(3)

 直司にとって莢音のゆきさきは、さがすまでもありませんでした。

 自宅から少しはなれた公園で、莢音はいつものブランコにすわっていました。

 いやなことがあると、莢音はいつもここにくるのです。

「わすれ物」

 直司は莢音に荷物をさしだします。

 学校指定のカバンと小さめのスポーツバッグ。

 もち手のつけねに流行おくれのキーホルダーがいくつもついていました。

 莢音はカバンをうけとりません。

 ただ地面をにらみつけています。

「手芸部に入部したことも、バイトをはじめたこともかくしてたわけじゃないんだ。ただ自分の中で納得なっとくっていうか、整理せいりしてから話したかった。ぼくにとって高校生活は、まだぜんぜん安定してないから。弱音とかはきたくないし、心配もかけたくない。莢音や母さんや兄さん姉さんも、今は大事な時期だろ? むり言って父さんの元にのこったぼくが、みんなの負担ふたんになるわけにはいかないよ」

「どう、して、なの」

 どうしていっしょに古西の家にきてくれなかったのか。

 あんな、家族をかえりみない父の元にのこったのか。

 そう言いたかったんですけれど、声になりません。

 かわりに涙がこぼれおちました。

「父さんは一人じゃなにもできない人だから。母さんにはみんながついているし、莢音は、ぼくがいなくてもへいきだろ?」

 莢音がはげしく首をふります。

 休むことなくなんども首をふります。

 ツインにむすんだ髪がゆれました。

「……そうか、ごめん。もう莢音をほっておいたりはしないから。それでいい?」

 莢音は言葉を発しませんでした。

「あとでいいから、藤野さんにあやまりにいこう。いいね?」

 莢音は答えません。

 直司もそれ以上は言いません。

 だって家族ですもの。

 それがイエスの沈黙ちんもくだと、直司は知っているのです。



 二人が肩をならべて自宅にむかうのをリョウジが見かけたのは日ぐれ前。

「ええ、公園を重点的じゅうてんてきにさがしたのがこうそうしました。明星の自宅地域は聞いていましたから。はい、声はかけませんでした。二人が会えたのなら、妹さんは心配いらないということですから」

『わかった。ありがとう。——ところでショーは?』

「無事そうだというメールだけ打っておきました。あいつには駅方面をさがしてもらいましたから。ショーのことだから、相当かけずり回ったはずです。きっと思ってもない文句をいっぱい言うでしょうね、あいつはユキにもおとらないバカなので」

 リョウジはいじわるそうに笑いました。



「明星は無事妹を見つけたようだ。私たちも帰ろう。今日はバイトの予定、ないんだろう?」

 完全に自失しているユキを、アンバーがやさしくうながしします。

 ユキは粘土ねんどアニメのようにぎくしゃくと立ちあがりました。



 夜、直司のもとにリョウジから電話がありました。

 バイトのシフトを代わってもらった礼をして、それから大まかな説明をします。

「うん。莢音ならもう寝てる。どうも母親とケンカして、とびだしてきちゃったらしいんだ。今うちで一泊させてる」

『そうか、無事ならいいんだ。自分たちの野次馬根性のせいで混乱こんらんさせた。すまなかったな』

「そんなふうにわるく思わないでよ。それよりも、その、藤野さんなんだけど……」

『そっちはアンバー先輩にまかせた。そつなくやってくれているだろう。勝手かもしれないが、できればユキに釈明しゃくめいの機会をあたえてやりたいと思っている。時間をおくとこじれるからなるべく早いほうがいいと思うんだが』

