第2話 盛春、三姉妹のボウリングシャツ

(1)

 想いが瞬間のたかぶりをもたらすイメージとすれば、想い出は言葉や風景や香りや出来ごと、そんなものをひとつにまとめたパッケージ。

 それは巨匠きょしょうのえがく名画のように印象的な一葉の作品として、みなの心の部屋にたいせつにかざられているのです。


「部活を休みたいんです」

 直司なおしがおねがいしました。

「ぜったいにゆるさん」

 佐藤さとうアンバーが魅惑みわくの笑顔でばっさり却下きゃっかしました。


 直司が切りだしたのは放課後ほうかご

 例のごとく被服準備室でたむろしていたときのこと。

 そこには藤野ふじのユキやつじリョウジ、沖浦おきうらショーもいて、手芸部はフルメンバーがそろっていました。

「ゆるさんと言われましても、こちらにも都合つごうがありますし……」

「都合ってなんだい。言ってごらんよ」

 佐藤アンバーがハミングするようにきいてきます。

「アルバイトをしたいと思いまして」

「どんな仕事をするつもりなの? 明星あけほしくん」

 ユキが広げていた雑誌から顔をあげました。

 ちなみに手元の雑誌は二冊、“VOGUE”と“ELLE”、高校生が今シーズンの着こなし対策を練るにしては、価格帯と年齢層がだいぶお高めの雑誌です。

「それはまだ決めてなくて、でも接客業なんかがむいているかなと」

「たしかに、あれは若いうちにやっておくべき仕事かもしれない。年を取ると対人関係のストレスがこたえるときくが、そういったものへの耐性もつくかもしれない。若いうちの苦労、乞うてもせよ。古人の言葉だ」

 リョウジが顔もあげずに言います。

 彼の手元にあるのはモバイルPC。

 さっきから一心になにかのテキストを作成しています。

 横に日本史の教科書と資料集、それから図書館でかりてきた図鑑がひろげられているので、宿題のレポートかなにかでしょう。

「そうなんだ。じゃあそれに決めようかな」

「覚悟はしておいたほうがいいぞ。コンビニや外食チェーンの接客は、何十という項目を、決められた順番に迅速にこなさなけりゃならんと聞く。人当たりがいいからといって、できるものじゃない」

 つづくショーは、なんと編み物をしています。

 細い毛糸を編み棒で、薄手のなにかをちまちま編んでいます。

 設計図らしきものを見ると上着、ならば季節柄スプリングセーター、もしくはサマーセーターでしょう。

 いかつい兄貴のお手製セーター。

 ふうむ、イヤすぎます。

「そうなんだ。うーん。でも、どんな仕事も楽なものはないというから」

 直司はショーの異様な行動に、みじんも動じてません。

 ここではそれが当たり前の光景なのです。

 ショーが異常なのが当たり前、というのではなく、そもそもここは手芸部で、その活動をある意味もっともまじめにこなしているのがショーというだけなのです。

「なんだただバイトがしたかっただけか。この私というものがありながら、気になるあの娘でもできたのかと心配したよ?」

 佐藤アンバーがわざとらしげにウィンクすると、ほかの三人の視線がギュッと直司にあつまります。

「そんな理由ならら好きにすればいい」

「いいんですか?」

「むろんかまわんさ。むしろうちはバイト大歓迎。なにせ部費が心もとないうえに、生徒会から消耗品は購入不可と規定されているとのお達しを受けている。だから数少ないガジェット、ミシン修理のローンでそのほとんどがふっ飛んでる現状だ」

 せつない話を聞いてしまいました。

「でも、どうして?」

 ユキが、重ねてきいてきます。

「うん。うちはあまり裕福ゆうふくじゃないから」

 こっちの理由もまた輪をかけてせつない。

 しょせん世の中カネなのです。


 一応弁明べんめいしておきますと、現在の直司の暮らしぶりはそこまで貧乏ではありません。

 現時点、衣食に不自由はないし、すみかも借家ながら一軒家。

 老朽化ろうきゅうかは進んでいますが、直下型の大地震でもこなければ、まだ十年はリフォームもいらない。

 その直司が、なぜそんなに危惧きぐをいだいているかというと。

「うち、借金が多いんです」

「ああなるほど。事業をやっている家はどこもそうだ。持ちビルでもないかぎり、金策きんさくに駆けずり回ってやっと店をだしている」

 佐藤アンバーがうなずきます。

「そうなんですか?」

 ユキがききます。

「ショップ・BRIGHT☆STARはその筋でなら有名店だが、いわゆるマニアックなジャンルの店で、単体で大きな利益を出すのはむずかしい。安売りの大型店や、海外有名ブランドの専門店でもなければ、今日びそうそうもうかるものでもない」

「そうなの?」

 リョウジが語り、ユキがまたききます。

「アパレルのほうも、最近やっと全国展開しはじめたって段階だ。当たればでかいかもしれんが、コケりゃ大損。ここ一二年が勝負だな」

「そうなんだあ。そういえばうちも、年度末は大変だもんね」

 ショーが編み物まじりに言うと、ユキはふんふんとうなずきます。

——辻君より、沖浦君のほうが藤野さんと仲いいのかな?

 内心おだやかでない直司です。

 入学してそろそろ一月になんなんとするのに、いまだ手芸部員のプライベートをほとんど知りません。

 彼らのガードが固いのではなく、ただ単にたずねるタイミングがないのです。

「君のパパさんの店は、そんなに経営が危機きき的なのかい?」

「今はそうでもありませんが、小学校ぐらいがひどかったですね。特に三年生の三学期。三食ろくにないありさまで」

「サンサンサンのフィーバーか。オイチョカブなら嵐だ」

 さわやかに笑う佐藤アンバー。

 それから思い直して、

「ああすまん、不謹慎ふきんしんだったな。今のは謝罪しゃざいする。わるかった」

「いえ、かまいません。——まあそんなわけで、いつか自分がオトナに、正確には就業しゅうぎょうできる年齢ねんれいになったら、自分の食いぶちぐらいはかせいでおかなくちゃって思ってました。それで、部活を休みたいと」

「そんなに毎日はたらく気なのか? 週2・3回にしておいたらどうだ? 年度初頭に学業でおくれをとると、とりもどすのが大変だぞ? 部活もできないし」

 佐藤アンバーが親身になります。

 ちなみに言葉のウェイトは、後ろにいくほど重くなっているもよう。

「なるほど。じゃあ最初はひかえめにしておきます。はたらいて勉強がおろそかになるんじゃ、たしかに本末転倒ですもんね」

「ああ、ここは端切はぎれならあるが大きい生地がつねに不足している。お前の上納金じょうのうきん、楽しみにしてるぞ」

「はい」

 あれ?

 直司は首をひねりました。

 なぜそのお金を、部活動に使うことになっているのでしょう。


近況ノートにイメージイラストがあります↓

https://kakuyomu.jp/users/kaaki_iro/news/16817330654156854801

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る