第10話
◆
「殿下!」
いつもの第二校舎裏。
私の期待通り、殿下はそこにいた。切り株に腰掛けて本を読んでいた殿下は私の声に少し驚いた様子で顔を上げる。
「……貴様」
殿下にはわかるらしい。
私が、
「やり遂げたのだな」
「はい!」
「……よくやった」
殿下は切り株の上に読みかけの本を置き、立ち上がって私に向き合うと青い瞳を細め、殿下が微笑む。殿下の優しい声に私はつい頬が赤らむ、けれどそれでうっかり魅了魔法が暴発しないように戒める。
私は一歩、殿下に近づいた。距離が近づいても、殿下のマントの下は静寂を保っていた。
「……殿下。私、殿下のこと……好きです」
「……お前……」
真っ直ぐ目を見て、私は言い切った。
この言葉を言うために、私は頑張ったのだ。
「魅了魔法を完全に制御できるようになったら、言いたかったんです。そうじゃないと、私、きっとあなたに魅了魔法をかけてしまうから……魅了魔法の力じゃなくてちゃんとあなたに、言いたくて」
「……ああ、よく頑張ったな」
殿下は破邪グッズをお持ちだから実際に殿下が魅了魔法にかかることはないはずだけど、もしも私が殿下に対して魅了魔法暴走しっぱなしでこうして向き合っていたら、今頃殿下のマントの下は花火大会のような有様になっていたことだろう。
殿下の破邪グッズの破裂音がしないと、とても静かだ。私の心臓がうるさいのがよくわかる。
「私、もう殿下にご迷惑かけないですよね? これで、殿下も……お嫁さん探し、捗りますね」
私は殿下のお顔を見上げ、ニコと笑った。
「今までありがとうございました! 私、これからも頑張ります。これからは自分の力で、今度こそ本当に成績オール『優』を目指します! 自由恋愛も……頑張ってみます!」
晴れやかな気持ちだった。
これでもう悔いはない。生まれて初めての達成感があった。この人に好きだというために私はやり遂げた。今までずっと、魅了魔法のおかげでまやかしの評価や好意を得てきて、それに無自覚だったあぐらをかいていた私。そんな私が、ちゃんと目的を自分の力で達成できたのだ。嬉しい。開放感に近いものすらあった。例えようもない清々しい気持ち。
私は本心から笑って、王太子殿下に礼をした。
殿下もこれでもう心配ないだろう。禁忌魔法である魅了魔法を無意識に暴発してしまう奴、ともすれば独房で幽閉でもしておかなければ国の脅威となる可能性のある厄介な奴。そんな奴の面倒をもう見ないでいいのだ。
殿下はお嫁さん探しに専念して、私は学業と自由恋愛を頑張って、それぞれやるべきことを成し、たまに廊下ですれ違ったらちょっと世間話なんかをして。そういう関係にこれからなるのだ。もしかしたら、今以上に気安い関係になれるかもしれない、だなんて。
そう思うとちょっとフフッと笑ってしまう。
そして、この第二校舎裏からお暇をしようと踵を返したその瞬間。
「……え?」
大きな手のひらが私の手首を掴んでいた。
振り返ると、殿下の大きな瞳が私を見つめていた。
「告白しておいて逃げる気か、貴様」
「えっ」
「俺のそばにいたいから最後まで頑張り抜いたのではなかったのか?」
「そ、その……でも、殿下は王太子ですから、お妃にふさわしい方を探さなくちゃ……」
間近に迫った殿下のお顔が歪んだ。
整った眉は吊り上がり、眉間には深いシワが刻まれる。青い瞳の力強さに私の心臓はドキリと跳ね上がり息を呑む。
「貴様以外におらんだろうが」
低く掠れた声が私の耳朶を打つ。
「いえ、だって、私……金で爵位を得たしがない平民のいち商人の娘ですよ。とても王妃には……」
「妃に身分が必要であれば、俺はわざわざ学園で嫁探しなどしとらん。それならば王家が家柄だけで見定めた娘とすでに婚約している」
私は今更、殿下が高い背をわざわざ屈め私に目線を合わせていたことに気がついた。私の両肩には殿下の大きな手のひらが乗せられていた。
「……考えろ。なぜわざわざこの魔術学園で嫁探しをしているのか、その意味を」
「え、ええ……?」
「身分はいらん。よい人柄とそれなりの魔力があって、俺が好ましいと思える人物であればそれでいい」
「……ええ?」
顔が近い、とても近い。
「貴様ほど強力な魔力を持ち、なおかつそれを制御できるものは他にはいない」
「でっ、でも」
「国家神殿に封じられた魔法の箱を開けられるほどの魔力の使い手を詰られる奴など、いるのならば会ってみたいくらいだな」
「……でも……」
「この俺が、お前がいいのだ。クラウディア」
私は息を呑む。殿下の綺麗な青い瞳しか見えない。
彼の声で初めて呼ばれた名前の衝撃に脳がぐらぐらした。
「み、魅了魔法……かかってないですよね?」
「かかってるわけがないだろう」
殿下のお声も、目つきも真面目そのものだった。
私はその場でへたり込む。
「よかった……」
怖いくらい私に都合のいい甘い言葉を語る王太子殿下。まさか、とつい思ってしまった。
胸を撫で下ろす私を、殿下は柔らかく目を細めて見つめる。
「ほ、本当に、わたし、殿下のこと、好きでいいんですか?」
「――当たり前だ」
地面にへたり込んだ私に殿下が跪いて手を差し伸べた。
その掌と殿下の顔を交互に見やる私に殿下は少し呆れたように微苦笑を浮かべていた。
おずおずと殿下の手をようやく取ると、殿下はゆっくりと優しく、けれど力強く私の体を持ち上げた。
「アルバート様、ありがとう……」
私の体を支えてくれている殿下の目が大きく見開かれた。
「……貴様、俺の名前呼ぶの初めてだな」
「えっ、そうでしたっけ」
きょとんとする私に殿下は目を細める。
「俺の名も知らんのかと思ったぞ」
「えへへ、でも、殿下は殿下、って感じで」
殿下は意地悪げに笑っていた。知らないわけがない。この国の王太子の名前なのだから。
殿下は殿下だから、ずっとそう呼んできたけれど。でも、今は、お名前を呼びたいとそう思ったのだ。
気づけば私は殿下にぎゅう、と抱き締められていた。押し当てられた殿下のお胸から聞こえる鼓動は、とても早かった。私の胸の鼓動と同じくらい。
「これからはもっと俺の名前を呼べ。……妃になるのだから」
「は……はい……」
恥ずかしくて俯いてしまった私の頬を殿下の手が包んだ。
「おい、もう少し頑張れ。顔を上げろ」
「は、はい」
素直に顔を上げると、見たことのないお顔をされた殿下がいた。
「愛している。……クラウディア」
言葉にならない声が喉から漏れた。
そして、殿下のマントの下からパァンと音が弾けた。かと思えば、パパパパパパパァン! と最高に景気良く破裂音が響いていく。
「……」
「……えーと……」
二の句が浮かばない私たちの気持ちを代弁するかのように、少し遅れてパァンと破邪グッズが爆散する音がした。
「――まだまだ課題はあるようだな? クラウディア」
「が、頑張りましょうねっ、アルバート様!」
私たちの順風満帆な明るい未来は、まだこれからだ。
==========
本編はここまでです。
書籍版ではここまでのエピソードを書き加え、登場キャラクターも増えた一冊になっております。
ぜひ、書籍にてクラウディアと殿下の魅了魔法制御特訓の1年間をお楽しみいただけたら嬉しいです。
明日からは番外編公開いたします。
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