(8)

 結論から語りましょう。

 高峰エミリは無事シャツを手にいれ、そして祖父と姉と三人での温泉旅行を思うぞんぶん楽しみました。

 SNSのグループに入れてもらい、直司もそのようすをうかがい知ることができました。

 ならんですわる老人とエミリ。

 二人はカラフルなおそろいのシャツを着ています。

 背後から二人をだきよせる大人の女性。

 高峰エミリによく似ています。

 お姉さんでしょう。

 なんて幸せな一枚。


「旅行をさかいにご祖父はずいぶん快方にむかったそうだ。今では自分の世話ぐらいなら自力でできると言っていた。彼女を奥方とまちがうこともなくなったとさ。親戚もやってきて、かれらがすすめてくれたすぐそばの施設への入居も同意しているそうだ」

「これで高峰先輩も、学業に専念できますね。三年生ですから、受験もあるでしょうし」

 あれから二週間、直司はなしくずしにこの部室に通うようになってました。

 毎放課後、ユキら三人が無理やりむかえにくるのです。

 逃げ場?

 そんなものはありません。

 入部も時間の問題でしょう。

「まあ、私は受験なんぞはせんけれどね」

「就職ですか?」

「いや、旅人になる」

 直司は言葉をなくします。

 旅人?

 なにそれって進路?

 ってなもんです。

 まあじっさいは、そんなふうにつっこむ気もおきなかったのですが。

「旅かあ、すてきですね。インド行きましょうインド! 自分探しの定番でーす! あ! ハシシはなしですよ! 薬物、禁止ー!」

 インド=ハシシ(大麻)という、たいへん問題ある見解のユキです。

「いやいやヨーロッパの田舎をめぐってアディダスやプーマのデッドストックをあさるという手もあるぞ」

 どこかの明星靖重のようなことをいいだすリョウジ。

「アリゾナだろ。体ひとつで砂漠横断だ。射殺覚悟で軍の演習場にしのびこむのもおもしろい」

 見つかったら年単位で砂漠の刑務所にたたきこまれ、国際問題になること必至の提案をするのはショー。

 三人組の放言をとめるものは、この部屋にはおりません。

 そこにひかえめなノックがありました。

「ハイ」

 メガネのリョウジが応対します。

 戸をあけると、準備室の外でたたずんでいたのは、今しがたウワサにあがったエミリ本人でした。

「こんにちは。その節は大変お世話になりました。……ちょっと明星くん、かりていいですか?」

 ぼく?

 直司がすっとんきょうな顔をしました。



「やっぱりきちんとお礼を言っておこうと思って。ありがとう。おかげでお祖父ちゃん、元気になれました」

 エミリは、すっかり変わっていました。

 身なりが変化したとかではなくて、まとわりついていた重い空気がさっぱり晴れ、瞳がきらきらとかがやいているのです。

——きっとこっちが本当の彼女なんだろうな。

 直司は「いえいえ」とか「こちらこそ」とか、被服室の中央で、ダメな子がやるようなへんじを連発しながら、猫背で相手の倍以上ぺこぺこ頭をさげています。

 それを見て、エミリはくすりと笑います。

「明星君って、ふしぎ」

「は? 何がでしょう」

「ううん。なんでもない」

 ちらりと横に目をやると、手芸部員たちが入り口に出てきてこっちをむき、どっかりとかまえています。

 なんとなく威嚇いかくしている風でもあります。

 そいつは自分たちの仲間だ。取るな。と言っているようにも見えなくはない態度です。

 エミリは直司に目をもどし、つま先だちして、耳に息がかかるほどの近さでささやきます。

 ありがと。

 いつかお礼、ちゃんとするね。

 それから、さっと小走りで廊下へ。

 その顔が心なしか赤かったのは、気のせい?

「……明星君って、けっこう女の子泣かせるタイプ?」

「いや、自覚なしに、咲きかけの芽をくさらせるタイプではないか」

 ユキとリョウジがぼそぼそと言葉を交わしあっています。

 けっこう失礼な評価ですよね。

 ショーは会話にくわわらず、盛大にアクビをしました。

「ふん。まあ今回は明星の一人勝ちという部分はいなめまい。服のセンスはゼロで造作の顔はどうでもよくとっぽいが、他人の感情のアヤをよくよみとり、現実的にうごける。高1とは思えんおっさんくささだ」

 ほめられてるのかけなされてるのか。

 かぎりなく後者っぽいのは、おっさんくさいという単語がどう活用してもほめ言葉にならないからでありましょう。

 佐藤アンバーはずかずかと大股に直司へあゆみより、そのあご先を指先でちょいともちあげました。

「フム。まあじっと見るとそんなに悪くもないか。望外に優しくされ、高峰が気にいるのも無理ない」

 ならんで立つと、佐藤アンバーのが少し背が高い。

 直司は彼女を見あげる形になります。

 顔がちかい。

 とてもちかいのです。

 それに佐藤アンバーの琥珀色の瞳は、なにもかもすいこみそうに深い。

「先輩、その体勢はちょっと……」

「顔を近づけすぎでは?」

「無防備すぎる。そいつがその気になれば、キスされちまうぞ」

 なんて破廉恥ハレンチな発言を。

 直司が目だけで三人組を見る。それは佐藤アンバーから目をそらす格好の理由にもなりました。

 そして、事件がおこります。

「ほう?」

 とおもしろそうに笑った佐藤アンバーが、いきなり直司の口をふさぎました。

 もちろん唇で。

 とっさに離れようとした直司の胸ぐらを両手でつかみ、女子とは思えない力強さで佐藤アンバーがひきよせます。

 彼女の唇は捕食ほしょく動物のように動いて直司の唇をとらえてはなさず、濡れた舌は歯をこじ開けて口内に侵入。

 口の中にひろがるのは、すッパイチュウ<レモン味>の目の裏を突きあげる大人な酸味。

 明星直司15歳、苦手なお菓子はすっぱい系。主にレモン味。

 んぐー、んぐ、んんぐうううううううう!

 直司が言葉にならない叫びをあげます。

 だって自分は今、

 佐藤アンバーにとんでもなく情熱的なキスをされて、

 それをま横で藤野ユキがばっちり見ていて、

 その両わきには辻リョウジと沖浦ショーも殺意に満ちた目でがっちり目撃していて。

「ぶはあ!」

 なんとか身をはなすと、二つの唇のあいだで細い光の糸がのびました。

「ほう。お前はコーラ味が好きなのか」

 赤い舌で唇をなめとります。

 その表情が色っぽすぎて、女性に免疫のない直司はくらくらしました。

「うわわっうわわっ、そうです明星君は、しゅわしゅわぷっちょボールのコーラとグレープソーダをいっしょに食べるのがお好きです〜」

 ユキがさくらんして直司のおやつ事情を暴露ばくろいたします。

「やってくれたな。佐藤先輩の唇を、よりにもよってそんなやり方でうばうとは」

 リョウジが怒りをたぎらせメガネの発光ルーメンをギューンとあげました。

「リョウジ以外にお前までが俺の敵とは。これは本気を出さねばならんらしい」

 ショーもゆっくりと上着を脱ぎ、もりあがった大胸筋をみせつけまっする。

 二人はやるつもりです。

 直司を、言葉どおり本気で。

——ああだれか、だれかぼくに平安な日々をください。

 彼らとの出会いの日、やっぱり自分はここに来るんじゃなかったと、直司はいまさらながらにつよく思ったのでした。


つづく

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