「ああ、そうだね。莢音もきちんとあやまりたいだろうし……。明日はちょうど休みだから、どこかで会おうか」

即決そっけつはありがたい。ところで候補こうほはあるか? ①どこかかしこまった店 ②部室 ③お前の家』

「え? ウチ? うーん、③は悪いような……」

『意外といい案だと思うぞ。妹さんもリラックスできるだろうし』

「それはどうかなあ……妹はこの家が好きじゃないんだよ。それに部室だとアウェー感がつよい気がするし……」

『なら①だな。ついでに昼食もとろう。店のチョイスはまかせてくれるか?』

「ありがとう、お願いするよ」

『礼をいうのはこっちのほうだ』

 直司が通話を切りました。

 さて、この話を妹にどう切りだそう。

 人知れずため息をつく兄なのでした。



 暦の上では夏のさかりだというのに、梅雨前線が長く列島にとどまっております。

 そんなわけで、朝からしめりけの多いはじまりとなりました。

「………………ねえ、どうしてもいかなきゃダメ?」

 しのつく雨の中あんのじょう、莢音はしぶります。

「ダメ」

 直司にしてはつよく言い、ぐずる莢音を強引に引っぱります。

 手と手をしっかりにぎり、ぐんぐんぐんぐん。

 それにあわせて、莢音のツインテールがぼんぼんゆれます。

——昔っからそうなんだよ、お兄ちゃんは。

 莢音はふくれながら思いました。

 普段ぼーっとしているくせに、なにか問題ができると解決めがけてまっすぐに動きだすのです。

 目的ができるとまわりおかまいなしになるのは父に似たのだ、とこっそり耳打ちしたのは母でした。

 かつて、明星一家は仲のよい家族でした。

 父親のたびかさなる商売の苦境くきょうが、一家をばらばらにしてしまったのです。

 おかずの少ない、時には米すらまともにない食卓しょくたく

 兄、姉たちのお下がりのランドセル、体操服、習字道具。

 いったいいつの時代の話でしょう。

 そんな生活にあって、家族の普段着だけは充実じゅうじつしていました。

 高級な素材やブランドのもの、というわけではなく、トレーナー、シャツ、パンツ、シューズ、アクセサリ類、そういったものの種類だけはやたら豊富ほうふだったのです。

 どれも最新トレンドのものではなく、つまるところそれらは、父の店にならべてあるようなものばかり。

「幼少のうちに感性は生まれる。良いものには早くかられさせておいたほうがいい」

 服道楽ふくどうらくの父がぶつこんなありきたりの教育論きょういくろんが、言いわけじみて聞こえるようになったのは、莢音に第二次性徴せいちょうがあらわれたころ、早い話が反抗期はんこうきにさしかかったあたりでした。

「そんなことよりももっともっとお金をかけるべき場所があるじゃない! 家とか、車とか! こんな服ばっかりあって朝ごはん食パンの耳とか意味わかんないっ!」

 しごくもっともなご意見です。

 ですがほかの家族はその意見には賛成さんせいしても、莢音を積極的せっきょくてきには支持しじしませんでした。

 そういった衝突しょうとつもまた、姉と二人の兄がおなじ年ごろにやったことだったのです。

 さんざん主張したあげく、父の傍若無人ぼうじゃくぶじんぶりに幻滅げんめつしただけの思春期。

 ただ一つちがったのは、莢音の反抗が徹底して父にのみむけられたところです。

 末っ子の強みかそれとも持ってうまれたさがでしょうか、莢音の抵抗活動は熾烈しれつかつねばりづよかったのです。

 頑固者がんこものなのです、この莢音という妹は。

 父に似てっていうと超おこるけど。

「莢音がいやがる気持ちはわかるよ」

 ちかごろやけにものわかりいい顔をするようになった兄が、その手を引きながら言いました。

「ぼくもいっしょにあやまってあげるから。それに、藤野さんたちもきっと莢音にあやまりたいと思ってる」

 莢音はまだむくれてます。

 あやまりたくないわけじゃない、ばつが悪いだけなのです。

 まだ中学生なんですもの。

 それに、ユキがうっかり口をすべらせた言葉は、思いかえしてもやっぱりゆるせません。

「イタリアンのお店だってさ。好きなデザートを食べていいよ。ぼくのおごりだから」

「……ジェラート」

「うん?」

「桃のジェラート、食べたい」

「うん。じゃあ、一緒に食べよう」

 莢音はこくりとうなずきました。

 これは、おいしいジェラートを食べるための代償だいしょうなのです。

 それをいただくために、いったんはあの女に頭をさげてやるのです。

 兄の顔を立てるために、恥をこうむってあげるだけ。

 ですがたましいまでは売りません。

 この怒りはちょっと頭をさげられただけでおさまるものでは、ないのです。

 どれだけ自分を曲げようが、腹の中では最大級のあかんべをしてやるつもりです。

 思いっきり、ベーっとかいーっとかしてやるのです。

 罪悪感ざいあくかんをまぎらすそんな理由づけをして、ようやく莢音は気が楽になりました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る