王太子は魅了の乙女を見つける

本編が始まる前日譚(殿下視点)のSSです


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 魔術学園の一年は寒い寒い冬に始まる。


 初々しさに溢れた新入生たちはみな防寒具に身を包み、もふもふと膨れ上がった姿はまるで雛鳥のように見えた。


 校門をくぐるその様子を、俺は三階の廊下の窓から眺めていた。


(今年はアストラル家の子女が入学する。辺境の要、ガーディラル家の娘も)


 魔術の名門の家系を次々に頭に思い描きながら、道ゆく新入生を一人一人を目に入れる。

 去年はどの人物に対しても妃にふさわしいと確信を得ることはできなかった。学園生活はあと二年ある。その間に親交を深めていけば新たな気づきがあるかもしれないが……。


 相手は何も同級生でなくてもいい。今日入学したうちの誰かと、善き出会いとなる可能性もあるだろうかと思いを馳せる。


 家柄はあまり重要ではない。大切なのは妃の素養――それ以上に、一人の人間として自分が好ましいと思えるかどうかだ。そして、最低限の条件は魔力に恵まれているか。それが王家に命じられた条件だった。この国を支えるにふさわしい魔力とその魔力を正しく行使できる人間を妻とせよ。それが王太子に求められるこの学園生活三年間のうちに達成せねばならない義務だった。


 新入生が入学してからふた月ほどして。東洋の国から魔術学園に親交の印にと贈られたサクラの蕾が芽吹き出したその頃、異変があった。


(最近はあまりつきまとわれんな)


 未来の妃を狙ってギラつく令嬢たちに囲まれることが減った。去年は辟易するほどであったのに。


 身の回りの令嬢が減り始めてしばらくはこのくらい落ち着いていてくれていた方がゆっくりと嫁候補を探せてよいと考えていたが、さらに時が経ってくると本格的に令嬢たちは自分に興味を失っていったようだった。


 いや、用事があって声をかけさえすれば頬を赤らめ黄色い声をあげるあたり興味自体は失ってはいないかもしれない。正確に判ずるならば、自分よりもさらに大きな興味を持つ対象を得た、と仮定すべきやもしれなかった。


 変化があったのはご令嬢だけではなかった。よく知った利発な友人が近頃はぽんやりとしていることが増えた。男子生徒は軒並みぽーっとしている姿が目立つようになっていた。魔術学園に通う生徒はみな、勤勉であったはずなのに。


 変化が見られるようになったのは今年の新入生が入学してからのこと。


 学園全体を注意深く観察していると、どうも一番ポヤポヤしているのは一年生の男子たちであることに気づく。新入生だから、というポヤポヤ具合ではない。


(……新入生に、魅了魔法の使い手がいるのかもしれない)


 俺はそう推察した。であれば、関わりが一番強いだろう一年生たちが一番ポヤポヤしているのも納得だ。


 魅了魔法は国家神殿にて封印されている禁忌魔法だ。厳重に管理されており、人がその術を知ることは叶わないはず。


 だが、世には生まれつきなぜだか特定の魔法を使える、という人間がいる。貴族には血統によって受け継がれる特殊魔法を扱える一族がいるが、それと似たようなものだろう。かつて先祖が使えた魔法を生まれつき使える子孫が生まれてくる事例は確認されている。


 本来であれば魅了魔法は術者の思い通りに人を操る魔法だが、学園の生徒たちの様子を見る限り誰かに操られてなにかをしている、という動きは見せていない。


(だとすれば、術者は無意識に力を使っている可能性が高い)


 魅了魔法をただただ撒き散らし、対象の意識を散漫とさせている。いまのところはそれだけだ。未来ある若者たちをふぬけにさせている点は大迷惑だが、実害は出ていない。同性すらも魅了魔法の影響を受けているあたり、なかなか強力な魅了魔法の使い手だろう。

 誰が術者であるかもまだわからない。周囲の観察を怠らぬよう気を張りつつも、もう少し様子を見ようと決めた。


 魅了魔法の術者はすぐに見つかった。なにしろ、魅了魔法にかかった被害者たちに取り囲まれたり、学園内で常になにかしらトラブルを巻き起こしているので目立っているのですぐわかった。

 薄桃色の髪を揺らしながらキョロキョロと逃げ道を探している女の子。俺は物陰から身を乗り出して観察を始めた。


 ……なるほど、アイツがそうか。

 目を細める。なにがなるほどかと問われれば、彼女のその容姿だ。


 魅了魔法は使い手自身の魅力によって影響力が左右されやすい。魔力の強さ自体ももちろん魔法の強度に作用するが、たとえ弱い魔力でも術者に対して好意的な感情を持っていればそれだけ魅了魔法はかかりやすくなる。


