第3話 花より団子、勉学より煩悩

休み時間の過ごし方というと、先生か友達に分からないところを訊くか、もしくはそれとは関係なく喋るか、

あとは用を足すか。

というのがいつもの俺である。


だが今は特にすることもなく、10分の休憩を虚空への傍観で浪費する。

「放課後何するかなぁ…」

ぼやいているところへやってくるは想い人。

「勉強はしないの?

夏休み明け、テストでしょ」

机に手を添えてしゃがみ、上目遣いをする豊栄。かわいい。

「まぁそうだけど…夏休み中やってれば別にいいかなって」

「中間で赤点ギリギリだったのに?」

「…それは言わないお約束ということで」

「お約束じゃないよー、これからどんどん難しくなるって言うじゃん。

7月の今やるかやらないかで、差がつくはずだよ」

華奢な人差し指を振るのを目で追いつつ俺は言った。

「といっても、分からないところなら特にないぞ」

豊栄の表情は目に見えて怪訝になった。

「ホントかなー?坂町、こういう時強がったりするだろうし」

「んな…!そんなことない!」

「じゃあさっきの問題の続き、これ答え分かる?」

俺は目を逸らした。声が上ずる。

「………お、沖永良部島かな」

「数学で地名が出る問題があるわけないでしょ!ほら勉強するよ!勉強!」

「んなこと言ってもなぁ…休み時間にそんなことする猶予なんて無くないか?」

「休み時間は『休む』時間なんだよ!休憩する時にまで勉強してたら精神がもたないよ」

「ならどうするんですかい…?」

「どうするって…決まってんじゃん。

坂町の家に行くんだよ!」

「へ…俺んち…?」



なんてこった。みなさん大変です。



豊栄が家に来てしまう。

つまりはそういうことである。

齢16にして好きな人が我が家、それも我が部屋にいらっしゃってしまうのである。

幼気な思春期男子のお部屋に。

まだ子供部屋の香りが残るお部屋に。


だが来訪者がたとえ女友達だったとしても、それが好意なきものであれば大きな問題ではない。

よりによって豊栄なのである。俺の好きな人、豊栄なのである。


一体どうすれば良いのか。

俺も純粋なる日本男児と言えど、所詮は高一のガキ。

あれやこれやと想像すること易きは当然とも言えるだろう。


だが俺は本能になど負けない。

一方的でこそあったものの、豊栄と交わした「友達であり続ける」約束を忘れることはない。

あの告白に際して告げられた約束、そして先日のキッスと本日のご訪問提案。

そこに豊栄の好意は無かろうが、少なくとも俺を信頼してのものであったはず。

そんな純朴たる厚意を無下にし、やりたい放題した暁には、ヒトとしての終わりが待ち受けているだろう。


神よ、本能よ、望むところだ。

坂町 廉雄という人間の理性、しかと見届けるがよい。


…と誓ったのが、昼前の出来事であった。


「なぁ豊栄…」

「ん?」

「さっきから思ってるんだけどさ」

「うん、どしたの?」

「これって勉強になってるの?」

「なってるなってる」

「…やりにくくはないの?」

「最高のコンディションだなも」

「それならいい…か…いいのか?」

「いいんだよ。今日の勉強会はわたしが開いたもの。ここではわたしがルールだ」

「は…はぁ…でもせめて一つだけいいですかね」

「んー?」


「なんで俺の上で膝枕してるの?」


そう、この度我が部屋において豊栄主催の勉強会が開かれたわけなのだが、肝心の主催者は只今俺の膝の上で仰向けになっている。


「いいじゃん。坂町の脚の筋肉がいい具合にクッションになってて寝やすいし」

「今寝やすいって言った?言ったよね?勉強は?勉強はどこ行ったの?」

「ふっふっふ。分かってないねぇ坂町くん。良い頭の回転は良い睡眠にこそあるんだ。」

「それはそうだけど勉強会で寝たら勉強会の意味ないと思うんだけどな俺」

「まぁわたしはしっかり学習を重ねてきてるから。わたしは坂町がちゃんと勉強してるかどうか監視をしてるんだよ」

両手を丸くして目元に当てる仕草をする豊栄。メガネのつもりだろうか。かわいい。


「監視って…勉強教えてくれるんじゃなかったの?」

「わたしは『勉強しよう』とは言ったけど、『勉強を教えてあげる』とは言ってないしねぇ」

さすがは屁理屈で生きる女。論の逃げ場がどこにでもある。


「でも豊栄は勉強できてるんだよね?なら教えてくれる方がずっといいと思うんだけど」

「…わたしは教えるより監視する方が向いてると思うんだよね」

「教えるのが面倒なら正直に言ってくださいよ豊栄さん」

…どうやら意地でもこの状態を続けるようである。


というかそんなことより、俺の膝の上でそのご尊顔を披露されると集中ができない。教科書から目線を下に遣るだけでとろんとした笑顔が見えてしまう。

そして…問題なのは顔が近いだけではないのだ。

ちょっと考えてみてほしい。齢15の少女が特に何も考えず仰向けになっている姿というものを。セーラー服で足をぱたぱたさせている様子というものを。


無防備とか、安心し切ってるとか、もはやそういう次元ではない。

相手は俺なのだ。告白してきた男なのだ。その告白を振った相手なのだ。

その男の部屋で、その男の膝に乗っている…如何にヤバい状況であるかは案ずるに易い。


やめるんだ神よ、本能よ、ここまでとは聞いてない…!


というかなんで豊栄もここまで用心なしに男の膝に乗るのだろう。俺の部屋の隅には「万物万世をダメにするクッション」が鎮座なされているというのだからそっちを使えばいいというのに、何も布団の上で正座して教科書を読んでる俺のところに来なくても!


苦悩する俺などいざ知らず、想い人は膝の上でころころと姿勢を変える。

さらさらとした髪は膝を流れ、制服の布の擦れる音が微かに部屋を飛び回る。

当然だが、膝を通して暖かな体温が、仄かな重みが、柔らかな髪の質感が伝わってくる。愛す人の"いのち"たるものを感じる。


愛おしい。守りたい。傍にいたい。

溌剌ながら奔放なその性格で惚れた俺は、彼女の一挙一動を見つめる間にいつしかそのようなことを考えるようになった。

だからこそ、告白を断られた今はその決意を大事にしたい。

何がなんでもこの勉強会で動じないことを心に決めた俺は教科書に向き直った。


が。


「坂町…なんか今変なこと考えてない…?」

「へ!?!?」

記録、実に3秒12。

動じないとはなんだったのか。


「今すごく目が合ってた気がするんだけど。10秒くらい…」

「き…気のせいじゃないの…?」

教科書から視線を外さずに応答をする。

「ホントかな…?めちゃくちゃ真剣な視線を感じたんだけど…」

「真剣な視線!?」

なんとまぁ、自分でも気付かぬ間に大醜態を晒してしまったのだ。何をやってるんだ俺は…


沈黙が続く。先程までの会話はどこへやら。

先に声を出したのは俺でも豊栄でもなく、部屋のドアであった。

「──あらあら、お邪魔しちゃったかしら。お菓子ここに置いていくわね。楽しいのはいいけど…廉雄、節度は守るのよ」

ドアは一瞬だけ母を写し、こちらの応答も受け付けぬまま元に戻った。

壁の向こうでは母の黄色い声が聞こえる。


「待って!!違うんだ母さん!!そういうやつじゃない!!そういうやつじゃないから!!!!」


俺の声は今日一番の大きさを以て、我が家にこだました。

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