パウライダー・プリンセス

「それで彼女は探していたんです。そのパウライダーって柄のシャツを。お祖父さんとお祖母さんの思い出のシャツを」

 他人からすれば、それがなくとも大差ないものにみえます。

 色と柄が似たようなものを用意すればいい、と。

 だけど彼女はそこにこだわったのです。

 祖父母を大切にするからこそこだわりました。

 そのシャツさえそろえば画竜点睛がりょうてんせい、一点のくもりもないと。

 祖母とのハワイ旅行にはおよぶべくもありませんが、それでも祖父につくしたいという高峰エミリの心づくしのきもちは伝わってきます。

「いいお話ね。すてきなファミリーの、美しきヒストリー。お話だけでも、彼らのキャラクターが見えてくるよう」

 シズコは血肉のかよった物語を、じっくり味わうように目をとじた。

 どこにでもあるだろうあたりまえに優しき家族の、だからこそとうとい物語を。

「それにお話もお上手。その年とは思えないぐらい。あなたも愛情をもって育てられ、そして少しの苦労を知る人なのでしょうね」

 シズコがほほえんで直司を見ます。

 直司は慈愛のこもった視線にまごつきました。

「ぼくとしては、彼女のために頭をさげるしかできません。お願いします。どうか彼女に、思い出のものと同じシャツを貸してあげてください」

 立ちあがって、ふかぶかと頭をさげます。

「おすわりになって。お名前、なんといったかしら?」

「直司です。明星、直司」

「直司さん。すてきな名前ね」

 シズコが靖重と目くばせをかわします。

 それから足元から紙袋をとりだし、直司の前におきました。

 にこやかな笑顔にうながされ、その中をあらためます。

 うすい黄色地のパウライダー。

「わあ!」

 ユキが声をあげました。

 それは、高峰エミリがもちこんだものと、まったくおなじシャツでした。

「そのシャツは進呈しんていするわ」

 なんて気前のいい申し出でしょう。

 直司はシズコを見ました。

「ただし条件があります」

 シズコの顔には相変わらず笑顔がうかんでいます。

 なにかとびっきりのイタズラをたくらんでいる女の子のような、そんなキラキラした目。

「シャツは彼女本人が取りにくること。それぐらいはいいでしょう? 私も、そのけなげなお嬢さんに会ってみたいもの」

「それはもちろん、ですけれど、今いったように、彼女はいそがしくて」

「次に」

 直司のへんじをさえぎり、女主人はつづけます。

「旅行のてん末や、彼女たちのその後を、あなたたちから私に教えてちょうだい。私はお金も時間も友人もたくさん持っているけど、若いお客様は不足しているの。どうかしら?」

「かまいませんよ——こんなに美味しいお茶やお菓子が待ってくれているのでしたら、ですが?」

 佐藤アンバーが、こちらもいたずらっぽくかえします。

 すてきなウインクもそえて。

「なら決まりね。訪問はいつでもいいけれど、事前に連絡をくださいな。お菓子を焼く時間が必要でしょう?」

 中村・ジェームズ・シズコはゆったりと窓際によりそい、

「ハワイイがつむいだすてきな出会いと思い出に感謝しなくちゃね。私は、の地が大好きなの。この日本に負けないぐらい。ところで、パウライダーってなにか知ってらっしゃる?」

 客人たちはおのおの顔を見あわせました。

「カメハメハデーのパレード・クイーンですね、アロハフェスティバルで、馬でねり歩く女性騎手」

 ALOHAアローゥハ

 靖重の正解に、カルメンのように両手で舞い、シズコが声をあげる。

「そう。フローラルパレードの騎手たち。ゴージャスにかざった馬に乗るのは、ハワイイ各島のクイーンやプリンセス。彼女たちは、それぞれの島の花で身をかざるの。ハワイ島は赤いレフア、オアフ島は黄色いイリマ、ラナイ島はオレンジのカウナオア、モロカイ島は緑のククイ。どれもすてきにきらびやか。全部生花よ。造花なんて一つもないの。その花に色をあわせた彼女たちのドレスは、スカートを守るための巻き布がその始まりで、二〇メートルを越える布を体に巻きつけたものなの。それをパウというのよ。プリンセスたちは馬上で、『ALOHA!』つめかけた見物人たちに、こんなふうに挨拶を投げかけるの!」

