第9話 第六の依頼

 最近は依頼もほどほどの量になってきたエニシ。

 この日は魔法工学の勉強をしようと、カナルの本棚から本を持ってきて自習をしていた。

「うーん、この頃は何かと騒がしいねぇ……」

 カナルが新聞を読みながら、そんなことを呟く。

「西方大陸戦争の話ですか?」

 最近の話題を思い出すエニシ。

「そうそう。今日の新聞によると、西方大陸戦争に帝国も参戦することになったみたいで、陸軍と海軍、それに有志の冒険者も派遣することになるみたいだね」

「それは大変ですねぇ」

「そんな呑気な話してる場合じゃないよ!」

 そこにニーフィアが割って入る。

「エニシ! 今すぐこの書類にサインして!」

「え、なにこれ?」

「いいから! これ期限が明日までなの!」

「え、ちょちょちょ」

 ニーフィアは強引にエニシにペンを握らせ、エニシは何も分からずサインする。

「よし! じゃあ提出してくる!」

 そういってニーフィアは店を出て、都心のほうへ駆けだしていく。

「何だったんだ……?」

 その時、ニーフィアが置いていった書類があることに気が付く。その書類を見ると、エニグル工業会社の同業他社に対して、エニシの特許使用を許可する書類であった。

「え、なにこれ……?」

「あぁ、ニーフィアが昨日から事務作業に追われていたな。なんでも無銘剣ウィスパーケムの性能が量産品としては良い感じだから、西方大陸戦争に投入されるとかなんとか」

「はい!? 初耳なんですが!?」

「そりゃ言ってないからな。エニシに言う暇もないくらい追い込まれてたんだなぁ」

 そんな呑気なことをカナルが言う。

 しかしエニシの感情は、驚きよりも嬉しさのほうが少し上回っていた。

「俺の剣が軍用品として採用されたのか……」

 実感はない。だが、なんとなく承認欲求を満たせたような気がした。

 そんな時、店の扉が開く。

「すまない。エニシという職人はこちらにいるか?」

 話し方は固いものの、その声は女性そのものだった。

「自分がそうですが、依頼でしょうか?」

「そうだ。だが、少し厄介であるが……」

 とにかく話を聞いてみないことには分からない。エニシは相談窓口に案内する。

「それで、依頼内容のほうは?」

「その……、自分は重戦士なんだが、剣じゃなくて盾が欲しいんだ」

「……うん?」

「すまない。剣を売っている店なのは分かっている。しかし他にやってくれる店がないんだ」

「……そもそもなんで自分のことを知っているんですか?」

「無銘剣の話をしている時に名前を聞いてな。この間は光の剣を使っている冒険者を見かけて、つい打ち師の名前を聞いたんだ。そしたら同じ名前が出てきて、これはもう依頼するしかないと決めたんだ」

