第17話 君が我儘を言う時
「遅い!」
4月の終わりの週の日曜日、俺は病室にいた。外は雲一つない晴天、窓から差し込む日差しの反射のせいで全体的に白い彼女は消えそうになっていた。
病室に入った時、ベッドの上にいる美香は声を上げた。目には涙を浮かべている、声も若干鼻声のように聞こえる。
「なるべく急いで来たんだけど…」
「私の事嫌いになったのかと思ったじゃん」
「寝起きだったからいろいろやってて…」
休日である今日はスマホの目覚ましの音ではなく、電話のコール音に起こされた。
「…今から来て」
それだけ言って彼女は電話を切った。場所や時刻なども教えてはくれなかったが、休日にいきなり電話をしてきて切る人を俺は一人しか知らない。
「これ…母さんが美香に持ってけって」
「……ありがとう」
袋の中身には果物が入っている。母方の実家から送られてきた余りものだが、かなりの量が入っているので割と重い。
「で…なんで呼び出したの?」
「じ…実はここに行きたくて…」
美香はこちらにスマホを向けてくる。スマホの画面には店の写真だろうか…スイーツの写真も下に貼ってある。韓国発祥とか書いてある。
「何これ?」
「最近、流行ってて…お店が東京にしかなかったんだけど、この前近くに開店したから行きたいと思って」
「いいのか?先生に言わなくて」
「もう許可はもらったから」
いくら元気そうに見えても一応、美香は病人なので医師の許可なしでは病院の外には行けない。
「なんで一緒に行くんだ?許可もらったなら一人でも行けるだろ」
「みんな友達と行ったりしてるのに、一人で行ったら目立つじゃん…」
「そのお店…女子が行くようなところじゃん。俺、目立たない?」
「カップルで行ってる人もいるから大丈夫だって」
こういったお店には行ったことがないのでどんなところか興味がある一方で、普段はインドア派なのでそういった場所に行くことに対する恐怖心もある。
「ていうか、服どうすんの?さすがにそれじゃ…」
美香は病衣のままだった。さすがにそれで外に出られるわけがない。
「着替えるよ。もちろん…ほっ」
「!?」
そういうと美香はいきなり病衣を脱ぎ始めた。
「おいっ…着替えるなら早く言えよ。外で待ってるから…」
「待って…」
振り向いた瞬間、後ろから袖を引かれる。
「私、こんな身体なんだよ…着替えるの手伝ってくれないの?」
「いや…着替えくらいできるだろ」
「なんで?やっぱり嫌いなの?…私の事。触りたくもないの?」
「…そうじゃないよ」
「…じゃあ、着替えさせて」
彼女の肌が目に写る。病的なまでに白い、いや確かに彼女は病人なのだが…
「分かった…ほら、あっち向いて」
「正面からが良い~」
「はいはい…着替えってどこ?」
着替えさせるにしても服がなければ何も出来ない。病室は個人部屋でベッド以外にはテレビや椅子が何個か、小さな洗面台もある。荷物は入口から見て右側にまとめて置いてある。
「そこの袋に入ってるはず…」
「ん…あった。ねぇ、これでいいの?」
服をいくつか見つけたため、どれが着替えなのか分からない。確認を取るために振り替えると彼女はスマホを持ってこちらを睨んでいた。
白いスマホケース。彼女のものではない。美香のスマホケースには背面にリングが付いているタイプのものだが、今手に持っているスマホにはそれがない。
見覚えがあるというよりさっきまでポケットに入っていたはずのものだ。
「な…なんで?」
「ねぇ…この
「それ…俺の…」
「ねぇ…答えてよ。女の子だよね?」
もう一度質問を繰り返す。さっきよりも大きく低い声で。
「それは…同じ部活の人だよ」
苦しいが何とか言い訳を考える。
「私…言ってるよね。他の女と話さないで、他の女を見ないで、他の女を関わらないでって」
「そうだね」
「なんで守ってくれないの…私のことなんてどうでもいいの?」
「……美香…」
呼びかける。しかし彼女は聞こえていないのか、はたまた聞くつもりがないのか答えない。
「私の事だけ見てよ…私のことだけ考えてよ。何がダメなの?直すから…だから…だから捨てないでよ。君にまで見捨てられたらもう…私一人に…」
「…美香」
「不安なの…私が知らない所で知らない女と関わって、私の事うざいとか思ってるんじゃないかって毎日不安になる。君の声を聴いてないと泣きそうなくらい不安になるの…」
