第3話 春は近しき、待たれよ若葉

俺、コトスは困惑していた。

なぜカテルが、


俺の寝床にいるのだろう。



駅前の表通りを大火事が襲い、それを過剰に鎮めたのが昨晩のことだった。俺が加減を間違えたせいで街全体の火が一晩起こせなくなったのだ。


その夜は火元となった定食屋を営むカルードさんから表通りの住民に炊き出しがあったのだが、終列車が駅を発っても尚通りに居続けたせいで、遠い俺の実家は勿論、その寒さのせいで街に所在している研究所に帰るのも気が引けていた。


というわけで、いつもよくしてもらっている店の店主…というかもはや女友達のカテルの商店兼邸宅に泊まらせてもらうことになった、というのが事の発端である。


さてあれから日の出を迎えたものの、やはり例の過剰鎮火で表通りには一層冷たい風が吹き抜け、寝床と言えどさすがの寒さに眠気も退けられてしまっていたのだが──。


俺、コトスは困惑していた。


なぜカテルが俺の寝床にいるのだろう。

なぜ俺の腕の中に包まれるようにして身体を丸めているのだろう。

なぜこんなにもかわ─失礼、穏やかな表情をして寝ているのだろう。


昨日寝床を用意する際、手間になると悪いから居間のソファで寝ると宣言したところ「あんた…火起こせなくなった理由わかってるよね…?この寒さでソファで寝るとか、死ぬよ…?」と言われ、さすがに布団を用意してもらったのだが、それが敷かれたのは居間。


カテルが本来寝ているベッドは当然、カテルの自室に鎮座なされている。

カテルの自室と居間は廊下を隔てて繋がっており、廊下をそのまま通りに向かって進むと店に繋がる。


もともと玄関先には広めの庭があったらしいが、ここに店を増築したためにだだっ広い平屋が完成したのだそうだ。


いや、カテルの家の間取りは今はどうでもいい。なぜカテルは自分のベッドを抜けてまで俺の寝床に来てしまったのだろうか。


たまたま…?いや、何を以てしてそのような偶然が起きる?


しかし、すやすやと眠っている。

いつもの軽装にエプロンをつけた姿とは違い、今は乳白色の寝巻きに身を包んでいる。髪型もいつものポニーテールではなく下ろしてあり、よく手入れがなされた茶色の髪が無造作に布団に流れている様子にはなぜか胸がざわついて──いかん!


俺は先刻から一体何を考えているんだ?それよりもこの状況を打破する方法を考えなくてはならないのに!


頑張るんだ俺…思考するんだ俺…そう、いつもの研究の時のように…!


そこへ、ガチャリと鍵を開ける音。

音の方向からしておそらく、店の裏口…だろうか?


誰だ…?


