16.

「ばあちゃん、なんで起きてんの?」


 冬の足音が聞こえてきた早朝はとても寒い。太陽とどっちが先かというチキンレースに俺は勝って台所にいるわけだが、なぜだかばあちゃんも起きていた。


「今日は俺が朝飯作るからゆっくりしててって、昨日言ったのに」


「年寄りはね、寝てようと思っても起きちまうもんなんだよ」


「意味ないじゃんか~」


 俺はストーブに火を入れて、こたつの電源をつけた。


「寒いからこたつ入ってなよ」


「まあまあ、せっかく起きちまったんだし、ちょっと色々やってるさ」


「まったく……。元気なのはいいけどさ~、孝行する孫の身にもなってくれよ」


「孫に朝ご飯を作ってもらえるなんて、昨日聞いちまったからね。ワクワクして余計に寝てられんわ」


 そう言うとスキップしそうなほどウキウキした様子で、勝手口から庭へ出て行った。俺が料理をするのだって、今回が初めてでもないのになんであんな嬉しそうなんだろう。


 だけど楽しそうにしてるのはいいことだよな。


 最近ではばあちゃんの楽しそうな様子も、少し減っていた気がしていた。なぜなら近所の人たちはもうみんな引っ越して行ったからだ。立ち退きエリア内で住んでいるのはもううちだけで、近所の人との朝の挨拶やお茶飲み時間が減って、ばあちゃんはなんとなく寂しそうだった。


 それでも、同じような毎日の繰り返しの中で、ばあちゃんはしっかり生きていた。朝起きて、決まった時間に朝食を食べ、午前中は掃除や買い出し、午後は人が来たらおしゃべりをして、何もなくても手仕事を見つけたり、俺に料理を教えたりして、暗くなったら夕食の準備をして、早めに風呂に入って床につく。何も劇的なことは起きないけど、自分の時間にちゃんと向き合ってる感じがして、これが年の功か、とか思ったりした。


 だから俺は俺ができそうなことをやることにした。多分うちもそろそろ引っ越すんだろうし、それまで少しでもばあちゃんがゆっくりできるよう、考えて過ごしているつもりだ。せっかく俺がここに居るんだからできることがあればいいな、と。今日から朝飯を作ると言ったのも、その一環なんだけど。


「起きちゃうんだもんなぁ」


 孫の心祖母知らず、とはこのことか。はぁ、でも起きちゃったものは仕方がない。とにかく作ろう。


 ばあちゃんに料理を教わり始まったけど、まだ手の込んだものは作れない。それに朝飯だから、あんまり重たいものでも場違いだ。冷蔵庫の中にある昨日の夕食で残ったおかずを確認して、朝作るのは王道のベーコンエッグとみそ汁にすることにした。


「あー寒い寒い」


「風邪引くからこたつ入りなよ。……ってそれ何?」


 順調に朝飯の準備をしていると、ばあちゃんは庭から戻ってきた。手には新聞紙にくるまれた何かを持っていた。


「うちの庭で育てた、最後の花さ。朝ご飯を食べたら、これでドライフラワーを作るから、優斗も手伝っておくれ」


「はいよー。朝飯もうすぐできるから、ちょっと待ってて」


「あーあったけえね、ありがたいねえ」


 冷蔵庫にある余りものをレンジで温めている間に、漬物や納豆や味海苔なんかを食卓に準備する。みそ汁とご飯をよそって運び、余熱で火を通していたベーコンエッグをフライパンから取り出す。温め終わった昨日のおかずを出してばあちゃんを呼んだ。


