泡沫

泡沫 希生

うたかたのやくそく

 ホログラムの星がパチンと音を立てて消えた。いくつもいくつも連鎖するように、手の平ほどの球は割れていく。今回はどの星も残らなかった、どの星も最終候補になれなかった。

 駄目かぁ、と君がぽつりとつぶやく。駄目ですね、と私も首を横に振る。


「次の候補せい群の、シミュレーションを開始」


 君の声に導かれ、大きな機械が計算を再び開始した。先ほどとは異なるホログラムの星々が、白い長机の上に投影される。その机の横では最終候補として選ばれた星たちが、仲間が増えるのをふわふわと浮かびながら待っている。


「次は見つかるといいですね」


 この国の、この領星りょうせいにおける領土が足りなくなってきたから、次に移住するための新たな星を探している。何でも八十年ぶりのことだとか。

 探査機を飛ばして周辺の星々のデータを集め、そのデータを元に、人は住めそうか、資源はあるかなど百以上の項目を照らし合わせた上で、実際に移住した場合のシミュレーションも行う。

 作業自体は機械が全部やってくれる。候補せいの中から更に最終候補を選び出した後、この国のお偉方が最終候補を見て、彼らが次の領星を最終決定するという。

 機械によって地球を飛び出し違う星で暮らすことができているのに、人間は、結局機械に全てを委ねることはできなかった。作業の過程にもできる限り、人間が関わるべきだと考える。

 そのために、私たちはシミュレーションの監視員として雇われた存在で、君いわく、これは誰でもできる簡単なお仕事だ。


「結局さ、わたしたちのしていることに大した意味はないんだよね」


 星を見ながら、君は言葉を投げてくる。

 計算用の大型機械に占領されている白い部屋の中、他にあるのは白い長机と二人分の機械椅子だけ。大きなディスプレイに向かうように、私たちは椅子に座り並んでいる。

 規則として、私たちは特殊なゴーグルをつけている。帽子と一体になったそれは、顔の上半分が隠れるほど大きく、自分の視界の中では普通に物が見えているのに、互いの顔は灰色のレンズに隠れて見えない。

 着ている服も同じ。長い袖と長い裾の白い服。黒い靴。互いの体型さえよく分からない。

 君と話すことがこの部屋での主な行動で、私にしてみれば、名前も顔も知らない、声の少し高い君と話すお仕事だ。


「まあ、確かに、機械だけで全部できますものね」

「それもあるけど……。なんというか、この星で死のうが、新領星で死のうが、結局人間が最期に至るところは同じだから」


 君は右手を軽く振って、椅子に備え付けられた機械に指示を出す。指示を受け、機械が用意したコップに入った水を一口飲む。そして言う。


「みんな、泡になって宇宙にまかれる」


 かつて地球に人間がいた頃は、遺体は土に埋めたり燃やしたりしていたらしい。

 今や、死んだ人間は、機械で目に見えない物質に分解されて無害なものになり、泡――透明な丸く薄いカプセル――に入れられた上で宇宙にまく。

 今や、領星の領土が死の記憶を留めることはない。墓というものを作るほど、領星の領土に余裕はないのだ。昔の文化の一例として習うだけにすぎないかつての慣習を、一体どれだけの人がきちんと覚えているのだろう。


「だから言ってしまえば、わたしたちは、未来の泡のために、泡の住まい探しのためにこうして働いているってわけ。そう考えると、なんだか意味ないなって」

「それはちょっと」

「極端?」


 からからと声を上げて君は笑う。


「でもそうでしょ。いずれ目に見えないほどの塵になり、泡に入れられて消える。あなたも、わたしも」


 最初は、亡くなった人間を目に見えなくなるまで分解した後、そのまま宇宙に向かって放っていたと習った。

 だが、故人との別れをより惜しみたいという人々の声が届けられ、宇宙における新たな葬送の形として、分解された遺体を透明なカプセルに入れて宇宙にまき、それを見送ることが提案された。