「えーと……」

 エニシは、カナルのほうを見る。しかしカナルは、こちらを見て親指を上げるだけだった。

 つまり「依頼を受けろ」である。

「あー……。要望はありますか?」

「物理的にも、魔法的にも強い盾が欲しい」

 エニシは無言で天井を見る。これまた無茶な依頼が来たものだなと思った。

 客に顔を向けなおして、エニシはペンを走らせる。

「……他に要望はありますか?」

「そうだな……。縦の長さは百二十センチメートル。横は八十センチメートルくらいがいい。重さは考慮しなくて問題ない」

 エニシは考えるのを止めたくなった。

 こうして要望を聞き、とりあえず前金を払ってもらい、一度帰ってもらった。そしてカナルを含めた職人たちで話し合いの場が持たれる。

「これはまたすごい依頼が来たものだな」

「これ別の工房を紹介したほうが良いレベルですよ」

 エニシは頭を抱えて話す。

「要望を聞いたのは良いですけど、この大きさを作るとなると重量が五十キログラムになりますよ? こんなの普通の人間が持てる訳がない」

 エニシは簡単に計算した紙で机を軽く叩く。

「でも持てる。身体強化の魔法を使えばな」

「重戦士は持ってるもの全部が規格外だ。普通の人間で比較しちゃいけねぇ」

 他の職人たちが、神妙な面持ちで語る。

 だが、エニシが欲しい情報はそれではない。

「仮に造るとして、どうやって造るかって話ですよ。最強の盾が欲しいって言ってるようなものじゃないですか」

「そうだな。確かにうちの工房じゃ手に負えない」

 そうカナルが同意する。

「やっぱり知り合いの工房に頼んで、そっちで造ってもらうように言うしか……」

「だが、これはチャンスじゃないか?」

「へっ?」

 カナルの言葉に、エニシは腑抜けた声を出してしまう。

「エニシはうちの工房の中でもかなり特殊な人間だ。これまで様々な剣を打ち、依頼者の要件を満たしてきた。今回もそれを発揮してくれるだろう」

「えぇ……?」

 エニシは困惑する。

「それに、今回の依頼が達成出来れば、新たな販路が見出せる。エルド工房拡張の契機だ!」

 そういってカナルは高らかに話す。

 しかしカナルの頭に、ニーフィアのハリセンが命中する。

「何が拡張なのよ、お父さん! 私の仕事量増やす気!?」

「いいじゃないか、ニーフィア。どっちにしろ、この仕事もだんだん需要が減ってくる。今のうちにいろんな道を確保した方がいいじゃないか」

「それはそれ。これはこれ。うちの工房で受注するような内容じゃないでしょ」

「うーん、父さん的にはいいと思ったんだがなぁ……」

 そういってカナルはボソボソと呟く。

「じゃ、エニシは知ってる工房に片っ端から連絡入れて。どこか一つくらいは受けてくれると思うよ」

「うん、了解」

 こうして、エニシは知り合いの工房に出向く。その場で簡単に説明して、できるか否かを判断してもらうのだ。

 知り合いの工房は二十近くある。一つくらい見つかるだろうとエニシは考えていた。

 しかし予想に反して、各工房は難しい顔をする。そして皆、同じことを口に出す。「こんなものは無理だ」と。

 最後の工房に断られたエニシは、呆然と空を見上げる。

「これ、無理ゲーってヤツ……?」

 何の成果も得られず、エルド工房に戻る。

「エニシお帰り。どうだった?」

 ニーフィアが出迎える。

「……どの工房も無理だって。そもそもあんな巨大な鉄の塊を作るのが難しいみたい」

「そっか……。そうなると、あの人には断るしかないかぁ」

 ニーフィアが残念そうに言う。

 しかし、エニシの心には燻っている何かがあった。エニシはそれが何かすぐに分かった。

 何が何でも造ってやるという職人魂である。

 早速エニシは、簡単なプランを考える。

「まず必要なのは、とにかく材料だな。出来上がりの品は少なく見積もっても五十キログラムになるから、材料だけで百キロ強……。魔法での強度はイリスさんに頼めばなんとかなるかも。問題は、材料自体の強度を高める方法……」

 エニシは少し考えて、思いつく。

「浸炭を試してみるか」

 浸炭は、文字通り鋼材の表面に炭素を染み込ませる焼入れ方法である。前世では、ネジや強度の必要な部品で行われており、少し歴史を遡れば戦艦などの装甲にも使われていた。

「とりあえず、浸炭が出来るか確かめるか」

 今回もJISに則り、SCM420というクロムモリブデン鋼を使用する。

 それに、浸炭を行うために鉄鋼と炭を封入する箱が必要なのだが、当然熱に耐えられる箱でなければいけない。

「えーと、確か浸炭箱は鉄製で問題なかったよな……」

 試作品に合わせて小さい箱を準備しようと思ったが、面倒になったエニシは、本番に使える巨大な箱も一緒に準備することにした。当然、人の棺桶くらいの大きさの箱なんてエニシの手では作れないため、他の工房に特注することにした。

 それを待っている間に、小さめの鉄板を鋳造する。

 そして肝心の浸炭方法であるが、固体浸炭法を採用した。これは砕いた木炭を炭酸バリウムと混ぜ、目的の鉄鋼と箱の中に入れて密封するものだ。完成品の浸炭具合にはばらつきが生じる可能性があるが、かなり昔から使われてきた手法である。

 必要な物を準備した所で、特注した二つの鉄の箱が到着した。

 小さい箱の方に、小さい鉄板と浸炭材を隙間なく投入する。それをおおよそ九百度程度で約二時間ほど加熱。

 それを冷却して焼入れは完了。さらにこれを二百度程度で焼き戻しして完成である。

「これで、物理的に強い鋼材の完成だ……」

「いつもの作業じゃないから疲れたなぁ」

「全くだ。エニシばかり変な依頼が来るもんだな」

 他の職人がそんなことを言う。当然だろう、本来の仕事は鍛冶職人だ。盾など専門外だろう。

「さて、これをこの大きさでやるんだけども……」

 そういって、棺桶のような鉄の箱を見る。

「さすがに鋳造は他の工房に任せたほうが良い」

「そうですね……、そうしましょう」

 カナルからの助言もあって、知り合いの工房に頭を下げに行く。なんとか了承を貰い、巨大な盾を鋳造してもらった。それだけで数日の時間を要した。

 その間に、エニシは浸炭材をとにかく作り続けていた。棺桶いっぱいに敷き詰めるために、それはもうとんでもない量の炭酸バリウムが必要だった。周辺の化学会社を梯子する勢いである。いや実際に回った。これによってどうにか浸炭材の材料を整え、それらを混ぜ合わせることができた。