 柔らかそうな薄桃色の長い髪、すみれ色の大きな丸い瞳、長いまつ毛、小さい唇、白い頬はわずかに赤らんでいる。


 有体に言えば、かわいらしい少女だった。この俺が一目見てふと「かわいいな」と思う程度には。


 この容姿であれば、学園中にこれほど魅了魔法を蔓延させているのも納得ができた。小さな頭と華奢に見える体躯と、それでいてこの顔ならば同性であっても「かわいらしい」と思うだろう。少しでも「かわいい」と思わせられれば魅了魔法の脅威の被害者となる。何よ、ちょっとかわいいからって! という嫉妬すら、「かわいい」と頭にちらついた時点でアウトだ。


(……たしか、アイツは……国内有数の商会、フローレス商会の一人娘だ)


 名はクラウディア。娘を溺愛する父がこの学園に入園させるのに際してわざわざ男爵位を金で買い、貴族の娘として送り出したと聞く。フローレス商会はその父の一代で一気に名を挙げた商会だ。

 それまで冴えないいち商人と言われていた男だが、なんでも娘が産まれてからトントン拍子に大きな商談がまとまるようになり、のし上がっていったという。


(まさか、な)


 娘、すなわちこの薄桃色の髪の少女クラウディア。彼女の魅了魔法によって顧客を得ていた可能性がある。

 商人の父も、娘クラウディアにもその自覚はないだろうが。


 魅了魔法自体は禁忌扱いの魔法である。だが、だとしてもこの父娘のケースについては罪に問えることではない。証拠はないし、娘の魅了魔法のおかげで客を得るチャンスに恵まれたのだとしてもその客を逃さず小さな商会を今や有数の大規模商会へと発展させた手腕は父が本来持っていたものと見るべきだろう。


 俺はこの新入生、クラウディアの様子をしばらく観察することにした。


 クラウディアが己の魅了魔法に振り回され、トラブルに巻き込まれるのは日常茶飯事のことだった。どこか人気のない場所に呼び出されて迫られて男の婚約者が登場してなぜかクラウディアを巡って婚約者同士が争ったり、廊下で急に告白されてぞろぞろ「俺も、私も」と取り囲まれたり。


 見ていてあまりにも哀れだったので、つい手を差し伸べてしまったことがある。


 廊下に人を押し寄せて逃げ場を失ってしまったクラウディア。『姿消し』の魔法を使って物陰に潜みながら、俺は風の魔法を使って突如廊下に強い風を起こし、隙を作ってやった。風に追いやられ、クラウディアを取り囲む人の壁に一筋の逃げ道ができる。


 クラウディアの反応は素早かった。自分から注意が離れたと察すると瞬時に床を蹴って走った。さあどうやって逃げるのか、と少し興味深く見ていると、なんとクラウディアは廊下の窓から飛び降りたのだった。


 薄桃色の長い髪と制服のスカートをひらりと舞い上げて、軽々と二階から地上に着地する彼女。身体強化の魔法を使ったのだろう。こともなげに着地をするとすぐさまどこかへ姿を消した。判断の早さと迷いのなさから見るに、こうやって逃げることには慣れているんだろう。


(……見事!)


 笑い出しそうになるのを堪え、心の中だけで称賛を送る。一連の動作の見事さがなんだか痛快だった。一瞬にしてクラウディアを見失った魅了魔法の被害者共はオロオロと周囲を見回して彼女の名を呼び惑っている。場に術者がいなくなったことから、魅了魔法の影響が薄まると揃って首を傾げながら学園の日常に帰っていった。


 まさか窓から飛び降りて逃げ出すとは思っていなかった。廊下の人の壁に作ってやった隙間からなんとか逃げるかと思っていたら、自分の想像よりも遥かに鮮やかに逃げおおせてみせた。


(まだ学園に入学したばかりだろう。平民出ということはそれまで魔法を学ぶ機会はほぼなかったはず。入学からまだ数ヶ月も経っていない。だが、あの高さから無事に着地できるほどの身体強化を己に付与できる、というのはなかなかいいセンスだ)


 日々、追いかけ回されているからこそ得たスキルだろうか。いつ頃から窓から飛び降りるという手段を思いついたのだろうか。


 薄い桃色の髪が早咲きのサクラの花びらと共に舞い落ちていく光景がやけに目に焼き付いていた。


 魅了魔法の術者である、という以上の興味がふと湧いた瞬間だった。


 ◆


「――アイリス! 君との婚約を破棄する! そして……僕はこの男爵令嬢クラウディアと新たに婚約を結ぶことをここに宣言する!」


 定例の学校集会、生徒会長であり公爵家嫡男であるゴードンが魔道マイクを使って高らかに宣言した。


(何をバカなことを)