「美香」
「君のためなら何でもするから…エッチなことでも何でも、気が済むまで殴ってもいいから…だから…だから…お願い…捨てないで…」
「美香!」
つい大声を出してしまう。今の彼女を見ていると、悔しくてたまらなくなる。自分の不甲斐なさを美香を通して見せつけられている気分になる。
「ひっ…ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。怒鳴らないで…良い子にするから…ごめんなさい…」
小さい時から刻み込まれた習性は簡単には変わらない。彼女は怒鳴り声に非常に弱い、それは出会ったときから変わらない。
「ごめん、いきなり大きな声出して…怒ってないから」
「本当?」
「うん…早く着替えないと冷えるよ」
美香はいまだに上半身は下着のままだ。適当な服を持って、ベッドのそばまで戻る。
「これで良い?」
「うん…真…」
「何?」
「ぎゅってして…」
彼女は両手をこちらに伸ばしてくる。気持ちが沈んでいる時や泣いた後はいつも精神年齢が幼くなるのも変わらない。
「服着てから…」
「嫌っ、今…」
「なんで…」
「こっちのほうが肌で君を感じられるから」
「分かったよ……はい」
彼女に近づいて抱きしめる。彼女の白い髪が鼻に触れ、何とも言えない香りが鼻孔をくすぐる。
「肩の傷…ほぼ見えなくなってきたね…」
「うん」
出会ったときに比べてずいぶんと痩せたような気がする。背中に触れている掌からは体温を感じるが、白い肌と白い髪、そして弱々しい姿を見ていると幽霊と見間違える時がある。
「もっと…強く抱きしめて…」
彼女の言う通りに両腕に少し力を籠める。
「ん…」
服を挟んでいるためさっきまで感じずらかった彼女の体温が伝わってくる。顔のすぐ横にある彼女の口から漏れる吐息が耳をかすめる。
「もういい?」
「うん…元気出た」
「じゃあ…早く着替えなよ」
「むり~着替えさせて~」
「はぁ~」
メンタルが回復すると、我儘になるらしい。さっきまであんなに弱っていたのが嘘のようだ。だが、俺としてはそっちの方が好きだ。
「ほら、腕上げて…ばんざーい」
「ん…」
美香は素直に両手を上げた。彼女の腕に袖を通していき、服を着せていく。
全身を着替えさせるのには五分もかからなかった。ファッションはよくわからないが、おそらくカジュアル系?と呼ばれるコーデだと思う。
「はい、よくできました」
「なんか…子供みたい」
「で…お店ってどこにあるんだ?」
「下峰駅から一駅だよ。結構近い…」
予想していたよりも近場で驚いた。もう少し距離のある場所かと思っていた。
「それより俺のスマホ返してくんない?」
「待って…他の女、全員ブロックしてから…」
「はぁ?ちょ…ちょっと待て…」
急いで美香の手から自分のスマホを無理やり奪う。そこまで強く握っていなかったためスルッと抜き取ることが出来た。
「あぁ~ちょっと…」
「ちょっと…じゃない。さすがに消されると困る人もいるから…」
「でも…他の子と連絡とられるの嫌なんだもん。連絡しないって約束してくれる?」
「女の人とはなるべく連絡しないようにしてるから…その
「あれ、るなって読むんだ…つきじゃないんだ」
相当メンタルが沈んでいない限り、さっきみたいに取り乱したりはしないみたいだ。いつもは明るく、口数の多いイマドキの女子高生でしかない。
「早く行こう…人気だからどうせ混むだろ」
病室の西側の壁に掛けてある時計は十時半を回ったころだ。
「うん……よいしょっ」
立つのが久しぶりなのか、それとも足に力が入りきらないのか、美香は一瞬よろけながらもベッドから立ち上がった。
「大丈夫か?辛かったら車いす…」
「いらない。私だってちゃんとリハビリしてるから…」
「そうか…」
そうは言っているが足は若干震えているようにも見える。
「でも…手は繋ごう」
「え?」
「あそこ人も多いからはぐれちゃうかもしれないし、もし私に何かあってもすぐ支えられるでしょ」
「まぁ…そうだけど…ここでつなぐ必要は無くない?」
「うるさい…さっさと繋げ」
「…はいはい」
彼女が我儘を言う度、前の明るい彼女に戻っているようでうれしくなる。
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