 それと同じタイミングで、鋳造された盾が運ばれてくる。正直盾と言うよりかは巨大な鉄の塊である。かろうじて盾の形をしているのが救いか。

 これを鉄の棺桶へと入れるのだが、まずは盾を入れる前に浸炭材を底一面に敷き詰める。その上に盾を置く。そしてさらに浸炭材を上からぶちまけ、盾を浸炭材で覆いつくす。

 これを密封させ、炉に入れるだけ。だが……。

「さすがに炉に入れるには大きすぎだなぁ……」

 エルド工房にある一番大きな炉にすら入らない。しかし心配はいらない。

 ここは魔法の力を使用する。

「私の出番ねぇ」

 そういって、箱の四方にペタペタと魔法陣を貼り付けていく。

 今回は加熱の魔法。単純な円形をした魔法陣である。

「はい。これで問題はないわー」

「それじゃ、九百度まで上げちゃってください」

「了解ー」

 そういって魔法陣を操作する。すると、箱が次第に真っ赤になっていく。

 待つこと二時間弱。これまた魔法で冷却する。

 十分に冷却出来た所で、中身を取り出す。

「これで問題はない……かな?」

「ふんふん……。超微小走査でもちゃんと層が出来てる見たいねー」

「よし、これで物理的に強い盾の完成だ」

 一つ目の壁は超えた。

 あとはもう一つである。

「魔法的に強い盾ってどんなものなんですかねぇ……?」

 エニシがイリスに聞く。

「そうねぇ……。心当たりはあるんだけどー……」

「どんなものです?」

「まだ研究段階で、論文が発表されたばかりなんだけどぉ……」

 そういって、エルド工房に来た時に持ってたバッグから様々な本や書類を取り出す。

 その量は、明らかにバッグの大きさを超えていた。

「ど、どこからそんな量の本が……?」

「これねぇ、拡張の魔法を使ってるから、色々物を入れられるんだよねー」

 その中から、目的の紙を取り出す。

「これこれ。この論文だねぇ」

 エニシはその論文に目を通す。

 簡単に言えば、魔法というエネルギーのベクトルを変化させて、軌道を捻じ曲げたり、反射させたりできるとの事。

 そのための魔法陣の概要も書かれていた。

「とりあえず、再現性があるかも兼ねた実験ということで、ちょいと作ってみるねー」

 そういってイリスは、設計室に入って魔法陣を書く。

 その時間を使って、エニシたちは盾の簡単な装飾を行う。とはいっても、持ち手を作ったり、持ち運びやすいように頑丈な革のベルトを取り付けるだけだが。しかしその作業がどれも規格外であるのは言うまでもない。

 装飾が出来上がったときには、イリスも魔法陣を書き終えたようだ。今回の魔法陣は正六角形らしい。

「現段階で作れる最強の防御の魔法陣を描いたよぉ……」

 若干やつれているように見えるのは気のせいだろう。

「じゃあ、これを盾の前面に貼り付けて……」

 そういって前回と同じように、魔法陣を紙から浮き上がらせ、圧縮し、盾に焼き付ける。

 これにより、おそらく最強の盾が出来上がった。

 早速依頼者を呼び、完成品を見せる。

「……ちょっと使ってみてもいいか?」

「どうぞどうぞ」

 店の横のスペースで、試しに使ってみる。

 まずは物理攻撃だ。エニシは工房に放置してあった造りかけの鉄の棒で、思いっきり盾をぶん殴る。

 甲高い鉄同士のぶつかる音がするだろう。

「いっつ……」

 盾にぶつけた衝撃で、エニシの手はジンジン痛む。一方で、盾のほうは傷一つついていなかった。

 次は魔法である。イリスが魔法を使って、水の玉を高速で発射する。

 すると盾の魔法が発動し、水の玉のベクトルを変更させた。そのまま水の玉は彼方へと飛んでいく。

「……十分な性能だな。いい盾だ」

「ありがとうございます」

 エニシは内心喜ぶ。専門外の依頼ではあったが、なんとかやり遂げたのだ。

 そんな所に、ニーフィアがスッと割り込んでくる。

「それで代金のほうなんですが……」

 そういって領収書を見せる。

「材料費に外注費、その他必要経費合わせまして、しめて千二百ロンスになります」

 現代日本に換算して、おおよそ二百四十万円。正直これでも価格を抑えたほうである。

「ふむ。これでどうだ?」

 そういってウエストポーチから、分厚い札束が出てくる。

「あっ、じゃあ中のほうで確認しますのでー……」

 そういってニーフィアと依頼者は店の中に戻る。

「……しかし、あの人何者なんなんだ?」

 エニシがぼやく。

「知らなーい? 最近冒険者の間で噂されている、A級冒険者よぉ」

「……マジっすか」

 世間は広いものだな、とエニシは実感した。

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