六話 -幾年と、幾十年と-

 久々の街。ぼくは今、ツムグのいるコーヒー店の前にいた。それほど時間は経っていないはずなのに妙に久しく感じる。街の風景は当然だけど大きく変わったような様子はなかった。それはこのコーヒー店の外装も同じ。でもなんだか少し、周りの建物と比べて古臭い雰囲気が漂っているような。ここだけ時間が進んでいるような感じがする。

 しかしそれは些細な感覚だ。ぼくは今までと同じようにガラスの扉を開いて、入店した。

 中は静かだった。お客さんはいない。懐かしい感じだった。初めてぼくとツムグが会った時も、こんな風に閑静な空気感だったっけ。そのときはちょうどお店は閉店していて、ツムグが勝手にごそごそと作業をしていたのだった。

 あれ、そうなると、今日は店はやっていないのか? 今日はやっている日だったはずだけど、勘違いしたのだろうか。

 ふと、壁に飾ってあるカレンダーに目が映る。日付を間違えないようにしているのだろうか、律儀に今日までのところに丸が書かれてある。それを見ればやっぱり、今日はやっている日のはずだ。どうしてこんなに静かなんだろう。

 すると、奥からゴトッという音が聞こえた。音につられてその方向を見る。そこから誰かが出てきた。

「……おや、お客さん?」

 おばあさんだった。緑色のエプロンを掛け、腰に手を当てながら現れた。後ろで髪を結んでいて、既視感を覚えた。でも、誰だろう。

「————あの」

「……ああ。とりあえず、そこに座って」

 おばあさんが顎を使って座る場所を示す。そこはぼくがいつも座っていたカウンター席だった。言われるままにそこに腰かける。

「コーヒー、でいいかな」

「……はい」

 おばあさんが優しく微笑むと、作業を始めた。足取りは危なっかしいように見えるが、手際がすごくいい。手慣れている。つい、魅入ってしまった。そのままずっと見続けていると、気づいたら目の前にコーヒーがあった。

「お待ちどうさん」

「いただきます」

 ふー、ふー、と息で湯気を飛ばし、器を傾けてコーヒーを少量流す。……美味しい。すごく美味しい。これは、今までのものを超えている。すごく、心のそこからあったかくなって、とっても落ち着く。でも、ツムグのコーヒーに似ている。ツムグのコーヒーにより心を込められているような感じがした。つい、黙りながら飲み続けてしまう。一口飲みこんで、ため息をつく。そしてまた一口流す。その繰り返しだった。おばあさんは頬杖をつきながら、何も言わず、微笑みながらそれを見ていた。

「ごちそうさまでした」

「お代はいらないよ」

「え?」

「その笑顔だけで、十分」

 そう言い残して、おばあさんは奥に戻っていってしまった。

 そしてぼくも妙に満足してしまって、ツムグに会うことも忘れて店を後にしてしまった。

 帰った後、自室に戻ったときに思い出して、また一度いけないかと頼み込んだのだった。



 また後日、コーヒー店に戻った。店は一新されて掃除されたようになっていて、にぎわっていた。店に入ってみる。

「あ、いらっしゃい!」

 お客さんたちのにぎわいのなか、幼い少女の声が響く。その姿は、初めてあったころのツムグそのものだった。

「……ツムグ? 小さくなったね」

「? なんでおばあちゃんの名前知ってるの?」

 そのときぼくは気づいた。いや、知識としては知っていたはずなのに、実感がなかった。

「おばあちゃんなら……去年に死んじゃったよ?」

 ぼくたちとニンゲンは、寿命の長さがとてつもなく離れていたということに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る