第4話 露草色を仰ぎ見て

目の前の湯けむりに、息を飲んだ。

蒸された小豆の香りが鼻腔を突き進み、我を食えと訴えかける。

仰せのままにと箸を取ると、俺は止まることを考えもしなかった。


うまい!

「さすがレイルさんのご飯ですね!」

心中の快哉かいさいは言の葉となり、自然と喉を震わせた。


「ありがとう。だがコトスくんにもそろそろ美味しいご飯の作り方を教えねば。カテちゃんを唸らせるくらいにならないと困るからね」

「レイルさん!?違いますからね!?赤飯は嬉しいですけど、そういうことにはなってませんからね!?」


「うるさいわよコトス。結局何なのか分からないけど、赤飯なんて久しぶりだし素直に食べなさいよ」

言いながら野菜炒めを頬張るカテル。


「そうだぞコトスくん。やはり妻の意向くらいは易く呑める夫でないと」

言いながら味噌汁を啜るレイルさん。

揃いも揃って…食べてから喋れよ。


「レイルさんもしかして揶揄ってます!?分かっててわざと揶揄ってます!?」

言いながら魚にかじりつく俺。

…人のこと言えないな。


「っていうかレイルさん、さっきから妻とか夫とか誰のこと言ってます?スタプッコの知り合いで結婚する人でもいるんですか?」

「いやいや、え?」

「カテル…お前…さっきまでの話は…」

「いや一部聴いてたけどさ、昨日の火事の話でしょ?特に関係ないじゃない」


あーなるほど。

おそらく寝ぼけていて全然聴いていないのだろう。


そこへ切り出してしまったのはレイルさん。

「カテちゃん。コトスくんと同棲してるなら、ちゃんと言うんだ」

「はい?コトスと同棲?」

「コトスくんは先刻から恥ずかしがって否定してるんだが、実際二人は付き合ってるのだろう?」


「わたしとコトスが?

…………ないです。絶対ないです」


細い目をするカテルに俺は憤慨した。

「んな!お前!そこまで言わんでもいいだろ!夕べ寝床に入ってきたくせに!」

「えぇ!?もうそういうとこまで行ってるのかい!?」

「わぁぁ違います違います!!」


「…まぁとにかくレイルさん、わたしたちは思っているような関係じゃないですから」

レイルさんは怪訝な表情をした。

「そうかい?前から二人は仲がいいなと思っていたんだけど…というか、二人とももう21歳なんだからそろそろ浮ついた話でもないとおじさん心配しちゃうよ」


「33歳交際履歴なしが何言ってるんですか…いい加減奥さん見つけてきてくださいよ、毎日大変な仕事してるんだから支えてくれる人がいないと近いうちに身体壊しますよ?」


「ありゃ、カテちゃん心配してくれるの?嬉しいなぁ」

「そりゃしますよ!仕入れ先が絶たれるんですよ!レイルさんが倒れたらこっちも共倒れです!」

カテルの必死そうな顔を見るに、如何にして経営が成り立っているかが伺える。


「ま…まぁ。レイルさんみたいな優しい人ならじきにいい人が見つかるよ」

「コトス…あんたはいいわねぇ…研究費が王都から降りてる奴は経費気にしなくて済むでしょうし…」

場を鎮めようと発した言葉は、どうやら逆効果だったようだ。カテルがめちゃくちゃ睨んでくる。猫の威嚇みたいだな…


「ご…ごめんて。大変だよな」

「…たしなめようとしたんでしょう。わたしも悪かったわ。研究だって大変なのは知ってるから経費だけでどうこう言うのはご法度よね」

「…急に謝られるとバツが悪くなるな」

「そ…そんなこと言わなくてもいいでしょ!?」


そこへ入るは、レイルさんの笑い声。

「うーん、そうさなぁ。時代も変わってきているし、生活に困る場面も多様だろう。それはお互い様だ。だからわたしとしては…これからもお互い助け合っていけるといいなって思うんだ。わたしが助けになっているかどうかは分からないけどね」


…一つ、思うことがある。

なんでこの人格者に、彼女ができないんだろう。

だが、人格者は付け足した。

「それはそうと…二人ってホントに夫婦みたいだね」


「「一言余計です!!」」

位相を重ねたその声は、早朝のカテル宅にこだました。



朝食を済ませた後は食器を洗う。石鹸水に漬けてシュロ繊維たわしで擦る作業、どうにかして効率化できないものか。

そう思って腕を組んでいると、カテルから「効率化を考えるより今は手を動かして」と言われた。そりゃそうだ。


作業が終わって手を拭いているところで、傍のカテルが俺の服袖を掴んだ。かわいいなオイ。

「ん、どうした?

