2.

「おー、ユート。またバイト辞めたんか?」


「今さっきな」


「あはははは、まあ飲めよ」


「バイト行くだけえらいじゃーん」


「とりあえず飲も~」


 俺は受け取った缶チューハイを勢いよく飲み込んだ。三口目くらいでむせた。それを見て馬鹿笑いするタクマたち。さっき怒られて腹が立ったことが、少しだけ馬鹿らしくなった。


 いつかのナンパが成功したのを機に、タクマは時々女を連れて歩くようになっていた。女、というか家出少女といった方が正しいような子たちだけど。化粧は濃いし、煙草も吸うし、今も目の前で酒を飲んでいるけど、その彼女たちが俺と同じかそれより上だなんて到底思えない。


「なんのバイト行ってたのぉ?」


「ファミレス。なんか怒られたから『休憩入ります』って言って帰ってきた。もう行かねえ」


「きゃははは」


「ユートやるじゃん」


「だる~」


 適当な路上で、缶チューハイを片手に面白くもない話をして、馬鹿笑いをする。それが俺たちの夜の過ごし方。夜の闇が、俺たちを大きくみせてくれる。昼間は非常識でも、夜の路上は俺たちみたいなのがいっぱいいるし。


 それにしてもバイトが続かない。バイト自体はやりたいことじゃないけど、いくらか稼がないと遊ぶ金もない。煙草代でいっぱいいっぱいだ。コンビニ、ファミレス、飲食店と、色々行ったけどどこも面倒くさかった。


 ってか、俺ってこんなに何もできなかったっけ? アルコールが回り始めた頭で考える。もっとちゃんとできてた時だって、ある気がする。でも気がするだけかもしれない。面倒くさいことは嫌いな俺だから。


「ユート、飲んでるかぁ?」


 もうすでに出来上がり始めたタクマが楽しそうに俺に絡んでくる。


「飲んでるよ」


 そう答えるけど、酒はあんまり好きじゃなかった。酒が美味いということがよくわからなかった。アルコールと缶の臭いのする美味しくない炭酸。飲まないとノリが悪いからちびちびやるけど、何が楽しいのかさっぱりわからない。


 徐々にぬるくなっていく缶を握りながら、笑い合うタクマたちを見ていた。


 時々飛んでくる会話に、適当に話を合わせて笑う俺。楽しいことがあるわけじゃない。ただ、面倒なことはない。


 半分以上残っている缶を持て余しながら、俺は煙草に火を点けた。と、グラっとくる。酒を飲んでる時の煙草はガツンと来る。なんでかは知らない。このガツンと来る感じは、少しだけ面白い。


 生温い風が、俺たちの酒と煙草臭い笑い声をどこかへ飛ばしていく。同時にどこからか、俺たちと同じような奴らの声を運んでくる。最近は夜でも暖かいから、うっかり家に帰るのを忘れることもある。


 今、何時だろう。


 普段気にならないことが、なんだか妙に気になった。思えばこれは虫の知らせだったのかもしれない。どうにも気になって、俺はスマホを開いた。


 時間は二十二時を過ぎたところ。バイトからバックレて、もう二時間が経っている。いや、それよりも。


 サイレントモードにしているスマホには、着信履歴がぎっしり表示されていた。


 どんなホラー映画だよ。自慢じゃないけど、俺はそんなに友達がいない。それから彼女もいない。寒気を覚えながら画面をタップして開いてみる。


 と、タイミングよく着信。そのまま出てしまう俺。表示された名前はさくら(姉)だった。


「もしも」


「あんた、どこにいんの?」


 俺の応答を遮って、低い声が聞こえた。これは怒っている。姉ちゃんが怒るようなこと……。心当たりしかない。これはまずい。


「どこって」


「早く帰って来な。話がある」


「はい」


「いい? すぐに帰って来な? 待ってるから」


 有無を言わさぬ強い口調。この世で最も待たれたくない人物から放たれる『待ってる』という言葉の重み。姉という存在は、フィクションではいざ知らず、現実リアルでは恐ろしいものである。


