(5)

「直司、わが息子よ。ぼくのスコッチコレクションをだめにしてしまって、ひどいじゃないか」

 家に帰ると、酔いからなかばさめた靖重が、泣きそうな顔で非難ひなんしてきました。

 あれからすでに一ヶ月ちかくたっています。

 今ごろになって気づくとはおそすぎます。

「父さん。ハンバーガーチェーンのレイクロックの、昔のユニフォームって、ある? 40年前の」

 めんどくさいので直司はうったえを無視。

 アル中一歩手前から救ってあげたのだから、そもそも感謝されてもいいとすら思っています。

「レイクロック? アメリカ本土のものが各種もちろんそろってるが、それがどうしたのかね?」

「うん。すぐに必要なんだ。で、それって一着いくらぐらいかな?」

「先に言っておくが、ズボンは無い。シャツだけだぞ。それならそうだな、2800円〜4900円ってところか」

 リョウジの見積もりよりも、1000円近く安い値段です。

「なにせ物が物だからな。素材は安いし、大量に生産して使用後は倉庫に眠っていたものだから、とても美品びひんとは言えん。そこまで承知しょうちなら用意するが」

「うん。ありがとう。それでかまわないと思う」

 直司はすぐにリョウジに電話しました。

「でかした」

 受話器の向こうで、メガネはギラリ剣呑に輝いていたことでしょう。



 翌日、ちょうどシフトが入らない曜日だった直司とリョウジは、そろってBRIGHT☆STARをおとずれました。

「やあいらっしゃい。注文のものは用意しとるよ」

 すっかり酒のぬけた靖重がむかえでます。

 まともに受けこたえの出来る父を見るのは何週間ぶりでしょう。

 直司はちょっと冷めた目で靖重をながめます。

「レイクロックは、1950年代にカリフォルニア州のサンディエゴで生まれたバーガーショップだ。サンディエゴをしっとるかね? 最近続編が作られたことでも注目された、あのトム・クルーズ主演の映画『TOPGUN』の舞台になった街だ。その名前からもわかるとおり、ラテンの風合ふうあいを色くのこした土地で、アメリカでもっともいい都市といわれている」

「サンディエゴは、たしかスペイン語でしたね。その前についていた名は、たしかサン・ミゲル」

 リョウジのあいの手に、靖重が満足したようにうなずきます。

「さて、レイクロックは、サンディエゴ市の中心、サンタフェでクロック三姉妹が出したレストランがそのはじまりといわれている。その名は“クロック・シスターズ・ダイナーズ”。三人が三人とも美人で、店は彼女たち目当ての男たちが大勢、まあ、引きも切らずかよっておったそうだよ。その中で、レイモンドという目端めはしのきく男が、三人に店を広げることを提案した」

「なるほど。それで、レイ・クロック?」

「おっと、気が早いな。頭の回転の速さはポケットにかくしておいた方が得をするよ? そう、君の考えたとおりだが、まだいくつか説明をくわえよう」

 直司はこの時点で後悔していました。

 そうでした、どちらも無類のウンチク好きで、話が長くなることは火を見るよりも明らかだったはずなのです。

 靖重がせきばらいをして、口火を切りました。

「レイモンドの当初の目的は、三姉妹の長女アデレードと親しくなることだった。ところが彼女にはすでに恋人がいてね。だが、レイモンドはそれであきらめるような男じゃない。店がまえや出されるサンドイッチ——ハンバーガーのことだ——のすばらしさを前面に押しだしたフランチャイズを立ちあげないかと持ちかけたのさ」

「そして、それは成功した」

「うむ。当初事業の拡張をしぶっていた姉妹も、レイモンドの熱意についに根負こんまけし、ついには破格はかくの条件で契約した。レイモンドは、以前から考えていたキッチンシステムの効率化こうりつかをその中に盛りこみ、ハンバーガーショップ、Raykrocsは最初の店を出した」

「レイクロック?」

「そう、当初は複数形の"s"がついていたんだね。彼はみずから創業者そうぎょうしゃ——ファウンダーとなり、事業を展開した。会社経営は順調に軌道にのり、五年後にはカリフォルニア州内に十店舗、十年後にはワシントンとオレゴン、そしてネバダとユタをくわえた計五州に百店舗をかまえた。このあたりでsの字がなくなる。さらに二十年後には、全米の主要都市でレイクロックの文字を見かけない街は無い言われるほど大きな企業となった」

「美人姉妹とそのお店はどうなったの?」

 大企業の勃興ぼっこうよりも、そこが気になる直司です。

「お目当ての長女アデレードは、ほかの男と結婚した。古なじみの、しがない電気工だったらしい。次女のジャニスもまた、近所のバーの支配人とねんごろになった。そして、三女のレイチェルが、彼のハートを射止めた」

「年の差はなかったの?」

「十五もはなれていたそうだ。レイチェルはまだ少女の頃から、姉に会いに来るハンサムな実業家に恋をしてたのだそうだよ。さて、二人の蜜月みつげつは長くつづき、売りあげも伸びつづけた。レイモンドとレイチェルは理想的な二人三脚でフランチャイズを盛りあげた。二人の関係はレイクロックにもじって、レイズロックと呼ばれた。つまり二人のレイの絆の固さを、錠前にたとえて語られたのさ。さて、1980年代、ついにレイクロックは日本にも上陸をはたす。そのころのユニフォームがこれだ」

 靖重がシャツをひろげる。

「動きやすいボウリングシャツ風のデザインは、今のコンビニのユニフォームの先駆けといえますね。現代の感覚で見ると、少々バタ臭くはありますが」

「だがそこが良い。だろう?」

 辻リョウジが深々とうなずきます。

 直司には解らないセンスです。

 その後も二人は、あれこれとウンチクをかわしあいます。

「ところで、三姉妹のお店はそのあとどうなったんですか?」

「次女の孫が受け継いで、今もそこにのこっているよ。君もサンディエゴに行く機会があったら、ぜひおとずれてみるといい。三姉妹の夢のなごりがあちこちに感じられる、すてきなレストランなんだ」

 そんな店なら、直司も行ってみたい。

 頭に浮かんだ三姉妹は、長女アデレードが直司の姉、次女レイチェルが直司の妹、三女のジャニスは、なぜかユキでした。

 とすると直司は彼女の家を、最新のビジネス手法で繁盛はんじょうさせねばなりません。

 妄想はなはだしさに、直司はそんなことを考えた自分が恥ずかしくなります。

「ユニフォームを頭数分そろえるつもりといっていたが、布地を手に入れる当てはあるのかい?」

「日曜日にも《センイストリート》をめぐろうと思います。レイクロック・キャットのバックプリントは、パソコンで出力したものを、アイロン圧着出来るツールがそろってますので、それで片づけようと思っています……正直、風合いの面で満足はできないのですが」

「なあに、バイト先で短期間着る分には上出来さ。まだなにか相談したいことがあれば、直司に言っておいてくれたまえ」

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