第7話・ジャラジャラのない殿下と、魅了魔法暴走させた私


 拝啓、お母さん、お父さん。元気でいますか。

 私の学園生活。最近ちょっと調子がいいとこの間の手紙で書きましたね。

 はい、そうなんですけど、うん、本当いい感じで、結構私、調子乗ってたんですけど。


 今ちょっと、過去最大のピンチです。




「……ヒーッ!!!」


 阿鼻叫喚の魔力測定器が置かれた教室をなんとか命からがら脱出し、廊下に出たところで私を待ち構えていたのは大量の人、人、人。


「クラウディア!」

「クラウディアさんっ」

「クラウディア嬢ーーッッッッツ!!!!!」


「ひ、ひ、ひ、ひ、ええーん!!!」


 私は泣きべそをかきながら廊下の窓に体当たりしてブチ割りながら外に逃げ出した。身体強化の魔力付与をしているからガラスを割ったダメージはない、三階だったけど、着地も成功。濃い人口密度から解放された私は外の清らかな空気をすうと吸ってさあ一息――とは、ならなかった。


 ドドドドドドとどこからともなく人間たちが集まってくる。

 人間たち、いや、敬愛すべき同級生や上級生、あと先生たちとかなんだけど、なんかもう、たくさんいすぎてもうよくわからない。雑なくくりをしてごめんなさいと思う間もなく、私は再び逃げ出した。


 逃げる、どこに。


 私の魔力を乗せた黒い霧は学園中を覆っていた。


 ◆


 とりあえず、私は手当たり次第に高いところに登った。

 私の魅了魔法にかかってしまった人たちは、私の居場所がわかるようで隠れても隠れてもすぐに見つかってしまう。


 ただ、こう言ってはなんだけど、あまりにも高濃度の魅了魔法を浴びているせいか思考能力は著しく低下しているようで、囲まれても逃げること自体はそれほど難しくはないことがわかった。

 なので、身体強化の魔力付与をかけて高いところによじ登っては追いつかれたら飛び降りて、引きつけるだけ引きつけておいてまたよじ登って……を繰り返しているのが時間稼ぎには一番都合がよかった。


(……なんとなくひたすら逃げているけど、実際捕まったら……私、どうなっちゃうのかしら……?)


 よくわからないけど、なんとなく、貞操の危機を感じていた。いや、もしかしたらひたすら撫で繰り回されて愛玩されるだけとかかもしれないけど……。老若男女問わない大量の人の塊が自分めがけて全力前進してくるのは、他に例えようがないほど恐ろしかった。


 今までの状態、私が無意識に魅了魔法を展開していた……らしい時とはみんなの様子は全く違っていた。かつての時は私が近くにいたりとなんらかの接触がない限りはみんなは私に直接迫ったりはしてこなかった。だけれど、今は魅了魔法を受けたみんなは揃って私めがけて、まさに暴走状態という有様だ。


 いつぞやかに訪れた国家神殿。会得しようとして叶わなかった魅了魔法。

 もしも私がその時、ちゃんと魅了魔法を会得して、正しく扱えるようになっていれば、暴走状態のみんなも止められたかもしれないのに。


(……ダメ。みんな、私の魔法でこんなことになっているのよ。なんでこんな風に魅了魔法にかかちゃっているのかはわからないけど、でも、これは私の魔力でこうなっているんだから。私が、私なら、なんとかできるはずなんだから)


 どうすれば魅了魔法を制御できるのか、暴走したみんなを止められるのかはハッキリとはわからない。でも、私は、私が、私がやらなくちゃいけない。私のせいでこうなっているんだから、私になら、どうにかできる。どうにかできるなら、やらなくちゃ!


 泣きべその鼻をズズッと啜って、私は高い建物の屋根からみんなを見下ろした。ゾロゾロと外壁をよじ登って迫り来る人たち。まずは、深呼吸だ。集中しよう。


(どうか、どうか、鎮まって……!)


 私は魔力を練った。胸の前で両手を組みゆっくりと息を吐く。じわりじわりと胸の真ん中の炉に火が灯っていくような感覚が私の身体を満たしていく。黒い霧に乗って散らばった私の魔力のありかを一つ一つ探っていく。


 まだ、時間はある。壁をよじ登る人がここまで着くまであと、30秒、20秒……10、9……。ドクンドクンと鼓動が強まるごとに人の波が迫ってくる。ああ、もうすぐそこに。私の心臓が一際高く脈打つと掴みかけていた魔力の芯のありかはわからなくなってしまい――。


(……ッ)


 私よりもずっと大きな体が、もう目の前にまで迫っていた。


 血走った瞳に怖気づいて無意識に後ずさる。伸びてきた手に息を呑んだ。

 それとほとんど同時に、誰かが私の腕を掴んで、引き寄せた。


 ドクンと胸が大きく鼓動を鳴らした。


「――おい!!!」


「……殿下っ!」


 腕を引いたその人を振り向く。意志の強そうな青い瞳が私を睨んでいた。ともすれば、萎縮してしまいそうな鋭い声。だけれど、私は彼のその眼差しを声を聞いた瞬間に張り詰めていたものが一瞬にして弛んでしまった。


 引き寄せられた勢いのそのままに私は殿下にしがみついた。殿下は私を抱き寄せたまま、迫り寄る群衆をひらりとかわす。


「よ、よかった、殿下……殿下に会えて……」


 私は安心して、つい嘆息する。けど、それは一瞬だった。


 今の殿下は白シャツ一枚、いつもの破邪グッズをジャラジャラさせたマントは身に付けてない。


「でっ、殿下! 殿下、今、破邪グッズが……」


 いくら殿下でも破邪グッズがない状態で私の魔力を含んだ黒い霧を吸っていたら魅了魔法にかかってしまっているかもしれない。そして、殿下ほどの方なら霧を吸っただけでは大丈夫だったとしても、素の状態で私とこんなに密着していたら危ないかもしれない。