袖なんて引っ張らんでも、俺は逃げないぞ」

「いや、そうじゃなくて。今日は研究所行くの?」


「そうだな…さすがに研究所開けっぱは良くないから行くけど、それがどうしたんだ?」

「わたしも行ってみたいなって」

「ほんほんなるほど…え?」


「このカテルちゃんのおうちにお邪魔しちゃったんだし、交換条件。

どうよ、いいじゃない?」

「いやそれは…やめて欲しい…てか、やめた方がいい」

「や、やめた方がいい?」


「あぁ…研究に関して知りたければいくらでも教えてやるから、その辺のことは気にするな…」

「…怪しいわね。研究所に変なものでもあるの?隠したいものがあるとか」

「あるわけねーだろ!研究所だぞ!?」


「そんなこと言って。探せば何かしら出てくると思うけど?

あ、わかった。隠したいものというより隠したい人がいるんでしょ。好きな人とか」

「んなわけねーだろ!研究所だぞ!?

…大体なぁ、俺は──」

言いかけて留まった。俺は何を口走ろうとしてるんだ。待て。落ち着け。


「『俺は』、何よ。やっぱり何かあるんでしょう?」

完全に面白がっている。

研究所をなんだと思ってるんだ。あれはそう、言わば───…なんだろう。


研究所ではあるが、俺の家のようであり、俺の趣味の発散場であり…

そもそも研究所自体、研究内容が多岐に渡り過ぎてなんの研究所なのかも定義し難い。化学?工学?魔術学?


何より、もはや素晴らしさを感じる酷さの散らかりようなので、カテルが押し入られた暁には間違いなくカテルにとっての俺の人としての価値が思いっきり下がる。

それは避けたい。


「…まぁあれだ、近いうち招けるようにしておく。今はちょっと取り込み中でな」

「ふーん。まぁ、待ってるわ」

先程までの対応は何だったのか、急に興味を無くしたような表情をした。女性の思考とはかくも難しい。


そこへ、厠から戻ったレイルさん。

「何か面白い話でもしてたのかい?」

「いや、何でも。コトスが研究所に隠しごとしてるってだけです」

「してないわ!てか何でそこだけ切り取った!?語弊があるだろ!」

「隠し子!?隠し子ってどういうことだいコトスくん!?やっぱり二人は…」

「空耳ですよわざとらしい!とにかく研究所にやましい物事は無いですから!俺もう行きますよ!」

そう言って、勢いよく店を飛び出した。



既に日もかなり昇り、表通りはいつも通りの活気を取り戻していた。

気温も雨上がり程度まで回復している。

「…良かった。さすがに2日も気温は下がらんよな」

しかし振り返ると、昨日からの一件は勿論災難に違いないわけなのだが、夕べから今朝までの出来事がまた再びできないとなるとどうも少々残念に思われるところがある。

…なぜなのかは分かっているようなものだが。

「わざわざ部屋移動してまで添い寝してきたのに、絶対…か」

俺はため息をついた。腕には今朝の温もりが、少し残っている。


だが、そんな微かな消沈は、側をすれ違った通行人にかき消された。


「あらまぁ、あなたも聞いたの?」

「そりゃ聞いたわよ。ご近所さんでも噂になってるし」

「怖いわよねぇ。昨日の火事。

なんでも、放火だって言うじゃない」


歩みは止まった。

…放火?カルードさんの定食屋の火の不始末では無い…のか?


俺の疑問と戸惑いなどいざ知らず、通行人は続けた。


「なんか放火の疑い、2人くらいいるらしいのよ」

「2人?」

「1人が火元のおうちのカルードさんが自分で燃やしたとかで、もう1人が…なんだったかは忘れちゃったんだけど…ほら、あの人よ。



いっつも朝早くに、ながーいリアカー引いてるおじさんよ」



俺の鼓動は、いつになく速く響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る