第5話 待人来るとも遅し
名の通り、利用客の手荷物や小貨物の取り扱いを請け負う窓口だ。
つい数年前まで輸送の中核であった「急行駅馬」は汽車の登場によりそのほとんどが廃され、都市近郊の物流は世代交代の一途を辿っている。荷物扱に押し寄せる人波が一日中ほとんど絶えぬのも、このせい。
…しかし、それ以上の難しい話はわたし、フレトーナにはよく分からない。
今日もただただ窓口応対と事務作業をこなしながら一日を過ごす。我ながら数年前まで畑仕事やらなんやらをやってた身とは思えない。
改めて考えてみると、ただの農民が唐突に鉄道職員になったわけである。縁あってのこととはいえ、飛躍した生活には戸惑いすらも感じる。
ほんの僅かな時間に変わりすぎてしまったそれを省みるに、時代というものの変化を伺い知る。
だがそんなことよりわたしとしては、何よりも問題視すべき重要な事象がある。
そう…それこそが…
仕事での運動量が減りすぎて、体重がどんどん増えてる気がすること!!
なんということだろう。食いしん坊ながらも畑仕事により辛うじて維持されていた体型は、この頃どうもその秩序を崩し始めているように思える。
しかもレイルさんだのレイルさんだのレイルさんだの、何かにつけて施しを頂いてしまって困っている。
今朝の飴っころなんて比ではない。作りすぎたからと言ってお弁当を頂いた日もある。お隣さんじゃないんだから…
…いや嬉しくないなんて一言も言ってないけども!
そもそもわたしは、その昔行き倒れていたところを救ってもらった恩があるのだ。その時点で施しを受けるべきはレイルの旦那のはずなのだが、いつもいつもわたしは受け取るばかりで返すことを知らない。当然お返ししたいのだが、なかなか受け取っていただけない。
わたしでは力不足なのだろうか…
突っ伏して吐いたため息が、机上を舞い踊る。
朝の列車が一通り出ていった今、駅にいる人はまばらだ。
今なら突飛なことを言っても誰にも気づかれないかも、などという根拠のない憶測にてわたしの口は開かれた。
「レイルの旦那に養ってもらいたいなぁ……なんて」
周囲十六方より、好奇な目が向けられた。
春も近いスタプッコ駅に咲くは梅か桜か、突っ伏して悶える一輪の花。
わたくしフレトーナ、御年29である。
しかしそこへ無慈悲にもやってくるは、同僚のトラドス。
「フレトーナさんお疲れ様。交代の時間だよ」
「…ほっといてぇ………」
「フレトーナさん!?」
「あーはいはい、あのめっちゃ長いリアカーの人ね」
わたしに代わり、窓口卓に座ったトラドスは顎に手を当てた。
「そうそう…レイルさんがもうとにかくいろいろ気にかけてくれるんだよ…オカンだよオカン…」
「オカンって…
まぁでもやっぱりいい人だよね、おれもあんなおっさんになりたい」
「いやぁ…トラドスが目指せる境地じゃないと思う」
「なんでだよ!可能性はゼロじゃないでしょ!」
「トラドスはレイルさんと比べて包容力が足りないように感じるんだよねぇ…レイルさんのさ、この…なんていうんだろう…慈しみのある感じというか…全てを受け止め得る姿勢というか…」
「んなこと言われましてもねぇ…」
「とりあえず全人類レイルの旦那を見習うといいと思うんだ」
「フレトーナさん昨日の朝からの業務でだいぶ疲れてるね?帰ったらすぐ休みな?
…にしても、ホントにレイルさんのこと好きなんだね」
トラドスが振り返り、こちらを見上げた。
「…え!?…そりゃレイルさんは恩人だけど、別にそういうのじゃ…」
「でもフレトーナさん、おれに会う度にレイルさんの話するし。なんとも思ってない人のこと、誰かに共有したくなったりしないでしょ?」
「いやそうだけど…レイルさんは恋愛的な好きでは無いと思う」
トラドスは怪訝とした。
「そうなの?」
「そもそも朝に窓口で軽く話すくらいしかしてないから、レイルさんのことはまだあまり知らないんだよね。養ってもらいたいとは思ってるけど」
トラドスが苦笑いをする。「それは本気で思ってるんだ…」とでも言いそうな顔だ。トラドスは頬杖を突くと、口を開いた。
「でもさ、なんだか惜しいなぁ」
「惜しい、って?」
「二人が結ばれたら、さぞ幸せな夫婦になるだろうなとは思ってたからさ」
「どうだか。てか、そんなこと言うトラドスの方はどうなの?いい人見つかったりしてないの?」
「ぜーんぜん。人の恋愛は蜜の味だけど自分となると現実味がないっていうか。好きな人なんてもう10年くらいできてないよ」
「お互い、もう29だもんね…」
「周囲はみんな結婚結婚って言ってるのに、お付き合いどころか好きな人なんかもいなくて…おれたちだけ置いてかれてる感じするよね…」
ため息が重なった。現実とはかくも厳しいものだ。
窓口に向かうトラドスに、後ろから覆いかぶさるように半身を載せる。
「…ねぇトラドス」
「ん?」
「お互い35になっても恋人いなかったら、付き合お」
トラドスは少し驚いた様子でこちらを見上げた。数刻の沈黙ののち前方に向き直り、改まった口調で呟いた。
「…そうだね」
この日、帰路を進むわたしの影は、鼻歌と共にあった。
・・・
「…まだ帰ってこない」
椅子にふんぞり返り、頬を膨らます。
「まぁまぁマルナ、そんなに怒ってやるなよ。かわいい顔が台無しだ」
所長が右手で撫でてくる。左手にはコーヒー。
「かわいいって…そういうのはリーダーに言ってもらわなきゃ意味ないんですよ、所長に言われたって嬉しくはないです」