「ああ、別にわたしは〈泡葬ほうそう〉が嫌いっていうわけじゃないんだ」

「そうなんですか?」

「泡自体どうせ後から消えるものだとしても。やっぱり、泡があったらちゃんと見送れる気がするんだよね」


 泡は割れるもの。つまり、見送りが終わった頃に泡は自然と割れ、分解された人間は結局宇宙にまかれて闇に溶ける。見送るためだけに泡は存在している。

 私は泡を見送った経験はないが、君はあるのかもしれない。話しぶりからして。


「でも、この仕事には何か欠けてる気がして」

「君は、この仕事に意味が欲しいんですか?」

「欲しいのかも。わたしたちの仕事が、あってもなくても同じものだと分かっていても。いや、だからこそ、かな」


 それはきっと、人間の本能みたいなものなのかもしれない。


「泡になるみんなのための仕事だとしても、私は意味があると思います。〈泡葬〉ができたのと同じでしょう。人間が領星を選ぶために、私たちはいるんですから」

「わたしたちが特に何もしてなくても?」

「今、私と君は話をしていますけど」

「それは、そうだけど」


 君の口からは「でもな」とか「なんかな」とか、呟きが漏れまくっている。耳に心地よい綺麗な声だ。私の声なんかガサガサで、機嫌が悪いわけでもないのに意図せず低くなる。君は一つもそれを指摘しないけれど。


「この仕事が、私たちにとっては直接意味があるわけではないから気になるんですか? 私たちに新領星に住む権利はないですから」

「あ、そうかも」


 君の声が、いつもよりさらに高くなる。


「だったら、一つ、約束でもしてみませんか? この仕事が終わったら、私たちもこうしようって」

「仕事が終わったらって、それこそ意味ないよ」


 君も私も知っている。この仕事はあと数日で終わることも。ひと月にも満たないこの仕事の同僚とは、おそらくもう会うことがないのも。

 個人端末の持ち込みも禁止され、私たちは互いについてほとんど知らない。はっきり知っていると言えるのは、声だけ。


「だから約束するんです。仕事が終わることに、私たちが別れることに、意味を与えましょう」

「どうやって?」


 私は、ここでの仕事を君と話すことだと思っている。でも、最初からそう思っていたわけじゃない。

 それと同じように考えよう。別れたらもう二度と会えないであろう、私たちがもう一度会えるとしたら。


「私たちはこのまま別れるけれど、私だって君だって、いずれ泡に乗って宇宙に行く。だったら、宇宙をいつか一緒に旅してみませんか? 体がないから、きっと気楽に旅ができますよ」

「はは、何それ?」


 私は君が言っていたことを思い返す。


「だって、どうせ最期にはみんな泡になって、同じところに行くんでしょう? なら、私たちもきっと、その場所でまた会えますよ」

「ちょっとの間しか一緒にいない人に、あなたはもう一度会いたいの?」

「私は少なくとも、君のことを覚えてるつもりです。だってこんな仕事、なかなかできませんから。だから応募したんです。それに、少しの間しか一緒にいられないからこそ、また会えたら面白いでしょう」

「それは……そう、かも?」


 君にはこの仕事を意味がないとか、そんなことを思ってほしくなかった。その思いから捻り出した約束。私は守るつもりでいる、泡にも等しい約束。

 考えるように君は唸っている。なんだか、その時間が妙に長く感じられた。視界の隅では、選考中の星たちがゆっくりと回っている。手前の赤い星が、一周して、二周して、三周目。

 やがて、君はゆっくりと顔を上げた。君の口角は上がっているように見える。


「わかった。面白そうだし覚えておく。いつか、わたしたちは一緒に宇宙を旅する」


 君は小指を伸ばすと差し出してきた。


「えっと、それは?」

「よく知らないけど、昔の人間は、約束をする時に、小指と小指を絡める事があったらしいよ」


 それを聞いて、やっぱり、人間はそういうことが好きなのだと強く感じる。


「なるほど、やりましょう」


 小指と小指が、ぎごちなく近づいて、絡んで、動いて、離れて。フフッと、互いの吐息が流れていった。やり方が合っているのか全く分からないけれど、それでいい。

 業務上の規則を守れているのかどうか、私たちは常にカメラで監視されている。この会話も聞かれている。しかし、仕事が終わればこの会話は記録に残されることもなく消されるだろう。

 でも、私にとってはそうではなくて、君にとってもそうではなくて。君の答えがその証だと捉えておきたくて。小指を親指でそっと撫でる。

 不意に、機械が通知を鳴らし、計算結果を知らせてきた。二人でディスプレイを見る。

 一つだけか、と君が声を漏らす。一つだけですね、と私も首を縦に振る。

 最終候補に選ばれたホログラムの星が、そのまま宙をすうっと動いて、最終候補の仲間に加わる。まだ後少しだけ、こうして星が選ばれるのを見守らないといけない。もう後少しだけ、こうして君と一緒に見守ることができる。

 選ばれなかった星たちが、音を立てて消えていく。未来の私たちみたいに。





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