王太子殿下の苦悩
(――なんで気づかないんだ、コイツは!)
へらへらと笑うクラウディアを目前として、もはや何回心のうちで叫んだかもわからない叫び声をあげる。
破邪の守りがはじけ飛ぶ音を聞きながら、いい加減にしろ、と眉間にしわを寄せた。
◆ ◆ ◆
(……俺のこと、好きだな、コイツ……)
自室に設けられた洗面台で顔を洗う。水の冷たさでわずかに頭が冷える。
そろそろ己に向けられる魅了魔法の強さが、洒落にならなくなってきた。
魅了魔法のコントロールがうまくなるのに反比例して、自分だけを狙った魅了魔法の精度が凶悪になってきている。
少し油断をすれば、すぐに破邪の守りが爆散してしまう。これはよくない。クラウディアの特訓という意味でも、自分の立場としても、望ましくない状態が最近は続いていた。
クラウディアがもう少し自覚してくれれば、もしかしたら対自分への魅了魔法のコントロールもなんとかなるのでは――と思うのだが。
(俺も俺だ。こうもアイツの魅了魔法にヤられるとは……)
ぐしゃ、と片手で前髪をかきあげる。
どうしても、クラウディアを見ると、クラウディアと一緒にいると、クラウディアをかわいいと思わずにはいられないのだった。
(このままではいかん。……考え方を変えよう)
鏡で己の顔を見つめながら、思案する。
クラウディアはかわいい。そう、かわいいのだ。客観的に見ても間違いない。十人中十人はかわいいというだろう。百人くらい集めたら少し怪しいが、よほど好みに合わない場合でもなければ、ほとんどの人間はクラウディアをかわいいと思うだろう。
俺の顔がいいことと一緒だ。クラウディアがかわいいのは当然のこと。当然のことにいちいちこの俺が心を乱すべきではない。
そう思えば、乱れた胸中もスンと凪ぐ。
大丈夫だ、なんてことはない。アイツがかわいいからといって、いちいち動じる必要はないのだ。そもそもアイツはかわいいのだから。
当たり前のことだとそう思えば、気持ちはすっきりして、心に余裕ができたような気がした。
フッと鏡の前で笑い、髪を整え終えた俺は椅子にかけておいたマントを羽織り、自室を出て学園に向かった。
◆
その日の放課後。特訓場所のいつもの校舎裏で奴は切り株に座ってニコニコと俺を待ち構えていた。
俺が校舎の陰から現れるのを見ると、ぱああとわかりやすく顔色を明るくする。
かわいいな――と思いつつ、俺は笑みを浮かべる。この程度は想定内のかわいさだった。
なにやら包みを持って駆け寄ってくるのもかわいかったが想定内だ。
「殿下! 製菓クラブの子からクッキーもらったんです! 一緒に食べませんか?」
「クッキー? ……ずいぶんかわいい見た目だな」
「えへへ、かわいいですよね。ネコちゃん」
クラウディアは俺に見せつけるように、両手に持ったネコ型のクッキーを顔の横にやってニコニコと笑う。
「そうだな、かわいいな」
そうだ、かわいい。つい真ん中のクラウディアに目がいくが。
たしかに、見事なアイシングが施されたクッキーだ。相当の技術を持った人物が制作したものだろう。
「この意匠……。製菓クラブ所属ならば、リディア・カリルの作か?」
「えっ⁉︎ どうしてわかるんですか?」
「これほど細い線描でアイシングできる技術を持つものは限られている。さらに製菓クラブ所属で貴様と仲のいい人物に限定すればおのずとわかる」
「すごい、殿下、全校生徒を把握しているんですか⁉︎」
「当然だ。未来は国を統べるのだぞ、魔術学園程度の規模、把握しきれんでどうする」
