17.
「じゃ、買い物行ってくるね」
「頼んだよ、あんまり遅くならないようにね」
「はいはい、わかってるよ~」
野ざらしのチャリにまたがれば、黒いサドルは日光を吸収して温かい。いいお天気で、ぽかぽか陽気だ。冬がすぐそこで寒いことは寒いけど、まだ太陽の下は気持ちが良い。
買い出しはいつも午前中だった。朝イチといってもいい時間でも、知っている人によく会っていた。今日はおやつの時間に買い出しだ。この時間帯は人に多く会うのか、それとも誰にも会わないか、どっちなのだろう。
「あれ、ちよさんとこのお孫さんじゃない」
「あ、えっと、寺田さん、こんにちは」
駐輪所にチャリを停めていると、早速声をかけられた。まだスーパーに足を踏み入れてすらいない。
「その節はおばあちゃんにお世話になって、本当に助かったわよ」
「いえいえ、こちらこそいつもお世話になってます」
「おばあちゃん、だれーこのひとー」
寺田さんと手を繋いでいる小さな男の子が無邪気に聞いて来た。幼稚園生くらいだろうか。紺色の制服のようなジャケットを着ていた。
「お孫さんですか? かわいいですね」
「そうなの、今お迎えに行ってきたところで」
「ママにないしょでおかし、かってもらうんだ!」
元気よく言う男の子。嬉しそうにニコニコと俺のことを見上げている。
「そっか、よかったね」
「うん! ね、おばあちゃん、はやくいこー」
「はいはい、じゃ、ちよさんによろしくね」
「はい、わかりました」
孫に手を引かれて自動ドアをくぐって行った。寺田さんは確か息子さん夫婦の住む家に同居する形で引っ越した人だ。楽しそうに見えて、なんだかホッとした。俺が直接関わったわけではないけど。
「さ、買い物買い物」
ばあちゃんから渡されたメモは、いつも買うものと違っていた。普段は生鮮食品を中心に買うけれど、今日はレトルト食品や飲み物やお菓子が多い。引っ越しが近いから生鮮食品を控えてるんだろうか。
というか、もういい加減引っ越しの段取りとか教えてほしいんだけどな。ドライフラワーになるのに十日から二週間って言ってたから、多分引っ越すのもそのあたりなんだろうけど。
「あら、優斗くん」
「荻野さん、こんにちは」
「なんだかすごい久しぶりねえ。千代乃さん、お元気?」
「はい、すごく元気です。有り余ってるぐらいですよ」
「やっぱり千代乃さんはそうじゃなくっちゃね。引っ越してからなかなか会いにいけないけど、またお茶しましょうって言っといてね」
「はい、ありがとうございます」
それだけ交わすとすぐに行ってしまった。毎朝会ってた荻野さんも、引っ越してからは会わなくなっていたっけ。
同じ町内に引っ越したと言っても、年寄りの行動範囲の狭さを考えるとそれも仕方ないのかもしれない。
「おや、ちよさんとこの」
「あ、関口さん、こんにちは」
「もうおたくだけだって? あの辺残ってるの。みんな出てっちゃってさぞ静かだろう?」
「ええ、ばあちゃんも少し、寂しそうにしてる気がします」
「そうだろうよそうだろうよ。引っ越しは決まったかい?」
「あー、多分、ですね。ばあちゃんは俺に教えてくれなくて」
「ちよさんも全部自分がやりたい人だからね、まったく大変だ」
そう言ってからりと笑う関口さん。
「引っ越しの手伝いくらいさしておくれって、ちよさんに言っといてちょうだいね」
「はい、ありがとうございます」
ちょっと歩くだけで知り合いに会う。その度に立ち止まる。
夕方に差し掛かるスーパーは大変かもしれない。だからばあちゃんは、俺に買い物は午前中行けって言ってたのかもしれない。
「おう、優斗じゃないか」
「賢三さん、どうもです」
そんなことを考えていたら、今度は賢三さんに出くわした。
「引っ越しの準備はどうだ?」
「それがわからないんですよ。ばあちゃんに聞いても、大丈夫だーって言うだけで」
「まあ、ちよさんのことだから抜かりないだろうがな」
「でも先に伝えてくれてもいいですよね」
「はっはっは、優斗もそういうふうになったか。いいこった」