 殿下とのトレーニングのおかげで私はだいぶ魔力制御に自信はついたけれど、今この状況下でいつもと同じように魔力制御をできている自信はない。きっと、緊急事態に焦る今の私は無意識に展開している魅了魔法がダダ漏れ状態だと思う。


「……フン、貴様! 俺を侮るか!」

「ッ」


 慌てて離れようとする私の身体を殿下はグッと強く引き寄せた。

 殿下の大きな青い瞳には、情けない顔で目を見開く私の姿が映り込んでいた。


「貴様程度の魅了魔法などにこの俺が惑わされるものか!」

「……殿下……」

「俺の後ろに隠れていろ。俺が守っている間に、貴様はその魅了魔法を鎮めろ」

「は……はいっ、殿下!」


 不遜な顔で私に喝を入れてくれる殿下。まっすぐに私を見つめてくれた力強い眼差しから感じるのは彼自身の『自信』と、私への『信頼』だ。


 殿下は私を抱き抱えたまま走り、みんなからある程度距離を取ると私を地に下ろし、そして群衆に向け大きく手をかざして見せた。


 パアッと眩い光が放たれた。殿下が展開した結界魔法シールドだ。

 その後ろで、私はもう一度深呼吸をして、集中し直した。さっき掴みかけて、逃してしまった私の散らばった魔力たちを探る。


 殿下の背中って、こんなに……広くて大きいんだ。

 こんな時なのに、そんなことに気づいてしまう。こんなにも頼もしいと思える背中もないだろう。


 私の胸にはじわじわと熱が灯り出していた。


 魅了魔法にかかっている人たちが術者である私の居場所がわかるように、私にも魅了魔法の魔力のありかがわかる。みんなの身体の中に入り込んでしまった私の魔力を全て吸い出して戻す。


 きっと、暴走を止めるにはコレしかないと思う。私に魅了魔法を完全にコントロールする力があれば別の方法もあったかもしれないけど……。私には、自分の意思で魅了魔法にかかった人に命令を出すことはできない。命令することができたなら、こんなふうにみんなを暴走させてしまうこともなかったろう。


 私は目を閉じた。さらに深くまで意識を集中させる。殿下がいてくれるなら、目を閉じていたって大丈夫に決まっている。


(……!)


 学園中のみんなの身体の中の私の魔力を見つけ出す。そして、それを全て掴み上げて、吸い取る――!




『バカみたいなやり方で本当にやりきるか。筋金入りのバカものだな、貴様』


 私がそんなバカみたいなことをやり遂げたその瞬間。そんなふうに言ってちょっと意地悪そうに、でもちょっと優しそうに笑う殿下の顔がなぜか脳裏に浮かんだ。


 ◆


「……つ、つっかれたぁ……!」


 私ははあ~と大きくため息をつきながら校舎裏の大きな木の幹にもたれかかった。


「当たり前だろう。アレだけアホな規模の魔力を展開して、その上アホみたいに強引なやり口で散らばった魔力を無理やり全部かき集めたんだから、いくらアホでもへろへろになって当然だ」

「ううっ、バカ扱いじゃなくてアホ扱いだった……」


 でも、個人的にはバカよりアホのがちょっと柔らかい感じ、するのよね。そうでもない? どうでもいい?


 今日の身体計測はなんとか予定通り終わった。都合がいいことに、みんな魅了魔法にかかっている時の記憶がなくなっていた。私が悪さをしていた魔力を吸い取ったからかな? みんな意識を取り戻すと「あれ? どうしておれはここに?」という感じで校内全体がハテナマークに包まれていたのだった。


 とりあえず流れに身を任せていれば1日が終わる計測の日でよかったなあ、という感じだった。みっちり実技授業があったら私は爆発していたかもしれない。


 そして、なんとなくいつもの習慣でいつもの校舎裏にきたらいつも通り殿下も(ジャラジャラマント付きで)いらっしゃったから私は完全に気が抜けてバタンキュー、となったわけだ。


 ひとしきりヘロヘロしてから私はのそっと身を起こし、殿下のいつだってキマっているご尊顔を見上げ、小首をかしげた。


「……殿下は、どうして平気だったんですか?」

「……フン。愚問だな」


 破邪グッズがなかったのに、殿下は無差別に校内中を覆った黒い霧も、無防備で私と超密着していても魅了魔法の影響を受けなかった。

 殿下は私を鼻で笑うと、バサッと大きくマントを翻した。高々と舞い上がるマント、調子良くジャラジャラと音をかきたてる破邪グッズ。


「貴様の魔力量は認めるが、それでもこの俺の方が魔力の量も! 質も! 上である! さらにこの鋼の如く精神力、タフネス! 貴様の魅了魔法に支配される俺ではないわ!!!」

「で、殿下……ッ!」


 ドンと大きく胸を反らして誰よりも不敵に高笑いする殿下。

 夕日を背負い、逆光になっているせいでその姿には神々しさすらあった。


 どうしよう、すごい……胸がキュンキュンしちゃう……。

 めちゃくちゃ不遜なのに……ッ。


 なんかちょっと涙が出てきてしまった。


「殿下……かっこいい……っ」

「当たり前のことを何をシゲシゲと!」


 パァンと破邪グッズの一つが爆ける音が聞こえると、私はなんだか心底ホッとしてしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る