気なく応じると、やや不機嫌そうに唾を吐いた。


「ラグナル。待ちくたびれたぞ」


 訪ねてこない父に痺れを切らした首長は、一人で作業を始めていた。

 首長の脇に止められた荷車には斧や鋸や縄、沢山の道具を積まれている。一人で運ぶのは結構な負担だったろう。


「あまりに遅いから忘れているかと思った。大方、何処かで道草でも食っていたか」


「ええ、そんなところです」


 何時から始めたのか首長の周囲には切り倒された、あるいは製材された木材が転がっている。

 相当な量だ、概ね何週間も前から準備していたのだろう。齢六十にも迫ろうというのに無茶をする。

 俺は内心呆れていたのだが、父はそうでもないようで、相変わらずといった具合で首長へと近づいた。


「老体とは思えない精強さですね。今度狩りにでも出ますか?」


 冗談めかした口調の父が弓を射るジェスチャーを披露する。首長はおどけた父に冷淡な笑みを返す。


「馬鹿を言うな、日に日に弱っていくようで堪らんよ。だというのにやらねばならぬことは死ぬまで変わらん」


 斧を振り回す剛腕からは加齢による衰えなど毛ほども見えないが、忌々しく歪ませた顔には歳月を思わせる皴がはっきりと刻まれていた。


「寄る年波には勝てませんよ。皆同じ、そうして次の世代に回っていく」


「確かに」首長はどっしりとした溜息を吐いてから首を鳴らすと、俺の方へとぬっと向き直る。「今日は倅も一緒か、頼もしい」


「どうも、お久し振りです」

「ああ。直接会うのは半年振りだ。一層とラグナルに似てきたな、いくつになった?」

「今年の春で十五になりました」


 世間的には男女ともに十五歳からが成人の扱いをされる。

 男性は農地や家業を継ぐか、徴兵や志願して兵役に服するか。女性の場合は大半が嫁入りを行い、相手は互いの親族が見繕う。


「もう成人の年だったか。やっと一人前だな。嫁はどうだ? 村に手頃な相手はいるのか?」

「どうでしょうか。もしかしたら、見つからないかも」

「ヴォルフはてんで駄目ですよ、クシェルにばかりかまけて、浮ついた話なんて持ってこない」

「父上、黙って」

「ははは、まあ、焦ることも無い。かく言うわしも一人身だ。……どれどれ」


 首長は急に真顔になったかと思えば、舐め回すような視線を俺に向けてくる。まるで品物を値踏みする時のような、鋭く粘っこい目だ。


「な、なんでしょう?」

「いいから、ほれ、動くでないぞ」


 何を考えたのか、無言で俺の四肢を揉み始めた。

 両の指から前腕に上腕。首、肩、胸、背中、腰回り、大腿部から爪先までをがっしりと掴んでくる。一体何をされているのだろう。一頻り触り終えると、首長は満足気に笑みを浮かべる。


「……逞しい身体だ。よく鍛え、よく食べているのが分かる。稽古はまだ続けているようだな」

「え? ええ。まあ、残念ながら披露する機会はないですが」


 もちろん、活躍の機会など来ない方がいい。平和が一番だ。

 俺としてはちょっとした軽口のつもりだったが、首長は「んん」と喉を鳴らすと目を細め、そして、どこか事有り気に語った。


「それは判らんさ、何事にも絶対はない。最近は特に……冬前に立ち寄った旅商人の話では、西の隣国が未だ戦争を続けているとも聞いた」

「戦争ですか……」


 あまり聞き慣れない言葉だ。

 何となく復唱してみるも、現実味は全くなかった。

 だって、そうだろう。戦争に参加したことはおろか、軍隊を見たことも無いのだ。


「何でも成人を迎えた男は皆、無理やり徴兵されるらしい。逆らうものは謀反ありと捕らえられ、戦から逃れようとわざと病に罹る者も少なくないと。過酷な戦場から逃げ、賊に堕ちる者も多いとも聞く」


