バレンタイン記念SS
――バレンタイン。
魔術学園は男女共学。
いつかの時代にいた先輩、ヴァレンタイン・ノヴァ。彼は絶世の美男子で学園中の生徒から猛アプローチを受けていたらしい。
ある日、ヴァレンタインは言った。
「二の月の十四日。僕はこの日以外はプレゼントを受け取らない」
おそらくだけど、ヴァレンタインは毎日毎日ありとあらゆる人から言い寄られて、贈り物を贈られたりいろいろされることに疲れていたんだろう。私もちょっと身に覚えがあるからわかる。
ヴァレンタインがきっかけとなった二の月の十四日の贈り物。しかし、魔術学園を卒業してからもその習慣は続き、果てには一般市民も巻き込んだ大ムーブメントとなった。ヴァレンタインは魔術学園を卒業してからは超イケメン超優秀大魔術士として学園在学中よりさらにモテるようになってしまったらしい。
……ヴァレンタイン・ノヴァ、もしかして魅了魔法が使えたのでは?
…………超優秀って話だから、私(制御できずに暴発しまくり)とは違うか……。
ヴァレンタインがある一人の女性と結ばれたあと、行き場を失った贈り物は送り主の身近な人たちに贈られるようになった。
そこから転じて……二の月の十四日。この日は『好きな人に贈り物をする日』となり、今の世に定着した。
バレンタインとは、そんな日である。
◆
「……そんなわけで、殿下! 私もチョコを作ってきました! 受け取ってください!!」
「何がそんなわけだ」
「あっ、バレンタインに思いを馳せていました」
校舎裏のいい感じの切り株に腰掛けていた殿下は、私の謎の勢いの良さに眉を怪訝そうにあげた。
いけないいけない。つい、ヴァレンタイン・ノヴァに共感を覚えてしまってしばらく思考の海に飛んでいた。
気を取り直して、私は殿下の顔を見つめながら、手に持った小さな箱を改めて殿下に差し出した。
「……あの、殿下のことを想いながら作ったんです。よかったら、食べてください……」
「……そうか。ありがとう」
殿下の大きな手のひらが、ラッピングに包まれた小箱を受け取ってくれる。受け取ってくれたことを殿下の手の大きさにドキドキしながら私は俯いてしまう。
「開けていいか?」
「は、はい」
ラッピングは上手にできたけど、中身、大丈夫かな。
美味しくできたと思うんだけど……一緒に作ってくれた調理クラブの友達も太鼓判押してくれたし……。
殿下の手がリボンを解いて、丁寧に包装紙を取り払い、そしてとうとう箱を開けた。
「これは……」
殿下が息を呑む。
なんてことはない、一口サイズの長方形の形に成形したチョコレートだ。
巷ではハートマークの形にするのも流行ってるけど、恥ずかしすぎるし、シンプルな形のほうが殿下っぽいなー、と思って一番無難な形にした。
そんな無難な形にしててなお、まじまじと見られると恥ずかしいと思うのだから、ハートマークのチョコレート♡ なんて渡した日には私はどうなってしまうのだろうか。恥ずか死ぬかもしれない。
殿下はしばらく私の作ったチョコレートを見つめ、やがて箱の中に入っているチョコたちの上に手をかざした。
そして――
「……食えん!!」
「えっ、ええーっ!?」
殿下は眉をつりあげて叫んだ。驚愕のあまり、私も叫ぶ。
「どっ、どうしてですかっ!?」
半泣きで殿下を問い詰めると、殿下ははあとため息をつきながら柔らかい金の髪をかきあげた。
「あのなあ……入ってるんだよ、魅了魔法が」
「えっ」
――魅了魔法。
「今、鑑定魔法をかけてみた。恐ろしく高濃度の魅了魔法が練り込まれている。……破邪の守りは体の外部からの脅威を弾くものだ。内部から攻められては……敵わんかもしれん」
「ええっ!?」
そんなこと……ある!?