「で、殿下、さすがです!」
クラウディアがすみれ色の瞳を輝かせる。
(ふん……かわいいな)
余裕を持って、クラウディアの丸い後頭部を見下ろしながら俺は目を眇めた。そうだ、かわいい。それがどうした。コイツがかわいいのは当たり前だ。
ニコニコとクッキーを食べるクラウディアを見ながら、ふと彼女の育ちに思いを馳せる。
聞けば、そうとうちやほやされて育ってきたらしい。幼い頃から父の商談に同席する機会が多く、父の事業の規模の拡大に合わせて各地を転々としてきたクラウディアはあまり同年代の友人というものを持たなかったそうだ。身の回りの人間のほとんどは歳の離れた大人ばかりで、さらには猫可愛がりで育ってきた。
この魔術学園に入学するまでは人の悪意に触れる機会もほとんどなかったのだろう。特に父親はクラウディアを溺愛していたようで、娘に危害を加える恐れのある人間は近づけさせないように徹底したようだ。――クラウディア自身にその自覚はないようだったが。へらへらと「お父さんが〜」と話しているのを聞いて色々察した。
おそらくだが、クラウディアは魔術学園に入学して魔力の使い方を知ったことがきっかけで爆発的に魅了魔法を放出するようになりああなった……のだろうが、しかし、それ以前にも魅了魔法は漏れ出ていたはずだ。
クラウディアのこの容姿とポンコツ具合と無自覚の魅了魔法で、よくぞ今まで無事だったな――と思ったが、父がそうとう『いいお父さん』だったらしい。邸の使用人も住み込みの使用人は全員女のみで、男は日勤のみでそれも中年の妻子持ちに限定するという徹底ぶりだ。
父親の徹底した守護っぷりと、まああとは、ポンコツながらも野生の勘というか、思い切りと機転はいいからなんとかなっていたんだろう。
そういった環境で育ってきたクラウディアは、基本的には人を疑わない、人懐っこい性質が育まれてきたようだった。
それでも、魅了魔法に振り回され、学園に入学してしばらくは心細い気持ちを味あわされたようだが――そこに現れたのが俺だ。
自分で言うのもなんだか、それでクラウディアが俺に対してゼロ距離の信頼を置くのは、わからんでもない。わからんでもないが。しかし。
(もう少し、意識するとか、警戒するとか、ないのか貴様は⁉︎)
すぐそば、手を伸ばせばすぐに触れられる位置にあるピンク頭のつむじを見下ろしながら、眼だけで圧をかけるが、クラウディアは全然気にしていなかった。
「殿下、クッキーおいしいですねえ」
「……そうだな」
顔を上げたクラウディアはへへ、と口元を緩めて笑っていた。
たしかに、クッキーはうまかった。見た目だけでなく味も両立している技術に恐れ入る。制作者のリディア・カリルはおそらく、このまま製菓のスペシャリストの道を志すのだろう。
「あっ、そうだ。今日、魔術工作の授業でブレスレットを作ったんです! 殿下のことを考えながら作りました!」
そうか、だから二時限目の座学の真っ最中に破邪の守りが爆ぜたんだな。やめろ、お父さんのことでも考えていてくれ。
「……あれっ、どこにいっちゃったんだろう……。あれぇ……おかしいなあ」
ちょっと待っててくださいね、と言ってクラウディアはその場にしゃがみ込んでカバンの中を探り出した。男の足元に躊躇なくしゃがみ込むな。俺の方が居た堪れなくて、自分も一緒にその場にしゃがんだ。
(くそっ、いちいち「あれぇ?」と言いながら頬に指を当てながら小首を傾げるのはやめろ! 唇尖らせるのもだ!)
