第2話 街道外れの一番地
ふるり、はうり。
吹き抜ける朝風が頬を掠め、寝床の周囲を跳ね回る。明朝の冷えが胴を揺さぶる。
麻毛布と寝巻き一枚には目覚ましにちょうどいい刺激…と思っているが、鉢に白いものがちらつくこの身体にとっては苦汁を飲むようで、口惜しくも己の
しかし、進む時代を知らぬこの静けさは昔から変わらぬ私─レイルの好きなものだ。
半身を起こす。襖を開け、遠く冬空を視界に取り込む。葡萄色の大暗幕が顔を出す。
深呼吸をしたところで、時間に気づく。
「─いけない、早く支度を…」
ゆったりしている場合ではない。今日も今日とて仕事である。
薄明の空と同じ色のシャツ、鳶色のズボンを身に付け、藍の羽織に袖を通す。もはや経年は十を超える、延々変わらぬ仕事着だ。所々ほつれ破れて新品と違わぬはその発色のみ。
田舎の母さんに幼少から家事をよく教わったのはいいが、そのせいでモノが長持ちしてしまっていい年こいても仕事着を買い換えぬ大人に育ってしまった。
買う金なら普通にある上に私服は人並みに持ち合わせているのだが、仕事着だけはどうも愛着が湧いてしまって買うまでの踏ん切りがつかない。
何ならこの前仕出し先の店主から「そんなんだから三十路行ってるのに彼女できないんですよ?」などと言われた。分かっている。分かっているが、謎の意地が働いてその先へ向かえない。
これがおっさんというものか…。
さて、凹んでいる訳にもいかない。
居間から土間を跨いで台所へ行き、へっついに座る釜に向かう。釜蓋を押し上げると共に、炊いておいた
さてぼちぼち我が家を発つぞというところで、峠の方角からピィィと汽笛が聴こえる。初列車のお出まし、始業の合図だ。
「よし、行ってきます」
夜明け前、今日も一番地を勇み出る。
リアカーを多重連結させ、魔力で定速推進補助を行えるよう改造した我が仕事道具を引いて、最寄りの駅へ向かう。荷台には夕べの市で仕入れた多量の品々がぎっしり。
我が家は街道から脇道を逸れた先にその門を構える。最近になって国から住所制定がなされて一番地に指定されたが、所詮は街道の外れ。起きがけの平安はこの立地にあるのだ。
細道を抜けるといよいよ街道に出る。郊外とはいえやはり主要道なので、道幅はそれなりに大きい。朝早いこともあって、改造リアカーを引いていても文句を言われることは無い。
ちなみに改造リアカーは自走できないのかって?それなら街道を通る馬車や自転車の邪魔にならない?
答えは無理だ。この大荷物を載せたリアカーを延々自走させられるほどの魔力があるなら、転送魔法で品物自体を店まで送るか、己が筋肉を以てしてはるか数十km先の店まで直行する方が早い。
仕出し先の常連さん…というかその店の店主の友人が仰っていたことを借りるなら、「現代の技術は魔力あってこそ物理が活き、物理あってこそ魔力が光るのであって、どちらかに偏るなら相当量の力が必要。大事なのはそれらを組み合わせること」とのことだ。
これまでの時代では魔力と物理力は別物であり、極めるならどちらか、という考えが定説だった。だが最近はその2つを上手く組み合わせることで互いの欠点やその力量の不足を補えることが分かってきた…らしい。
この改造リアカーも研究者である彼が作り出したものだ。研究の過程で発明した試作品…などという名義だが、もともと駅と市とを日に幾往復もしていた私を見かねて制作してくれたそうだ。
わざわざ研究物としたのは、なんでも研究での試作品なら研究所から制作費が降りるからとかなんとか。よく「研究者稼業は楽ですよ〜」と言っているのはこのためだろう。
さて改造リアカーだが、これにより飛躍的に輸送力が向上された。それまで駅で品を貨車に詰めた後は再び市とを往復して品を運び出すため、仲介を挟んで店に仕出ししていたところを日にたった1回の仕出しで済ますことができるようになった。
ゆえに仲介の省略のほか負担の大幅な軽減ができ、私自身が店に出向いて仕出しできるようになった上、荷物賃も一列車のみで済ませられるため多大なコストダウンを実現した。
これだけの偉業を成し遂げておきながら改造リアカーを作り出した本人は「礼を言われる義理はありません。趣味です」などと仰っている。全くもって頭が上がらない。
そんなことを考えているうちに駅に到着した。初列車にも関わらずプラットホームには大荷物を抱えた旅客が鈴なりの列を形成している。
「荷物扱」と書かれた看板の窓口に向かうと、いつもの顔がひょこっとお出ます。
「おはようございま〜す。荷出しですね?」
長髪を揺らし、にこやかに笑む駅員さん。お天道様すら未だ顔を出さぬこの時間の駅に、ひとつ花が据えられる。
「はい。いつもので」
「いつものって…レイルの旦那、ここは酒場じゃないんですよ?」
切符台紙を取り出しながら笑う駅員さん。この駅員さん─フレトーナさんには以前少しお世話になったため、今では名前を呼び合う仲になっている。
「ハハハ、これは失礼。セーチェット行きの切符と荷物切手を1つ。あとサワーも1本」
「サワーって、ホントにお酒買おうとしないでくださいよ!えっと、いつもの一揃えですね…少々お待ちください…はい、乗車券196スタッテと
呼応するように、懐から金銀貨を数枚差し出して勘定台に置く。
「こちらで良いですかね」
「丁度ですね、ありがとうございます。こちら乗車券とチッキです。改造リアカーは窓口脇に寄せておいてください」
「いつもありがとう、フレトーナさん」
「いえいえ!行ってらっしゃい!」
「行ってきます──あ、そうだフレトーナさん、これを」
取り出したのは、家を出る際に布袋に一緒に入れておいた琥珀色の珠。
「…?これは…飴…ですか?」
「そうです。まだまだお若いのにいつも早朝から頑張っていらっしゃいますからね」
「そんな、とんでもないです!貰えませんよ!」
「そんなこと仰らず遠慮なく召し上がってください。おっさんにできるサポートなんてこの程度ですから」
「じゃあ…有難く…頂戴します…。
あっおいしい…ありがとうございます」
「頑張ってくださいね!行ってきます!」
言いながら改札を抜けると、先程峠を越えてきた初列車が滑り込んできた。クロガネの塊はむもんぬとその黒煙を吐き出し、その存在を誇示している。
「ご乗車ありがとうございました!スタプッコに到着です!到着の列車はセーチェット行きです!当駅でしばらく停車を致します!」
背後から大声で案内がかかると同時に、列車が停止する。
石畳を蹴って最寄りの客車に乗り込む。
海の色をした直角座席が並ぶ車内には壁から床から天井から木とニスの香りが絶え間なく発せられ、同じく木造である仕出し先の設備を思い出させる。
そういえば店の床の腐食がだいぶ進んでいたような…そろそろ張り替え時だろうか。
先程駅員さんが行っていた案内も魔道具で解決できればいいよな…後で件の研究者くんに相談してみようかな。
考えつつ窓の外を眺めていると、いよいよ景色は流れ始めた。
街道の宿場町スタプッコに、今日も汽笛は鳴り響く。
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