「本当にお姫さまなのね……すてき……まるでサリーみたい。あれよりもさらに長い布なんて……」

 そうつぶやいて、ユキは直司の手元のシャツの柄をうっとりと見つめます。

 簡素に描かれた馬と女性。

 彼女はその中にどんなきらびやかさをみいだしているのでしょう。

 直司といえば、なか分けの髪の地肌からほのかにかおるシャンプーの匂いに、またどぎまぎしていたのですが。

「私も若いころ、パウライダーの一人になったの。選ばれた家は大さわぎ! 一族一丸となってプリンセスをかざるの! あれほど自分がほこらしく思えた時はなかったわ。だけど大変なことも。だってパウがずれてはいけないから、パレードの前十二時間はなにも口にできないの。それでもプリンセスはやりとげなくちゃならない。私は困難に挑み、ALOHA! そして、そして旅行中の夫に見初められたのよ」

「すてき……運命の出会いだったんですね!」

「アロハという言葉には、愛という意味もあるのよ。私はこの呼びかけと共に、本物の愛を知ったというわけ」

 シズコはユキと視線をからめます。

 直司は自分にアロハと呼びかけるユキを想像そうぞうします。


——ううん、あなたは明星直司くんさ!


 出会ったときの、彼女の姿とその笑顔。

 たくさんの中から見いだされ、心をわしづかみにされたようなたかぶりと痛み。

「遠くて近きうるわしのハワイイ。私もまた、あの島々に夫とのヒストリーをひろいにゆく一人なの。それは島のあちこちにあって、見つけるたびに大きくかがやいて、そしてまたたく間にほろほろとくずれてゆく。よき思い出は、よくばるとすぐに傷ついて枯れてしまう。まるでサクラの花ふぶき、つまれた花の花弁のよう。だから最近は、あまりもどらないようにしていたの。だけど、久しぶりに帰りたくなってしまったわ」

 彼女はハワイをハワイイ、と語尾をひとつ足して言うのに直司は気づきます。

 それがよりネイティブによりちかい発音だというのは、あとで知りました。

「かぐわしい大気、色とりどりの花、空にはどこよりも美しい星。それが私のハワイイ。エミリさんのお爺様が、奥様の姿と共にこがれた思い出の島よ」



「中村さんは、お父様を第二次世界大戦で亡くされたんだ」

 帰り道、ワーゲンバスが下り坂をゆるゆる下がってゆきます。

 エンジンはふかさず、ギアはニュートラルで慣性にまかせての下りみち。

 なので車内は、声をはりあげなくとも会話できました。

「戦時中、日系人の部隊はヨーロッパ戦線の、より過酷かこくな戦場に送られた。442連隊戦闘団というのを知っているかい? 勇猛ゆうもうさではアメリカ軍随一ずいいちといわれた連隊だ。少数民族でしかも敵国側の民族だ。彼らは勇猛にならざるをえなかった、そういう時代だったのさ。彼女は枢軸国側すうじくこくがわの人間をにくんで育ったそうだ。分かりやすく言うと、ドイツとイタリア、そして日本を」

 にくむ、という言葉が、人生経験のない直司たちにはうまく消化できません。

 シズコはみちたりていて、日本での生活を満喫まんきつしているように見えました。

「シズコという日本風の名前や、みずからの体に流れる血まで憎んだそうだ。そんな彼女のかたくなな意識が変わったのは、旦那さんと出会ってからだ。夫のジェームズ氏は高名な社会民俗学者みんぞくがくしゃでね。日本にもながく滞在たいざいし、おおくのすぐれた論文を発表した。父親ほども年のはなれた彼を、シズコさんはとても敬愛けいあいしていたそうだ」

 坂の上の邸宅は、成金趣味とはほど遠い、知性や品格のゆたかさを象徴しょうちょうするすばらしいものだったし、訪問はこのうえない経験になりました。

 ただ建物だけがあそこにあっても、きっとこんな気持ちはめばえないでしょう。

 住む人やあゆんできた歴史あっての家なのです。

「彼女の広い交際範囲こうさいはんいには、いまやイタリア人やドイツ人、そしてもちろん日本人もいる。憎むべき対象とむきあい、それを理解してようやく中村さんは心の平安をえたのだ」

「現実と誠実に対決し、そして克服した。それはきっと大変な勇気がいることなんだろうね、父さん」

「そう。ぼくらはそういう強さを持ちつづけなくてはいけない。それが、あの中村さんのようなすばらしい人と関わる者としての義務なんじゃないかと思うね」

 父と息子が、しずかに会話します。

「父さん。放置したままむきあってくれない離婚届は空欄を勝手に埋めてハンコを捺して送りかえしておいたよ」

「僕に考える時間すらくれないのか!?」

 実の息子の血も涙もない所業に、明星靖重はワーゲンバスのエンジンをかけギアをつなぎ、悲しみのアクセルを全開にしたのです。

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