クラウディアは無意識だろう仕草だ。こういう仕草のひとつひとつが、一部の女子から「あざとい」「ぶりっこ」「男に媚びを売っている」と言わせるのだろう。
これも大人たちからちやほやされて育ったゆえに身についてしまった仕草だろう、そうとうかわいいかわいいと言われてきたのだろうな、実際にかわいい。
「あっ、あったあった! ありました、殿下!」
「そうか、よかったな」
「殿下! よかったら受け取ってください! 殿下に似合うと思って作ったんです」
クラウディアは大きな瞳をキラキラとさせて、俺にブレスレットを差し出した。
「あっ」
受け取ろうとして、手が少し触れる。
びくりとわずかに手が引かれ、少し驚く。
(気にしない奴だと思ってたんだが)
「……もらうぞ」
「あっ、は、はい!」
クラウディアの手のひらの上に置かれたブレスレットをつかんで持っていく。あせあせとしたクラウディアはこくこくと頷いた。
「そうだな……装飾も、魔力付与もうまくできてる。悪くはない」
「ほ、本当ですか!」
はあ、とクラウディアは胸をなでおろし、ホッとしたようだった。
紺色の宝玉で作られたブレスレットを、腕に通して眺めていると、クラウディアの視線を感じた。振り向くと、目線がかちあう。
「……殿下に似合うといいなあと思って作ったんです。よかったぁ……」
クラウディアがはにかむ。白く滑らかな頬を自身の髪色と同じような薄桃色に染め、丸く大きな瞳を煌めかせながら俺を見上げていた。自分で本当に気づいていないのだろうか、潤んだ瞳にはわずかな緊張感が滲んでいた。
その時、クラウディアの儚さすら感じる愛くるしい顔に反比例してえぐい威力の魅了魔法が叩き込まれて、当然のように破邪の守りがパンと音を立てて散った。
もはや、破邪の守りが爆散せずともわかる。明らかに『あ、俺のこと好きなんだ』とわかる目をしていた。
(なんでここまで好意を滲ませておきながら、お前自身は気づいてないんだ……⁉︎)
男として見られていないのでは? とも考えた。いや、それはない。そうだとしたら魅了魔法が放たれるには至らないはずだ。
まあ、男として意識しているにしても距離感が近い――が、それはクラウディアの生来のものだ。
俺はクラウディアのことが好きだ。好きな相手から好意を向けられているとわかれば嬉しいに決まっている。……はずなのに。
(貴様は本当に、なんでそう、締まらないんだ⁉︎)
嬉しいと思うよりも、無自覚がすぎるクラウディアにたいして、俺はイラついていた。
◆
(……今日も、疲れたな……)
クラウディアとの特訓を終えて、自室に戻ってはきたものの。
疲労と尽きぬ悩みのせいか、なかなか寝付けず、いたずらに本を読んでいたのだが、もう夜更けである。
いい加減に寝よう。そう決めた俺だったが、ベッドに片膝を乗せた瞬間に破邪の守りが爆散した。
(……今か?)
なぜ破邪の守りが散ったのかなど、考えるまでもない。
俺にとって、この学園に存在する脅威はクラウディアだけだ。
つまり、クラウディアが今、この夜中に自分のことを想っていたということに他ならない。それも、魅了魔法がこの距離においてでも届くほどの強さで。
魔術学園の学生寮は男子寮と女子寮に別れていて、真ん中に魔術学園の校舎を挟み、西側に男子寮、東側に女子寮がある。相当な距離があるのだ。
叫び声を上げなかった己を褒めてやりたい。ここが寮でなければ叫んで壁の一つでも殴っていた。代わりにとばかりにガシガシと髪をかき乱す。
(あああああ! 寝る前に! 俺のことを! 考えるな‼︎)
なんでそれで、それでいて、お前は気づかないんだ。
今日もまた、むしゃくしゃとした気持ちを抱えながら床につく。
「あっ、殿下! おはようございます。……あれ? くまができてるなんて、珍しいですね。どうかしたんですか?」
次の日に会ったクラウディアの目がいつも通りキラキラとしているのを見て、腹立たしくなってほっぺたをちょっとだけ引っ張った。見た目よりもっちりしててよく伸びる。
「ああくそっ、なんでこんなにもちもちしてるんだ、貴様は!」
「えっ、ええ〜⁉︎」
「捏ねてやる!」
「ふぇええ」
この距離感でじゃれ合う居心地のよさを感じつつも――。
(いい加減に! 気づけ!!!)
内心でそう叫ばずにはいられないのだった。
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