 ブツリと切れたスマホをゆっくりとポケットにしまって、俺は忘れていた呼吸を再開した。フィルターまで燃えて、火の消えた煙草を投げ捨てる。中身の入った缶を地面に置いて立ち上がった。


「悪い、今日は帰るわ」


「えー、もう帰っちゃうの?」


「おう、またな」


「おつー」


 迷いながら煙草に火を点けて、吸いたくもない一口目。苦い。葉っぱの味がする。でも吸わなきゃやってられない。怒った姉ちゃんが待ってるっていうんだから。


 一体どのことで俺は怒られるのだろう。こんな時間に遊び歩いてることか? 続かないバイトの数々についてか? それとも大学に行ってないことか? どれもこれも心当たりがありすぎる。


 優しい母さんと、気の弱い父さん。その間に生まれた姉ちゃんは、どうしてなのか、気が強かった。俺の四つ上で社会人としてバリバリ働いている。要領がよく、なんでもソツなくこなせるデキる人物だった。曰く、父方の家系に似ているらしいけど。弟の俺からしたらたまったもんじゃない。


「ただいま」


 意を決して家のドアを開けた。ただいまなんてすごく久しぶりに言った。でも玄関には誰もいなかった。明かりのあるリビングへとゆっくり歩いて行く。


「遅い」


 顔を出せば、鬼の形相の姉ちゃんが俺を睨みつけていた。そこに座れと、目線で命令される。俺は姉ちゃんの目の前の椅子に座った。食卓を囲む時の定位置。いつもの場所に、父さんと母さんはいない。寝ているのか。


「大学、行ってないんだって? バイトも勝手にサボって辞めてるって、母さんから聞いたけど、何してんの?」


 何してんのか、なんて、ただ俺は面倒くさいことから遠いところに行きたいだけなのに。


「夜は頻繁に家出て遊び回ってるって、その金はどこにあるの?」


 金はない。金を使わない遊びをしてるだけなんだけど。


「母さんと父さんに、心配かけてどういうつもりなの? もう二十歳だよ?」


 姉ちゃんの説教はとどまるところを知らなかった。あれもこれもと、出てくる材料。それを提供しているのは俺なわけだけど、やっぱり面倒くさい。でも面倒くさい素振りを見せようもんなら、姉ちゃんの怒りは更にヒートアップするに違いない。それは経験則で知っている。


「だから、明日からばあちゃんちに連れてくから。今晩中に荷物まとめておきな」


「……うぇ?」


 殊勝な顔ってどんな顔だっけと思っていた矢先、唐突に説教は終わった。


 終わったけど、よくわからない終わり方を迎えたために、俺の口からはよくわからない言葉が漏れた。


「しばらくは帰って来れないと思いな」


「は、え、なに、勝手に決めんなよ」


「自分で何一つ決められないくせに拒否権あると思ってんの?」


 こうなったらもうだめだ。弟という生き物はどうしてこう、姉という生き物の前では弱いのだろう。


「……しばらくってどのくらい」


「さあね。あんたが改心するまで、よ」


「はぁ……?」


「私が明日、あんたを送っていくわ。もうお風呂入って寝るから。ちゃんと荷造りしておきな」


 姉ちゃんはそう言うと、あっさりリビングを出て行った。俺は身動き一つせず待ってみたけど、姉ちゃんが戻って来る気配はなかった。


 何が、起きてるんだ? 何もわからない。


 でもとりあえず、怒れる姉からは解放された。今はそれだけでよかった。


 気が抜けたら眠くなってきた。何もしていないはずなのにどっと疲れた。


 ここで寝たらまた怒られるに決まってる。なんとか自分の部屋までたどり着き、俺はベッドに倒れ込んだ。


 荷造りだ? なんのことだかわからない。ばあちゃんちなんて、一体何しに行くんだよ。そんなこと言って脅して、どうせ、たいしたことないだろう。


 そんな希望的すぎる観測を抱きながら、眠気に身を任せた。

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