息を殺していると、次いで扉の金具が、さらに店の床がそれぞれいびきを立て、そして──


扉の縁に車輪が当たった音を複数、その耳に捉えた。

この早朝に、店の裏口に多重車輪音。


あの人しかいない。


俺は腕の中の女友達など気にもせずに寝床を飛び出し、廊下を走って店の勝手口を開けた。


「レイルさーん!!!!」

「ぎゃああああ!!…って、なんだ、コトス君か…びっくりしたよ…」


改造リアカーを引いて店の裏口にやってきたこのおっさんは、ここカテルの店の仕入れを行ってくれているレイルさん。


「いやぁごめんなさい、たまたま早起きしちゃったもんでこの早朝に誰かと思いまして…」

「ほう、早起き?いいことじゃないか。朝の空気というのは心地いいものだし、健康にも良いのだろう?」

「ええ、勿論」


「「早起きは10スタッテの徳」とも言うからね。研究生活は大変だと思うけど心掛けるといい。

…って、すまん、上から目線になってしまったな。気分を害したようなら申し訳ない」

「いえいえ!そんなことはないので…」


とまぁこのように、レイルさんは世話焼きなおっさんであり、3人が揃う時は朝餉あさげを用意してくれることもある。

が。

この状況は少々マズい。

普段研究所で寝泊まりする…というか、大概机に突っ伏して夜を越す俺が早朝からカテル宅を飛び出してくることに違和感を覚えない筈がない。

変な勘違いをしなければいいのだが…


だが、そうは問屋が卸さない。

「そういえばコトス君はなんでこんな時間からカテちゃんのお店に…」


俺が飛び出してきた方向を向くと、レイルさんは目の色を変えた。

「…まさかコトス君!!君という人は…見損なったぞ!」


「…っ、え、え?」

動揺で声が裏返る。

あぁ…嫌な予感が…


「カテちゃんと付き合った上に同棲までしているのなら、早く言わないか!」

予想通りであった。

「…!?ちょ!何言ってるんですか!違いますよ!これはいろいろ事情が…!」

「まぁだが、いろいろわかった!そういうことなら赤飯くらいはすぐに用意が…」

「ホントに違うんですって!聞いてください!」






「ほう、3丁目で火事?」

レイルさんは顎に手を当てた。


「そうなんです」

「それは大変だったね。消火活動には行ったのかい?」

「勿論です。カテルには安否確認を頼みました」

「けど鎮火まで時間がかかってしまったのか。コトスくんの研究所は3丁目とは反対側だもんな」


「いや、そうではなく…」

「ん?どうかしたのか?」

「いや、そもそも3丁目までは行ってないんです」

「え?」

レイルさんの眉間に皺が寄る。


「3丁目で火事が起きたのなら消火は3丁目でやらないとダメだろう?」

「この冬ですから空気が乾燥してますし、昨日は特に風も強かったのでここまで火が来てしまったんです」

聞くと軽くショックを受けたようだった。

「大変じゃないか!

…なんてこった…そんなことが…

ん?でも先程到着した際にはそんな光景は露ほどもなかったような…」


俺は目を逸らした。

「…あまり言いにくいのですが…加減を誤って…」

「え」

「消火自体はすぐ終わったんです。たった一発の鎮火瓶で。ただ…この表通りの辺りで…」

「…辺りで?」


俺は自らが縮こまるのを感じた。

「火が…起こせなく…なりまして」

「…へ?」

「一応夜はカルードさんが炊き出しをしてくれたおかげで、食事面は特に問題なかったんですけど…さすがに夜も遅かったので…」


「カテちゃんが泊めてくれたと」

「そういうことです…あっ、提案はカテルからですからね!?」

「あっ…あぁ。それはまだいいんだけど…それよりもだな」

「ん?何です?」


「火が起こせなくなったってのは…」

「あぁそれですね…ええと、使用した鎮火瓶の中身は水に難燃剤を混ぜて魔力を込めたものです」


「難燃剤?」

「園芸肥料の原料に同様の性質があったのでそれを入れました。でもこれだけだったら只の鎮火剤なんです。問題は込めた魔力というか魔法で…

先に入れた、リンを不活性化させる魔法はまだいいんです。でもこれで留めておけば良かったんです」


「…ほう?」

「それが…広範囲に渡って温度を低下させる魔法。ちょっとなら良かったんですが…ちょっとで済むやつではなかったんです」

「なるほど…それで火が起こせなくなったと…これから大丈夫かい?」


「って、なりますよね〜…」

俺はため息をついた。

そこへ、今朝の喧騒の元凶がやってくる。

呑気に欠伸をしながら。

「ふわぁ…コトス、おはよ。レイルさんも朝からお疲れ様ね」


まだ髪を纏めず、微睡まどろんだ状態につい顔が熱くなる。そっぽを向いて返事をした。

「…おはよ」

「おはようカテちゃん。昨日は大変だったみたいだね。寝てる間にコトスくんがちょっかいかけて来なかったかい?」

「ちょっと!?レイルさん!?俺のことやっぱり疑ってます!?」


それを見てカテルは微笑んだ。

「ふふっ。大丈夫。コトスは信用できるやつって分かったし」

「なんだよそれ。もう何年の仲だと思ってんだ??」

「そうね。思えば長いこと一緒にいる気がするわ…最初に会った時のことなんて殆ど覚えてないもの」

「そうだよなぁ…」


その様子を見たレイルさんが切り出した。

「さ、お赤飯作らないと」

「レイルさん!?」



未だ寒いが、表通りの春も近い。

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