殿下は神妙な顔で私が贈ったチョコレートを眺めていた。
「そういうわけで、俺はコレは食えん。……悪いな」
私は愕然とする。
(こ、この後に及んで! 悪さをするの!? 私の魅了魔法!)
二年生に進級するちょっと前に殿下とお付き合いすることになった私。
殿下とそういう関係になったきっかけは……私の魅了魔法のせいだった。
魅了魔法を暴発させ続けている私がいると、殿下の嫁探しが捗らん! とのことで、殿下の指導のもと私は魔力制御の特訓に励むことになったのだ。
それがまあ、色々とあって、殿下に助けてもらったり、一緒の時間を過ごしたりしているうちにお互い惹かれあって……。
――パァン!
「……おい」
「す、すみません。いろいろと思いを馳せていたら……」
殿下のことが好きになったきっかけとかいろいろ思い出していたらつい魅了魔法がまろびでた。殿下は破邪グッズが爆散してわずかに舞ったマントを押さえながら私を半眼で見た。
私は少し熱くなった頰に手を添えながらバツの悪い表情を浮かべる。
……そう、私は殿下のことを考えていると、ついつい魅了魔法が漏れ出てしまうのだった。
(殿下のことを考えながら作ったから……! 混ざっちゃったんだ! 魅了魔法!)
魔術師は調理の際に己の魔力を込めることでいろんな作用をもった料理を作ることができる。健康増進とか、代謝促進とか。
ゆえに、『魅了魔法』も……こめられる、というわけだ。
私は内心で「わー!」と泣き叫んだ。
悲しい、なんてものを作ってしまったんだ、私は。
「うう……しょうがないですよね。……ごめんなさい」
「何を謝る?」
情けないあまりに鼻声の私に、殿下が首を傾げる。
「だって、わ、私、殿下に食べてもらいたくって頑張って作ったのに。魅了魔法を練り込んで作っちゃうだなんて……」
フッ、と殿下は私の憂いを吹き飛ばすかのようにキザに笑って見せた。
「それだけ俺への気持ちが抑えられなかったということだろう? 魅了魔法は困ったものだが……そのこと自体は、悪くはない」
「で、殿下」
殿下の優しい声と微笑みに、じぃんとなる。
「こっちに来い」
殿下に促されて、私も校舎裏のちょうどいい感じに生えてる切り株に座る。すぐ隣にいる殿下は、私が腰掛けるとすぐに箱からチョコレートをひとつつまみあげて、私の目の前に突きつけた。
「……ほら」
「ほら……って、え?」
ぱちぱちと瞬きをしながらそれを見つめる。
殿下の顔を見上げると、殿下は目を細めて言った。
「俺は食えん。だから、お前が代わりに食べろ」
「……ええ?」
「お前、さっきから「え?」ばっかりだな」
殿下は呆れたように片眉をあげた。
私が「う」という言葉をこぼさないように軽く唇を噛んでいると、殿下は薄く笑みを浮かべて私を見つめた。
「俺のことを考えながら作ったんだろう? どんな味をしてるのか、お前が食べて俺に教えてくれ」
「えっ、そ、そんな」
殿下はちょっといじめっこみたいな顔をしていた。付き合うようになってから、殿下はたびたびこういう顔で、ちょっと意地悪なことをして私をからかうのだった。
「ほら、あーん」
殿下の長い指先がチョコレートをひとつまみして、私の口元にまで運んでいた。
(こ、これは、め、めちゃくちゃ恥ずかしいんですが!?)
