1.

「おいっすー」


「うぇっすー」


 口を動かすのも面倒な俺たちの、簡単便利な挨拶。どちらかというと鳴き声といっても過言ではないが、これだけで済むのだから楽でいい。


 真っ昼間のゲームセンター。ここが俺たちのたむろする、いつもの場所。窓のないこの空間は人工的な暗さを作り出し、その中に眩いネオンライトを光らせている。ここに集まる俺たちは、まるで誘蛾灯に集まる羽虫の類だ。煙草の煙と安い香水の匂いが淀むこの場所だけが、俺たちの住処。


「まーたバイト辞めたんだって?」


「俺が続くと思うか?」


 俺は格ゲーの長椅子に腰掛けながら返事をする。名前も知らない顔見知りの輪に加わり、ライターを借りた。くしゃくしゃになったアメスピをポケットから取り出し、火を点ける。


「あー、大金でも降って来ねーかな」


「そうだったらいいよな」


 ここに来て、何百回交わしたかわからない同じ内容の会話。生産性のない、俺たち。だって。


 金なんてない。


 やることがない。


 なのに時間だけは、たっぷりある。


 若さなんてものを有難がる年寄りに、現金で売っちまいたいくらいだ。


 『お前もわかるようになる』とか言うけど、この無意味な時間が果てしなく続いていく気がしてならない。


「割のいいバイトねーかなー」


「そんなのあったらとっくにやってるって」


 煙草の煙を吐き出しながら、日常が何も変わっていないことを確認し合う。手持ち無沙汰で、頻繁に灰を落とす。誰も彼も、ただこの瞬間を浪費している。膨大な時間を前に、持て余している。


「おいっすー」


「うぇっすー」


「お、ユート、バイトはどうだったんだ? 今回は一ヶ月もったか?」


 赤い光のホタルがまた、一匹。絡んできたのは、この烏合の衆の一応リーダー的存在であるタクマだった。


「十日だよ」


「あはははは、笑える」


 タクマは楽で楽しいことを教えてくれた。面倒くさいことを言わないのが何よりよかった。


 やりたいこともないのに入った大学は、なんとなく居心地が悪かった。最初のうちこそ、友達とか、学生生活というのに合わせて過ごしていたけど、なんとなく面倒くさくなった。そうしてタクマと遊ぶようになって、俺は大学に行かなくなった。


「ナンパでもいくか?」


「俺は行かないよ、面倒くさいし」


「お前はいつもそれな」


「どうせ暇なんだからいいだろ?」


「いい。そんなら帰るわ」


「あ、そう。おつかれ」


「おつー」


 立ち上がってから、別にゲームでもして時間を潰せばよかったんじゃないかと、そういう考えが浮上した。でも今更座り直すのも面倒だ。


 どっちにしたって、同じことだけど。


 俺は背後の仲間に手を振って別れた。火の点いた煙草を咥え直して煙を吸い込み、吐き出す。適当に灰を落としながら、興味もないゲームの筐体を眺め、歩いた。


「眩し……」


 穴倉から外に出ると眩しい日の光に晒された。と同時にひんやりとした空気が、生温かった俺の周りの空気を下げていく。


 身震いを一つして、ゲーセン入口の灰皿へ煙草を投げ捨てた。


 ぺらぺらのダウンの襟を一生懸命立てながら、誰とも目が合わないようにして道を歩く。昼時なのか、あちこちの飲食店から肉を焼く匂いや脂の匂いが漂ってくる。そういえば起きてから何も食べていない気がする。


「いらっしゃいませー」


 やる気のない店員の掛け声とともに、むわっと熱された空気が顔にまとわりついた。


「アメスピ。黄色いの」


 食事よりも、煙草の方が優先だ。


 煙草なんて覚えるんじゃなかった。金ばっかりかかる。


 でも、煙草を吸ってる時間はなんとなく好きだ。酒は美味しくないけど、煙草は少し気持ちを紛らわすことができる。


「ありがとうございましたー」


「ねえ、部屋はどうする? どんなところ借りようか―――」


 コンビニに入って行ったカップルの会話の断片が聞こえた。同棲でもするんだろうか。まったくもって俺には縁のない話だ。


 いや、俺だって彼女ができたこともあった。周りに勧められて付き合った彼女は、特別可愛いわけじゃなかったけどブスでもなかった。俺だってイケメンじゃないしブスでもないからちょうどよかったと思う。


 なんで別れたのかは覚えてない。いつの間にか別れてたんだよな。


「あ……、おかえり」


 家に着くと母さんと出くわした。そう、俺は実家住みだ。大学を機に一人暮らしをする案もあったが、家から近いところに進学することになった俺は実家から通っている。いや、通っていたと言うべきか。


 リビングの扉から半身を出した母さんは、ほんの少し気まずそうに俺を見ていた。母さんは専業主婦なのだから会ったっておかしくない。パタパタとスリッパの音を立てて、キッチンに向かう俺を追いかけて来る。


「お昼ご飯は? 食べるなら作るけど……」


 どこかぎこちなく俺に話しかけてくる母さん。顔色を窺われている気もする。


 そりゃそうだ。だって今の時間、俺は大学に行ってるはずなんだから。


「別に。あるもの食うし」


「昨日も夕ご飯食べなかったでしょ? 焼きそばでも作ろうか?」


「だからいいって」


「優斗……」


 俺はぶっきらぼうに言って、手近な菓子パンを掴んで部屋へこもった。


 母さんは優しい。俺が大学へ行ってないことを聞いて来ない。父さんもそう。気が弱いから、俺のことを怒ったりはしない。でも二人とも、俺に真っ当に生きて欲しいと思っている。


 真っ当に生きるって、だって、できないじゃん。ニュース見ればわかる。一生懸命勉強したり、一生懸命働いたって、ダメになる時は一瞬だ。面倒くさいをいくつも積み重ねてそこに辿り着いたって、どうせ壊れてしまうなら、面倒くさいを回避したい。


 俺の考えは合理的だと思うけどな。


 机の上に置いてあった飲みかけのお茶で菓子パンを流し込む。甘ったるい子供の好きそうな砂糖味が、人工的なお茶味のお茶に流されて胃に納まった。


 さっき買ったばかりのフィルムをはぎ取り、きちんと整列したうちの先頭を取り出す。


「……はぁ、うま」


 指先の葉っぱが詰まった白い棒を眺める。何がうまいのかはよくわからない。でもこれは、煙草はうまいと思うんだ。


 申し訳程度に薄く開けた窓の隙間からは、ゲーセンからの帰り道で感じた冷たい空気が入り込んできた。代わりに俺の吐いた煙が、外へ吸い出されて行った。


 それとは別に、母さんが一階で掃除機をかける音が聞こえてくる。通りを歩いて行く誰かの声や、電車の走る音、車の走る音も聞こえてくる。


「暇だな」


 煙草をもみ消して、ベッドに寝転んだ。少し寝て、夜出よう。あいつらも夜になれば、ナンパに飽きるだろう。


 別に会うことを約束したわけでもないけどな。


 眠くもないけど、布団をかぶって丸くなった。

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