(5)

 しばらくして、料理がはこばれてきます。

 トマトの赤、ズッキーニの緑に白いんげん、そして黄金色のパスタ。

 イタリアンらしい、食材の色あざやかな品々。

「トマトはイタリアから取りよせたサンマルツァーノ種を使用しております。煮込むとコクがあって、男性の方にもよろこばれるんですよ。こちらの細いパスタはカッペリーニ、細さとなめらかさから、天使の髪の意味でよく知られています。パンはおかわり自由です。みな様お若いので多めにお持ちしておりますが、追加が必要でしたらご遠慮えんりょなくお申しつけくださいませ」

 丸縁メガネをかけた中性的な装いの店員が、ていねいにてきぱきと料理をならべます。

 わあ、と莢音がむじゃきな声をあげました。

「あのー、デザートの内容を聞きたいんですけど」

 先ほどメニューを確認したが、『デザート付 選べます』としか書いてありませんでした。

「桃のジェラートはありますか?」

「桃は、季節がもう少し先になるので……」

 店員が申しわけなさそうにします。

「そうですか……」

 直司が目をやると、莢音はあからさまにがっかりした顔をしていました。

 本気で楽しみにしていようですが、こればかりはどうしようもありません。

「冷凍のが、のこってるはずだ」

 ショーが言いました。

「それ、使ってください。あと桃のジャムも」

「——いいのですか? ちいかさんには……」

「いいです。あいつには別のもの用意しておくんで」

 店員の言葉をさえぎって、ショーはぶっきらぼうに言いました。

 ユキがはっとショーをみます。

 リョウジがわずかに眉根まゆねをよせました。

 彼らの変化を、直司は敏感びんかんによみとります。

「ねえ、今の、どういうこと?」

 莢音がショーにたずねます。

「俺のデザート用に取ってあったんだよ。お前食いたそうにしてたから、やる」

「あんたの? 桃とか食べるんだ」

「……わりいかよ」

「別に。じゃあ遠慮えんりょなくもらうから」

「ああ、好きにしろ」

「もうしわけないとか、ぜんぜん思わないから。いっさい。まったく」

「——好きにしろっつってんだろ」

 どうやらショーが自分に屈服くっぷくしたと思ったようです。

 おそれしらずの莢音が、ふふんとナマイキにあごをもちあげました。

 くくっ、と笑い声がもれます。

 ユキと、そしてリョウジです。

 二人とも肩をゆすって笑っていました。

 笑っちゃいけないところなのに笑いをこらえられない、授業中にたまらないジョークでも聞いたような、なんともいえないふくみ笑いです。

 ショーがポケット手を入れ足をくみ、背もたれにもたれながら顔をまっ赤にしています。

 桃が好きなのがばれて、ずかしかったのでしょうか。

 直司はそんな見当ちがいをしました。


 料理はどれも絶品ぜっぴんでした。

 味オンチの直司ですら美味だと思うのですから、すばらしくないわけがない。

 いい料理は食べる者の口をなめらかにします。

「お兄ちゃん、この野菜煮こみ、おいしい!」

「カポナータだ。味つけはトマトとオリーブオイル、ニンニクと塩コショウのみ。素材がいいと、こういう上品な味になる」

「お兄ちゃん、このスパゲッティ、おいしいね!」

「アサリはギリギリしゅんだからな。カラはじかにつかんで手で食え。そうするのが一番うまい」

 莢音がはしゃいだ声をあげると、ショーが料理の説明をします。

 話だけ聞いているとまるでこの二人が兄妹に思えてきます。

 佐藤アンバーも舌つづみをうち、上気したようすでつぶやきました。

「最高のランチだ。こうなると上等なワインがほしくなるな」

「「絶対にダメです」」

 直司とリョウジがみごとにハモると、ユキがすこし笑います。

 デザートの桃のジェラートもまた素晴らしいものでした。

 莢音は直司の分までぺろりとたいらげたのでした。



「せっかくこうやって集まったんだ、なかよくウィンドウショッピングでもしゃれこもうじゃないか。どうだい明星? 妹さんも、時間はあるかい?」

 ここは自分に持たせてくれと強引におしきった佐藤アンバーが、会計をすませて店をでるなり提案しました。

「ぼくはかまいませんが。莢音は?」

「……別に、お兄ちゃんがいいんだったらかまわないけど」

 莢音は本来人みしりのはげしいたちで、本音を言うと一刻いっこくも早く兄と二人っきりになりたいんです。

 ですが朴念仁ぼくねんじんな直司がそれに気づこうはずがありません。

「……わたし、やだ」

 ここまで謝罪の言葉以外、ほとんど口をひらかなかったユキが、

「このままじゃやだ。わたしはサヤネちゃんに知ってもらいたい。着かざることの楽しさとか、服自体の可愛さとか、そういうことを知ってもらいたい。その上で、あやまりたい。きちんとそうしたい」

