第2話 わんこそばの蓋は閉め難い

白布の海の上、少年は寝転がっていた。


「二八そば…か」

昼の蕎麦の味は素人目にも『確かなもの』を覗き見得るものだった。


蕎麦なんてこれまでにも結構な数を口にしてきた筈なのだが、あの時はなぜか格の違いを感じた。


その『違い』というものが、廿浦つづうらが毎日件の蕎麦屋に通い詰める理由にあるのだろうか。


俺が住んでいるのは最寄りの駅から少し離れた場所で、駅近に所在する疋石高校へは自転車を利用して通っている。

普段からそこまで遠方へ出かけることもないので大した不便はしていないが、高校入学までは駅前すらまとまった利用が無かったわけで、件の蕎麦屋も初めて知ったのである。


それを考えると…廿浦はどこに住んでいるのだろうか?


「明日、訊いてみるか…」

部屋の明かりが落とされた。




駅前の駐輪場に相棒を任せ、そこからは地に足をつける。本来なら校内のそれに停めようとも一切の問題は無いのだが、どうにも敷地が広くなく、にも関わらずその自転車の多さ。放課後に連なって雑魚寝をしているそいつらを起こす手間を考えれば、まず間違いなく駅前を選ぶというものだ。


白キャンバスを限りなく広げる今朝の空は特段良い天気とも言えないが、その明るさは本日の雨の降らぬことを表すようだ。

「綿あめみたいだな…」

「何、食べたくなったの?」

「うわぁ廿浦!?」

ふと零れた一言に、横合いから応答が差し込まれる。

不意をつかれて動揺する俺を見るなり、廿浦から悪戯な笑みがにじみ出る。


八十場やそばは割と顔が整ってるから、黙ってればイケメンなんだけどなぁ。こういうところでボロが出るね」

嘲笑いながら人差し指で頬を押し込んでくる。にわかに刺さる爪が痛い。

「や…やめろぉ…」

「やめませーん」

勢いに乗せて指を避けるが、避けた先を読まれて再び1HIT。

押し返して避けようとするも、結果はより刺さるのみ。


「痛いよ!」

「えっへへー、ごめんごめん」

その顔に浮かべられた澄んだ笑いたるや、他に勝る者一縷とて残さじ。

顰められた俺の顔は、刹那に笑みへと変わってしまった。


しかし一考。

「今日なんか機嫌いいな、どうしたんだ?」

「そりゃ他でもなく、昨日は布教できて良かったなぁって」

「あぁやっぱり蕎麦のことか」

「やっぱりって何さ!わたしが年がら年中蕎麦のことばかり考えてるとか思ってる!?」

「割とね」

あの蕎麦愛だもの。


「ぐぬ…わたしの思考を構成するのはそれだけじゃないし!」

「そんなことは分かってるけどさ、でもやっぱり大半は蕎麦だろ」

「そんなことありませーん」

「え」

意外だとでも顔に出ていたのか、これを伺った廿浦は目を細めてほくそ笑んだ。こちらを向いたまま半身を傾け、上目遣いで視線を合わせてくる。

「当てが外れた顔してるね。わたしが今考えてることは蕎麦じゃないんだけど、分かる?」

ハーフアップにまとめた漆色の髪が、柳が如く垂れる。艶やかな笑みを湛えたその表情は廿浦の「演技の表情」だ。


とはいえ昨日も散々見たわけで、さすがに流される訳にはいかない。デコピンで応戦。

「こんなところでムダに能力を発揮するな。演技だろ」

「いったぁ…加減くらいしてよぉ…」

「それはごめん」

両手で額を抑える廿浦。廿浦を体現しているようだ。

と、思ったのだが…

「はい残念、これも演技。別に痛くなんてありませーん」

「おま、ズルいぞ!」


「ズルも何も、演技呼ばわりしたのは八十場だもん。隙あり!」

お返しと言わんばかりにデコピンを放つ廿浦。

「いっっったっ!?刺そうとしてる!?爪で刺そうとしてる!?」

嘲笑する廿浦、騒ぎ立てる俺。

「あらぁ〜八十場ったらおんなのこの幼気なデコピンにケチつけてるぅ〜」

「『か弱い』とか『しょぼい』じゃなくて『幼気』が出てくる時点で幼気ではないだろ」

「うわっそういうこと言うんだ!八十場それはモテないよ〜?」

屈託ない顔で鈴を転がす表情には、不覚にも愛らしいものがある。


「廿浦は、笑ってた方がかわいいな」

純な感想は不意に喉元を揺らした。


「えっ」

「あっ」


沈黙。


数刻ののち、返答。

「八十場…それはモテないよ」