俺は賢三さんに、どんなふうに思われていたのだろう。
「なんかあったらすぐ言ってくれ。車は出せるし、老いぼれだがまだ力はあるからな」
「はい、その時はお世話になります」
「ん。そんじゃあな」
お酒コーナーへふらふらと歩いて行く賢三さん。うちに来る時は車だからわからなかったけれど、実は酒好きだってことをばあちゃんに聞いたことがあった。飲むのは、やっぱり日本酒とかだろうか。
「おや、優斗くんじゃないの」
「あ、美咲、と、美咲のばあちゃん、こんにちは」
「今頃買い物なんて珍しいね?」
「そうなんですよ~。午前中、ばあちゃんとドライフラワー作ってて買い物午後になっちゃいました」
「いいねえ、ドライフラワー作りなんて。男っ子なのにそういうの手伝ってくれるなんて、ちーちゃんも嬉しいだろうよ」
「俺なんて全然たいしたことないですよ。料理とかできる美咲の方が偉いですよ」
「わた、私は別に」
「ふふふ。今晩のおかずは肉じゃがにするんだけど、優斗くんも味見してみるかい?」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん、ね、美咲?」
「おばあちゃんっ」
美咲が恥ずかしそうにおばあちゃんの袖を引っ張った。
「二人で作ったら、夕方持って行くからね」
「ありがとうございます。楽しみにしてます!」
隣人のありがたみというか、人の繋がりのあたたかさというか、そういうことに心がじんわりとした。
「じゃ、また。美咲も、またな」
「うん、またね」
なんとか買い物を終えて外に出たら、もうだいぶ日が傾いていた。冬の昼間は本当に短い。
ふと俺は海を見に行きたくなった。今日頼まれた買い物は夕飯に影響する食材がないし、遠回りをして帰ろう。
買ったものをママチャリの前かごに突っ込み、俺はチャリを漕ぎ出した。顔に当たる風がかなり冷たい。日の光が弱まっていくにつれて、空気の暖かさが失われていく。でもチャリを漕ぐ俺の身体は熱を持ってちょうどいい。
「はあ、……はあ」
海沿いの道路で、適当にチャリを停めて海を眺める。背中に落ちて行くオレンジの光に合わせて、海の色もどんどん変わっていく。
風がびゅうびゅう吹き付けて、火照った俺の身体を一生懸命冷やそうとしてきた。あんまり長居すると風邪を引きそうだ。
俺は煙草を取り出して、火を点けた。煙を、潮とともに思いきり吸い込む。冷えていく空気が、俺の肺をかたどっていく。
今日は、何も特別なことが無かった。ちょっと人には多く会ったけど、いつもと変わらない日だった。
だけど、そんな特別じゃない日だけど、何もしない一日だったとは思わない。
煙を吸って、吐き出す。煙は海風に巻き上げられて、すぐに霧散した。吹き付ける風にさらされて、煙草を持つ指がかじかんでいく。
「そろそろ帰るか」
辺りは薄暗くなり始めていた。早く帰らないとばあちゃんが心配する。
そういや心配されすぎて、賢三さんが迎えに来たこともあったっけ。そんなことが遠い昔のことのように思えた。まだ季節はそんなに過ぎてないのに、もうずっとこの町にいるような気がしていた。
「よし」
煙草をもみ消して携帯灰皿に突っ込むと、俺はチャリを漕ぎ出した。うちに帰らなくちゃ。またばあちゃんになんとか言われちまうかな。
気持ち急ぎめでペダルを踏みしめ、うちを目指す。
♪♪♪
すぐにスマホが着信を知らせてきた。ポケットから取り出すと、ディスプレイには美咲の名前。
多分うちに来たんだろう。いつ戻るのかって話かな。
俺は通話ボタンをタップして、スマホを耳に当てた。
「美咲、どうし」
「優斗くん、あの、大変なの! 今どこにいるの? 早く帰って来て!」
「落ち着け、どうしたんだ?」
涙声、というのか、鼻をすするような音もする。
俺の胸にざわざわと悪い予感が広がって行った。
「おばあちゃんが、優斗くんのおばあちゃん、救急車で運ばれたの!」
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