 ゴードン・ティミス……ティミス公爵家とアイリス・ナビリアの婚姻は政略的な意図の強いものだった。ナビリア侯爵は伝統のある家柄だが、長年水不足に悩まされていて苦労をしていた。一方のティミス公爵家は豊かな水源を持っており、ナビリア侯爵領地にずっと水の融通を利かせていた。


 近年では友好を保っているものの、かつてこの二つの領地は水を巡って血を血で洗うような争いをしていた歴史を持つ。ティミス公爵領に住む過去の歴史に造詣深い老人たちからは「あのナビリアに我らの大切な水を渡すなど!」という強い反発が根深かった。


 そこでティミス公爵家とナビリア侯爵家との縁談が組まれたのである。ナビリア侯爵領地は水の恵みはないものの、大規模な鉱山を所有しており婚姻をしたあかつきには何割かをティミス公爵家に所有権を移す約束をしていた。


 ティミス公爵領にとっても利点の多い婚姻である。幸いなことに、この二人は相性が良く幼い頃から良好な仲を築いていてきていた。だからこそ組まれた縁談だった。二つの領地を結ぶ太い縁となるはずの二人だった。

 さすがにこれは放ってはおけない。フォローが必要だ。これからどう動くべきか、頭を巡らせる。


 ゴードンから婚約破棄を言い渡されたアイリスは気丈にもよく通る声で彼に反論していた。


「あなた、なんてことをいうのですか……わたくしが、この、全世界で一番愛らしいクラウディア嬢に嫌がらせなど! するわけ、ないではないですか!!!」


 ……アイリスもポンコツになっていた。


(この二人の仲を取り持つにしても、まずは、あの魅了魔法娘をどうにかせんことにはどうにもならんな)


 混沌とする会堂からいつのまにか姿を消していたピンク頭を脳裏に浮かべる。


 一学期、そして短い春休みを終えて、一ヶ月。いまや季節は初夏に差し掛かろうとしていた。


 ◆


 それから数日、俺は引き続き様子を見ていた。

 ヤツが脅威であることは確実。だが、どう攻めるべきか。万が一、己の魅了魔法をいいように思っているのであれば攻め込み方を考える必要がある。


 あれだけ追いかけ回されていたら、普通は困り果てるだろう。そのわりにはクラウディアはのんきに見えた。迫られて逃げているくらいだから、困っている――はずだが。そのわりには、自分の魅了魔法について全く自覚せずにいるのはいささか不思議に思えた。


 学園中に魅了を振り撒き、学園中から愛されているのに、皮肉なことにクラウディアについてよく知るものは学園には誰もいないようだった。クラウディアとは一体どういう人物なのか。もう少し彼女のことを知れたら然るべきアクションを取ろうと考えていた。


 来る日も来る日もクラウディアは毎日同じように誰かに迫られたり修羅場に巻き込まれたり取り囲まれたりしていた。逃げ込む先は大抵決まっていて校舎と校舎の間に設けられた中庭の茂みの中。茂みの中で息をひそめ、危機が去ったと見たらコソコソと目的地へ移動を開始する。なんとも健気な姿だった。


(しかし、コイツ、なぜ己の状況を疑問に思わない? なぜ状況を打破できるように動かない?)


 それが不思議でならなかった。本気でのんきなだけなのか、内心では周囲の人間にチヤホヤされていることを喜んでいるのか。

 とはいえ、俺がのんびりと様子見をしていたのはほんの数日のことだった。学校集会での盛大な婚約破棄宣言事件から数日経ってのこと。その日も俺は物陰に潜み、クラウディアの様子を見ていた。


 そしてその時、茂みの中に潜みながら、悲しげに東屋の女学生らを見つめるクラウディアの横顔を見た。

 その表情にハッとなる。


(コイツのせいで俺も嫁探しがままならん、国内貴族の政略婚もグチャグチャ、それに……)


 クラウディア、彼女自身が困っている。


 ならば、この俺が助けぬ道理はない。コイツの魅了魔法をなんとかしてやれば一石二鳥どころか、三鳥だ。

 何を悠長に様子を見ていたのだろうか、猛省する。今すぐにでも手を差し伸べてやるべきだった。


 クラウディアは自覚していない魅了魔法に振り回され、孤独を感じる一人の少女だった。





(――コイツ! 筋金入りののんきもの! いや、よく言えばおおらか! そうなんだな!?)


 そして、己の決意に反していつまで経ってもクラウディアが呼び出しに応じず無駄に日数を重ねてしまい、苛立たせられることになること。その後近くで見知ることになるクラウディアのおおらかさに度肝を抜かれることをその時の俺はまだ知らなかった。

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