「できたよ。簡単なものしか作れなかったけど」


「いやあ美味そうだな。何もしないでもご飯が出てくるっていうのはありがたいもんだよ、本当に」


 ばあちゃんはニコニコしながら食卓に並んだ朝食を眺めた。


「孫にこんなご飯を用意してもらえるなんてねえ、あたしゃ幸せもんだね」


「大袈裟だなぁ」


 いただきますと手を合わせ、一口一口大事そうに食べるばあちゃん。たいしたものを作ったわけじゃないのに、そんなに有難がられると恥ずかしくなってくる。


「明日も俺が作るから」


「早起きは三文の徳っていうからね。優斗には良いことがちゃんと来るだろうよ」


「はいはい」


「ああ、美味しいねえ。ありがとうね」


「ばあちゃんが作る料理の足元にも及ばないよ」


「気持ちが大事なんさ。これであたしも少し長生きできるねえ」


 俺は思わず吹き出してしまった。


「いつだってばあちゃんは元気だろ。何言ってんの」


 足腰だってしっかりしてるし、頭だってシャキッとしてる。二十歳の俺よりよっぽど長生きしそうなばあちゃんが、そんな年寄りじみたことを言うのが面白かった。


「なんだい、年寄りは労わるもんだよ。こちとら棺桶に片足突っ込んでんだ。あちこち痛いしガタが来てるんだから、いつポックリ逝くとも限らんからね」


「またまた。大丈夫、ばあちゃんは俺より元気でしょ」


「はあ、まったく。……でも本当に美味しかったよ、ごちそうさまでした」


 うやうやしく手を合わせるばあちゃん。誰かに料理を振る舞うのも、悪くないな。ちょっと恥ずかしいけど、こうやって喜んでくれて全部食べてくれて、俺も嬉しかった。


「さ、片付けしたら、こっちをやろうかね」


 ばあちゃんはこたつの方に置いた、新聞紙にくるまれた花を指差した。


「俺が片付けるから、ばあちゃんはこたつでお茶でも飲んでてよ」


「上げ膳据え膳で至れり尽くせりだねえ。ありがたくそうさせてもらうよ」


 俺は手早く食器を片付け、使ったものを洗った。水がキンと冷たくて寒い。


「ちょっと一服するねー」


 手早く片付け、勝手口から外に出る。弱々しい日差しに、自分の吐いた白い息が照らされる。かじかむ指先に注意しながら煙草を咥えて火を点けた。


 一口、深呼吸。冷やされた空気が煙草の煙と共に肺に満ちていく。毎朝ここで煙草を吸っていると、季節が変わっていくのがよくわかる。最初の頃は柔らかく、花の匂いもしていた。それがじりじりと照りつける日差しに変わっていったと思ったら、どこか切ない気持ちになる匂いが混じっていった。


 同じだと思っていた毎日は、グラデーションでどんどん変化していく。東京にいた時は見向きもしなかったこんなことに、ここにいるとなぜだかよく気がつく。


「さっむ」


 家に戻ると、ばあちゃんはもうドライフラワー作りのセッティングを終えていた。


「ドライフラワーって、簡単に作れるもんなの?」


「こうして葉っぱを取って、一本ずつ逆さに吊るしておけばいいんだ。しばらくはお天気崩れそうにないし、ちょうどこの家から越す時に出来上がるはずだよ」


 オレンジ色の花が咲いている一本を手に取り、ぶちぶちと葉っぱをむしっていくばあちゃん。


「最後の花、かぁ」


「この家での思い出作りさね。一生は無理だけど、一年くらいはもつ計算だ」


 淡々と作業をするばあちゃん。ばあちゃんはばあちゃんなりに、この家との別れるために準備をしているのかもしれない。なんとなく、そう思った。


「ていうか、この赤いの、花? 色がついた葉っぱじゃないの?」


「それはケイトウっていうんだよ。ドライフラワーにしても色が残って綺麗なんさ」


「じゃあこっちの、栗のイガみたいなのは? これも花?」


「それはバレンギクっていうんだよ。花びらがついてるのもいいけど、ドライフラワーにするには花びらが落ちた方が都合がいいんだ」


「へえ」


 こっちはマリーゴールドだのサルビアだの、ばあちゃんがしゃべる声に耳を傾けながら、できるだけ丁寧にゆっくりと時間をかけて手伝った。


 何本かの紐にくくった花たちは、パーティーで飾るリースみたいだった。それを俺が吊るして、部屋の中が少しだけ今風に変わった。


「ばあちゃんて、昔から花とか好きだったの?」


 一服のお茶を飲みながら、ふと聞いてみた。


「昔はそんなでもなかったよ。でも、こう歳をとるとね、綺麗な時なんて一瞬だっていうことがよく分かってきて、それが愛おしいんだよ」


 吊るした花を眺めながら、お茶をすするばあちゃん。


「誰だっていつかは死ぬんだけど、どうせ死ぬんなら毎日一生懸命生きた方が楽しいじゃないか。苦しいことや辛いことも若い頃にはそりゃあったさ。やりたくないこともたくさんあったし、どうしてこんなところに居るんだろうと思うこともあった。だからこそ、だからこそなんだよ」


 ばあちゃんの言葉には、ずしりとした重みがあった。


「こんな年齢としで、この家から立ち退くことだって予想できなかったし、孫が手料理を振る舞ってくれるだなんて、もっと、夢にも思わなかったね。何があるかわかんないもんだよ、人生なんちゃ」


 そうやって笑うばあちゃん。


「ああそうだ、お昼を食べたら買い物に行って来てくれるかい? お金と買ってきてほしい物をメモして渡すから。今日はしっかり手伝ってもらったからね、午後は美咲ちゃんのところでも、ゆっくり行っておいで」


「だから美咲とはそんなんじゃないって」


「最近は寒くなったからね、あったかい格好で出るんだよ。あんまり遅くならないようにね」


「わかってるよ、もう」


 冬の縁側に落ちる陽だまりは暖かい。このままここで昼寝をしてしまいたい。


 やっぱり早起きをしたからまだ慣れないのか。俺は少しだけウトウトしながら、そんなことを思っていた。

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