 かたくなな口調で主張しました。

「おねがいサヤネちゃん、わたしにチャンスをちょうだい。一度だけ、サヤネちゃんが服を好きになるチャンスを」

 そして莢音の手をとり、

「え? あっ、ぁあの、お兄ちゃん?!」

「——藤野さん、」

「すまん明星、ユキの好きにさせてやってくれないか?」

 たのみこむのはリョウジ。

「わりい、あいつがあんな感じになると、もうだれも止められないんだ」

 ショーも、直司をおがむように手のひらをたてます。

「——うん、わかった。じゃあ莢音、ちょっとお世話になりなよ。そそうのないようにね。藤野さん、妹をよろしくお願いします」

「うん!」

 ユキが、莢音を強引にひっぱってゆきます。

「あわ、っわちょっちょっとまってよ! なにこの人、まってってばあ! お兄ちゃあん! もおー!」

 莢音の非難ひなんもなんのその、ユキはつかんだ手をはなさずぐんぐん歩きます。

 そのようすはなんとなくレッカー移動を思わせました。

 またはある晴れた昼下がり市場へゆくみちをすすむ荷馬車にばしゃとか。

「なあ、それで私らは何をしてりゃいいんだい?」

 とりのこされて、佐藤アンバーが男子たちをながめます。

 ショーが答えました。

「野球とか、どうっすか?」



「さあ入って。ここが私のお家だよ」

「ここって……」

 莢音が見あげたのはでっかい煙突えんとつ

 そこにはごんぶとの字でこう書きつけてありました。

『富士の湯』

 純和風じゅんわふうの建物はのれんの反対っかわで別の建物と合体していました。

 銭湯せんとうからは裏手うらてになるそこはなにかのスポーツ施設しせつで、サビサビのトタン壁にカピカピにほころびたペンキでこう書いてあったのです。

『ラッキー拳闘けんとうクラブ』



 どうしてこんな休日になったのだろう。

 バッターボックスにはいって足もとをととのえながら、直司は考えます。

「打てよー! トッポいにーちゃん!」

「ヘイヘイピッチャーびびってる!」

 ワンナウトランナーなし。

 マウンドのショーが、自信たっぷりのワインドアップを見せます。

 そして矢のような投球。

 ボールはズバッとえげつなくキャッチャーミットを鳴らしました。

「ナイスピー!」

 キャッチャーのリョウジが、マウンドに返球します。

 河川敷かせんじきの草野球、中高年で構成こうせいされた2つのチーム。

 そこに乱入し、直司ほか3名はグーとパーで両チームにわりふられました。

 三階の裏、直司の第一打席。

 ちなみに両チームのおじさんたちは、全員例外なくお酒が入っています。

 地面は空き缶といくつもころがる酒ビン。

 どうにも納得できない気分で、直司はふたたびバットをかまえます。

 ショーの第二球目は、顔面ギリギリの危険キケン球。

「……まさか、ぼくをねらってないよね」

「そんなわけあるか。バカぢからがコントロールできないだけだ」

 リョウジがうけおいました。

 つまりただのノーコンピッチャー。

 そっちのほうが怖いのではないでしょうか。

「ショーな、」

「うん?」

「妹、いるんだ。ちい香ちゃんって子だ」

 リョウジはささやくように話しかけます。

 直司にだけわかるような声。

「体がよわくてな、ずっと療養所りょうようじょで暮らしてる。たまに外食なんかに出られたんだが、それもここ一年はご無沙汰ぶさたになってる」

 第三球はアウトローのボール球。

 これでワンストライク、ツーボール。

「その子が、桃を好きなんだね。時々いくっていうのが、あのお店だったんだ」

「お前は察しがよくてたすかる。それで、お前の妹をそうとう気にかけてたようだった」

「え! ……それは」

 第四球はどまんなか。

 直司は盛大に空ぶりしました。

 振りおくれて、ぶざまに足がもつれます。

「案ずるな、女の子としてみてたわけじゃない。背格好は似てないが、莢音ちゃんになんとなくちい香ちゃんのおもかげを重ねたんだろう。きのうもお前の妹をさがすのにそうとうかけずりまわっていた」

 リョウジの返球を、ショーが軽くうけます。

「そっか、お礼、言っとかないとね」

「一応気にかけといてくれって話だ。お前はもう、俺たちの仲間の一人なんだから」

 リョウジの言葉に、直司の胸が不意に熱くなります。

「……ありがとう!」

 第五球目もどまんなかストレート、直司はその球を、思いっきりひっぱたきました。

 球威きゅういにまけたボテボテのゴロが三遊間さんゆうかんの深いところを転がります。

 それをショートが飛びついて止めました。

 直司は懸命けんめいに一塁にはしります。

 ショートはヒザ立ちのままボールをサードにトス、サードが矢のような送球を一塁に送る。

「つっこめ明星! セーフだったらキスしてやるぞ!」

 佐藤アンバーが大声をはりあげます。

 なにも考えず、直司がその声にしたがいました。

「「「「「「何ィ————————————ッ!!!!!」」」」」」

 リョウジとショー、そして中年男性たちのどよめきがひびきわたりました。

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