 凄惨極まる戦場を怖れ、しかし敵前逃亡は罪に問われる。

 そうした者達が行き着く果ての一つが、無辜の民から奪い犯す、賊の類。

 首長があんまり真剣に語るものだから、ついつい不安になってくる。茶化すように「ここは大丈夫だろう」と問うたが、首長は難しい顔をして押し黙ってしまう。

 やたら神妙な面持ちが不安をさらに煽る。

 まさか首長はこの土地にまで災禍が及ぶと考えているのか。


「いや流石にこの村まではやって来ないよ。こんな辺鄙な場所、王国から忘れられているくらいだから。あまり馬鹿な事ばかり考えていると、現実となってしまうぞ」


 こちらの胸中を読み取った父が要らぬ杞憂だと一蹴する。

 本当にそうであればいいなと心から願い、俺は父の言葉に従って思案するのを止めた。

 不安がったところで為すことは変わらないのだ。仮にその時が来たならば、俺は教わった全てを賭して皆を守ればいい。


「さて無駄話はここまでだ。ちんたらしていたら日が暮れてしまう。ささっと終わらしてしまおう」


「お前にはクシェルとの約束があるのだろう」と継いで父が耳元で囁く。そうだ、余計なことを考えている暇はなかった。

 クシェルは約束事に厳しくて、ちょっとでも約束を違えばへそを曲げてしまうのだ。幸いにも材料は先に用意してくれている。三人で村まで運んで、そこから納屋を建てて……手際よくやれば日暮れ前くらいには帰れるのかもしれない。


「――――ならば先ずは伐採からだな、まだまだ木材が足りんのだ」

「うぇえ……」


 淡い期待を打ち砕く首長の宣告。

 どうやら早く帰れそうにはないな。

 二人に聞こえないように、小さく溜息を溢した。


 首長の手伝いを終えて帰路につく頃。

 とうに陽は傾いて、西の空は朱に染まりだしていた。反対に東の空は藍色に移ろい昏い影が潜んでいる。夕闇が迫り、すぐに夜がやってくるだろう。


 結局、納屋は今日一日では完成しなかった。

 一応は骨組みまで済んでいるので、もう一日あれば完成まで持って行けるだろう。

 だからまた後日、適当な日にちを決めて手伝いに行く予定だ。


 ◇


「――――ただいま、クシェル」

「ずいぶんと早いお帰りですね」


 家の前でははち切れんばかりに頬を膨らすクシェルが待ち構えていた。


「や、その。まあなんだ、遅くなってごめんな」


 下手な言い訳はせず素直に頭を下げる。

 クシェルは賢く機微に聡い。取り繕った言葉や、その場凌ぎの言い訳は通用しない。誠心誠意謝るのみだ。

 クシェルの態度は冷たいもので、つんと鼻を上げるとしかめっ面のままそっぽを向いた。

 約束も守れない兄とは目も合わせないっていうのか。そのくせにうっすらと開いた瞼からはちらちらと視線を感じるが……。生意気にもこっちの出方を窺っているらしい。


 しかしこちらも伊達に十年間クシェルの兄をやっているわけではない。

 有事の際の対処法くらいは心得ている。


「そういじけるなよ、ほら」


 むくれたままのクシェルを宥めようと彼女の頭へ右手を伸ばす。

 クシェルは一丁前に躱そうと頭を右に逃がしたが残念、右手は囮で俺の本命は左手だ。

 俺が何年父と剣術の稽古をしていると思っている、幼い妹の動きを見切るなど造作もない。


「で、ですから……その……ち、小さい子みたいに、扱わないでください」

「俺からしたらクシェルは可愛くて小さな妹だよ」


 こうするとクシェルは不服そうな態度こそ取るが、置かれた手は決して払うことも無く、大人しく撫でられる。

 妹は寛大なので、ちょっと頭を撫でてやれば大抵のことは許してくれるのだ。


「どうだ、機嫌を直してくれたか?」

「……お仕事ですから、今回は我慢します。でも、次は許しませんよ?」


 もう幾度目になるかも分からぬやり取り。

 なんだかんだ言っても、クシェルは俺に甘い。

 依然として表情はむくれたままだが、一応は納得してくれたようだ。


 何故か俺の代わりに父がこっぴどい怒られ方をしていたけれど……これは気にしないでおこう。

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