同じ文言なのに重みが違う。なぜなのかは分かるが。

「ご…ごめんな?」

「八十場はタイミングってものを理解するべきだね。演技にも差が出るかもよ」

「はい…」


めちゃくちゃ引いているはずだろうに、アドバイスまでしてくれた。なんだかんだ廿浦は良い奴だ。

が。

「それじゃあ、モテない八十場は今日もお昼、蕎麦奢りね」

訂正。やっぱり良い奴とは言えない。



授業まで時間があるなと思ったので、とりあえず教科書を読む。

予習なんてこの道15年まともにした試しが無いが、中学と高校ではその難易度に明瞭たる差がある。為さぬ後悔より為しての後悔の精神だが、やって損はなかろう。

だがそれよりも…勉強してる『感じ』を演出した方が、他者からのイメージは好い。

まだまだ高校入学直後、ここで「デキる男」をアピールすることでクラスメイトにとっての俺の偶像は磨かれる。

何が言いたいか?他でもない。


モテたいのだ!!


中学では目立った恋愛イベントも無かったこの俺にとって、高校はいざうれ青春の時来たりといった具合に気合い十二分。

雰囲気の演出として最たる者は俺の他にいるまいな…そう考えながら脇目を振ると、右隣には熱心に…いや熱心そうに予習をする廿浦が視界に映った。


「お前もか!!」

「ふぁっ、はぇ!?」

何が!?という表情。驚きのあまり頬が紅潮している。

「廿浦、入学早々デキる女アピールとは露骨過ぎるぞ」

俺は自分を棚に上げた。しかし廿浦、頬の色紅葉はそのままに速攻で取り繕う。

「あ、あら、アピールに見えた?残念、それはうずめちゃんから溢れ出る真のデキる女オーラ。スキマ時間の活用は意識高い系のマストスキルよ」

「デキる女と意識高い系って同じだっけ?」

「うぇ?同じじゃないの?」

「その辺特に考えてないんかい」

「だって分かんないもん…って、あ」


勝者、俺。

「やっぱりアピールか…」

「やっぱりって何!?わたしそんなに見栄っ張りに見える!?」

…そういうわけではないのだけれど。

「ん?…あれ、さっき八十場は「お前もか」って言ってたよね…ってことは」

廿浦が破顔しかける。だがそうはさせない!

あらん限りの演技力で迎え撃ち、俺の偶像を守り抜く!

「ふはははは!廿浦、まさか言葉通りに受け取るとはな!」


よし。少々強引だがこれでどうにか突き通そう。

時代は勢いだ。形相けいそうさえ整えばどうにかなる…はず。

しかし、廿浦の次の動きはこちらの予想をすり抜けた。

「なんですって!?わたしの推理が間違ってたって言うの!?」

演技である。

俺も愚者と言えよう、先ほどの演技のどこに信憑性があろうか。

言葉通りも何も、どう省みても悪あがきである。


「悔やむのだな、己の愚かさを!そこで指を咥えて見物するがよいさ!

おっと失礼、咥えるのは食パンの方がお気に召すかね!?粗忽少女よ!」

「まぁ、なんという無礼千万!今に見てなさい、吠え面をかく前に犬よろしく忠義を誓うならば見逃してもいいわ!」

願うならば、とっとと降参したい。

そう、只今演技が繰り広げられているのはまさかのCenter of classroom。

このどうしようもなく不毛な茶番を続けているうちに、教室には既に数多の人人人。


ここで演技を中断するなら…そこで生まれる違和は一連の流れへの懐疑を呼び起こし、それは枝を増やしつつもやがて真理へと論を拡げるだろう。

ともなれば、双方共に「デキる奴アピール」をしていただけに、どちらかがボロを出そうものならここまでの苦労も儚く立ち消え、イメージアップという本来の目的すら損ねることとなる。

ゆえ、欲に任せた押し付け合いにより、引くに引けぬ加速循環が完成する!!



結局、この日はとかく演技の引き伸ばしにその思考を繰った末、廿浦の住むところすら訊くこともなく勝色を仰いだ。

なお、お昼の蕎麦は互いに入れ合いした山葵の量に泣きを見たが、それはまた別のお話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

にはちそば とりてつこうや @Torikou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画