魅了魔法が漏れないように全神経を集中させながら、おずおずと殿下に促されるがまま口を開ける。
「……あ、甘いです」
「そうか。……他には?」
殿下がもうひとつ、チョコレートをつまんで私の口まで運ぶ。
正直、このシチュエーションに頭がついていけなさすぎて、味なんてよくわからない。ほとんど真っ白になった頭でとにかく必死に魅了魔法を抑えることにだけ専念する。
「え、えーと、トロッとしてます」
「なるほど、他は?」
調理クラブの子に作り方を教えてもらった『半生』タイプのチョコレートだ。口の中に入れると、熱でトロリと溶ける。味見はしたから、味も食感もわかってる。
もたつく私に、口を開けろと催促するように殿下はチョコレートのはしっこで私の唇をつんつんとする。
……やっぱり、これ、すごい、恥ずかしいことな気がする。
促されて、口を開くと、殿下の指先が口の中にチョコレートを押し入れる。
「…………おいしいです……」
「そうか、うまいのか」
私の拙い言葉を殿下が柔らかい声で繰り返す。
その声音と表情がひどく嬉しげに感じられて私はますます居た堪れなくなる。
「……」
「どうした? 甘くて、トロッとしてて、おいしい……でおしまいか?」
「……うう」
殿下はすっごい楽しそうだ。
あんなに優しい人なのに、なんでこういう時はちょっと意地悪なんだろう。
青い瞳は狭められているけれど、瞼の奥でキラキラと輝いていた。イキイキしてる。
殿下の目を見ているとドキドキしてしまうから、私は慌ててそっぽを向いた。
「もっ、もう、いいでしょ、あとは自分で食べますからっ」
「やだ。俺にくれたんだろう? それなら俺の好きなようにやらせろ」
「お、横暴!」
俺様発言に思わず殿下を振り向くと、すぐさま唇にチョコレートを突きつけられる。
「……ほら、口を開けろ。クラウディア」
「…………」
抗えなくて、私は大人しく口を開いて、チョコレートを口に含む。
チョコレートはやっぱり、甘くてトロッとしていておいしい。
それしかわからなかった。
「……隠し味で、お塩入れたんです。ちょっとだけ」
「ふうん、そうなのか」
「そうすると甘さが引き立つらしいんです! ……でも」
「でも?」
「……しょっぱいの、わかんない。甘すぎて」
「なんだそれ」
殿下が小さく苦笑する。
普段、殿下があんまりしない笑い方だ。
「甘くて、トロッとしてて、おいしいんだな」
「……はい」
「俺のことを考えながら作って、そうなったのか。……ふうん」
殿下は目を細めて呟くように言う。
「い、言い方!」
「間違ってないだろ」
私は恥ずかしくて真っ赤になるけど、殿下はむしろなぜか誇らしげに鼻を鳴らした。
殿下は、なんでこんなに嬉しそうにしているんだろう。
「ほら」
「……」
「うまいか?」
「……おいしいです……」
味がよくわからないままひたすら甘いものを殿下に食べさせられ続ける。
殿下は私がチョコレートを口に含んで、口の中で溶け切るまでずっと私を見つめているようだった。その目線がたまらなく恥ずかしい。
「ほら、もうひとつ」
チョコレートをつまむ殿下の人差し指と親指。
殿下の手は男の人らしくすごい大きいけど、長くてしなやかで、キレイな指の形をしている。爪もきっとやすりで丁寧に整えているんだろう、爪の形も縦長でキレイだ。
殿下、お顔もこんなにいいのに、なんで手の形もいいんだろう? なんだかずるい。
殿下の指、長くてキレイだなと気づいてしまったら、チョコレートをつまむ殿下の指先を見ていると、なぜか、ますますドキドキしてきてしまって――
「……も、もう無理! 限界です!」
わっ、と立ち上がって走り出すのとほぼ同時に殿下の破邪グッズがパパパパパパァン! とまとめて弾け去った。
魅了魔法、頑張って抑えていたけど、もう本当に限界も限界だった。
むしろよくここまで頑張った。
頑張りすぎて頭がチカチカする。
「――殿下のバカ! ごちそうさまです!!」
涙目で私はいつもの第二校舎裏から逃げた。寮の自分の部屋に到着するなり、靴も脱がずにベッドに飛び込んで枕に顔を埋めて文字通りワーワー言いながらジタバタした。
「ぜったい……絶対に、来年は普通に食べてもらえるお菓子を作るんだから……!」
もうこんな辱めはごめんだ、と私は己に誓うのだった。
◆
「……来年はちゃんと食わせろよ、クラウディア」
小さな笑みと共に、低い掠れ声が第二校舎裏で囁かれた。
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