「いやリーダーってなんだよ。ここの長はあたしであって、あたし以外は全員役職無いだろ」
「マルナ君は熱心ですねぇ。その熱意を研究にも注いでくれると嬉しいんですけども」
「こらそこ!うるさいです!」
「『そこ』じゃありませんよ。あっしにはクルズスというちゃんとした名前がありますからね」
所長とクルズスはコーヒーを啜った。
「揚げ足取らないでください!そういうとこがうるさいって言ってるんですよ!」
「これはこれはお熱くなられて。これだから本能で動く者は扱いに困る」
「なんだとこのクソメガネ…!」
「クックック、よく吠える雌犬ですねぇ」
所長に限らずクルズスも撫でてくる。払い除ける僕と、嘲笑うクルズス。それを眺めて所長はため息を吐いた。
「そんなことで揉めるなよ…ただでさえ当研究所の所管はあたしたちしかいないってのに、団結を揺るがそうとするんじゃない。まだこの国に精鋭なんてそう多くいないんだから、仲良くしようという努力をしないか」
「いやだから、その精鋭のうちの代表的な1人が一向に帰ってこないから言ってるんですよ!」
「ククク。"帰ってこない"、ですか。そもそも彼はこの研究所に住所を置いてるわけでも無いのですし、どこに行こうが彼の勝手でしょう」
「確かにそうですけど!そうですけどね!?研究所を空けるならこの僕に書き置きでも矢文でも文鳥でも郵便駅馬でもいいから一つ連絡を残したり送り付けたりしておくべきでしょう!?」
僕は声を荒立てた。
「書き置きや矢文や郵便駅馬はいいとして…彼、文鳥の召喚や使役ってできましたっけ?」
「例を挙げただけです!突飛な例でごめんなさいね!?」
再び衝突しようという僕とクルズスをたしなめる所長。
お気づきかもしれないが、先程から僕が帰りを待っている人物こそが当研究所のリーダー的存在、コトスである。僕という存在がありながら、いったいあいつはどこで何をしてるのか…
コーヒーを飲み干した所長が切り出した。
「てか所長はあたしだから。ユーベルお姉さんだから。何かあった時に連絡寄越されるのはあたしだと思うよ」
「お姉さん…?所長っておいくつでしたっけ」
「ピチピチの51歳だよ。なんだ、お姉さんは似合わないってか?失礼なもんだね…レディの心はいつまでもお姉さんのままなんだよ」
「そうですよマルナさん。あなたにも、というかあなただからこそ、この心理が分かるものでしょう?」
飲み終えたカップを流しに突っ込みながら、クルズスが脇目を振る。
「そりゃ分かりますけど…クルズスに言われるのはなんか癪です」
「あっしは当たり前のことを言ったまで。あなたがあっしと同じ頭脳レベルであるというのなら、人をこの程度
「クルズスはまずその減らず口を直してから喋ってくださいね?人を慮れないのはどっちですか」
さすがに所長が割って入る。
「マルナもクルズスもいい加減やめろ、所内の空気をこれ以上悪くしようものならシズトがもう部屋から出なくなる」
「シズト…?誰ですかそれ」
「なるほど、マルナは今年からの参入ですから知らないのですね…
シズトはコトスと共に研究所を作られた方なのですよ。偉大ではありますが卑屈でしてね…この研究所の自分の部屋からはほとんど出てこられないのです。生活必需品は転送魔法でどうにかしているようですがね」
「え?所長が研究所建てたわけじゃないんですか?」
「所長は元々省庁勤めで、あっしと同じ年にこの研究所にやってきたので管理職のような感じなのです」
「道理で所長だけお年を召されてるなって思ってたら…なるほど」
「なーにがお年を召されてる、だ。それ以上失礼を働いたら今日のおやつはあげないからな?
というか、そもそもお前たち4人が若すぎるんだよ。平均年齢19.25歳ってなんだ?そんな研究所聞いたこと無いぞ」
「所長を入れると25.6歳ですねぇ」
ん?となると…
「待ってください。19.25歳ってことは合計年齢77歳ですよね?僕が18、コトスが21ってことはクルズスとシズトが19歳ですか?」
「いや、シズトはコトスと同じ21だ」
「…え?ってことは…」
「あっしは17ですよ。相変わらず自分とコトスのことしか頭にないようですね」
「お前僕より年下なのかよ!何なんだよ!もっと僕を敬えよ!!」
「まこと申し訳ない。マルナのことはとても尊敬できるものではなくてですね…」
「どうやらクルズスは僕にいっぺんシバかれたいと思ってるみたいだね?いいよいいよ、クルズスはそういう類いの
「あっしを嘲ろうとしているのでしょうけど残念ながら効きませんね、あっしとマルナには避けられぬ力量差というものがありますゆえ」
「なんだとコラ、いっぺん戦ってみるか?僕は問題ないぞ?クルズスとはそろそろ明確な優劣をつけようと思ってたんだ」
「良いでしょう、そちらからどうぞ」
ひとまず球形魔力膜「ポプスフィア」でジャブを打とうとした僕をバックハグで止める所長。
刹那、僕とクルズスの鉢に手刀が飛んできた。構内に"あう"、と軽い嗚咽が響く。
「さっきからあたしの話を聞いてるのか?やめろと言っているだろう。
マルナ、研究所を荒らした暁に一番悲しむのはコトスとシズトだぞ。
クルズスは一々相手を煽るな。上手い人付き合いというのを覚えてくれ。分かったな?」
「「はい…」」
その後、仲直りに所長がくれたチョコレートの取り分で再び揉める僕らであった。
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