(6)

「お話は聞いています。さあお入りになって」

 上品に招きいれられ、直司たち高校生はカルガモの子どものように靖重についてゆきました。

「わっ、すごいっ、すてきっ、やだ夢みたい」

 手入れのゆきとどいた前庭をぬけて玄関をくぐると、大きなホール。

 ユキがはしゃいだ声をあげます。

「すごいだろう! 設計者はここに最も心血をそそいだんだ! 予算の大部分をこのエントランスについやしたそうだよ!」

 正面、はばのひろい階段から赤いじゅうたんが玄関口までまっすぐしかれています。

 大理石をふんだんにもちいた装飾、窓や柱はほそながく繊細ですが、同系色でまとめられた色彩は柔らかいあたたかさがありました。

「靴ははいたままでかまわないわ。さあ客間へどうぞ」

 靴のぬぎ場所をさがしていごこちわるそうにしていた直司にくすりとほほえんで、女性は階段をのぼります。

 とおされた部屋には、ガラスばりの大きな窓。


——うわあ。


 直司たちが歓声をあげました。

 高台から見おろす市街。

 ベランダにおかれたプランターに切りとられ、はるか遠景の市庁舎ビルが海の手前にそびえ立っています。

 あきずにその光景をながめていると、

「お茶にしましょう。今日は若いお客様がたくさんきてくれたから、胸がはずんでしかたないの」

女主人が大きな樫のテーブルにティーセットをひろげ、中央に揚げパンをのせたバスケットをおきました。

 全員が席に着くまでにこやかにまち、それから優雅にあいさつです。

「はじめまして。当家の主人、中村・ジェームズ・シズコです」

 これをうけて、手芸部員たちが立ちあがります。

「辻リョウジ。県立常盤追分高等学校一年生です」

「おなじく、藤野ユキです。よろしくー、です」

「沖浦将っす」

「三年生、手芸部長、佐藤アンバーです。本日はお時間都合いただき、感謝しています」

「ああ、えっと、明星直司です。父が、おせわになってます」

 直司もおよびごしながら、まわりにあわせて頭をさげます。

「来る前にも言ったが、中村ジェームズさんは国内でも指折りのアロハコレクターだ。うちのブランドのお得意さまでもある」

「BRIGHT☆STARさんにはいい物をたくさん提供していただいて、毎年カタログが届くのを楽しみにしているんですよ。さあさあみなさんお座りになって」

 女主人はポットを片手に客のカップをひとつひとつ満たしてまわります。

「お菓子もご自由にどうぞ。アンダギというの。沖縄の揚げ菓子がハワイイに伝わったものなのよ」

「サーターアンダーギーですね?」

「おいしい! これって手作りくですか?」

 シンプルなお茶うけ。

 ひとかけちぎって口に入れると、こっくりと上品な甘みがひろがります。

「あちらは日本と結びつきの多い土地だから。おまんじゅうやおモチなども一般的なお菓子として伝わっているのよ」

「おもち! どんな風に食べるんですか?」

「ふつうに日本人と同じように。羽二重モチって知ってるかしら?」

 年齢はいくつぐらいでしょう。

 ほおやあごにきざまれたシワは深いですが、はっきりとした目元とよくうごく瞳は年齢をかんじさせません。

 みたされつつ年をとった美しさが、そこにありました。

 茶会は女主人のみちびきでほがらかにすすみ、それでいておおげさにはなりませんでした。

 ひとしきりおたがいの身のうえ話などをおえると、シズコはかしこまって一同をむきます。

「それで、私のコレクションをゆずってほしいという話でしたっけ? その理由を、どうぞ聞かせてくださる?」

 手芸部員たちは各々の顔を見あわせ、それから直司に視線をふりむけました。

 靖重とシズコも、彼らにならいます。

「ん、」

 直司はせきばらいでのどのつっかえをちらし、

「そのアロハは、彼女のお祖父さんとお祖母さんの、思い出そのものだったんです」



 高峰エミリの祖父母は、お見合いでであいました。

 当時はほとんどの夫婦が、相手をだれかから紹介されていっしょになったそうです。

 時はちょうど戦後。

 敗戦の混乱を二人でのりきり、高度経済成長の中、たくさんの子をもうけました。

 家計はけっして楽ではありませんでしたが、笑顔たえないだんらんがありました。

 核家族化がすすむ社会の中で、時とともに子らはひとりだちし、やがて夫婦はまた二人っきりのちいさな家庭にもどります。

 それぞれの地で新しい家族をつくりあげた子供たちも、盆正月に帰郷してはつかの間のにぎやかさをくれました。

 そのうち、一つの家族に不幸がありました。

 父母が時を同じくしてもどらぬ人となったのです。

 そして祖父母は、彼らののこした二人の子をひきとります。

 高峰エミリとその姉。

 四人の生活はぎこちなくはじまり、じょじょに家族になりました。

 大きな不幸と小さなあつれきをたくさんのりこえ、夫婦と孫二人はやがてみちたりた家族となりました。

 年老いた二人は彼女たちとの毎日を楽しみ、孫たちも愛情ぶかい祖父母に感謝しながら大きく育ったのです。


「それを言葉にすることはなかったけれど、彼女たちは大事にしてくれたお祖父ちゃんお祖母ちゃんを、おなじように大切に思っていたそうです」


 そんな中、祖母もまた帰らぬ人となりました。

 かよっていた病院でコロナウィルスに感染し肺炎を併発、それからいく日もたたぬうちに息をひきとりました。

 一家は悲しみにくれましたが、平穏な日々のなかで心痛もやわらぎ、しだいに明るさをとりもどします。

 やがて姉が大学にすすみ、卒業して就職し、家をでました。

 そのころ、祖父に異変がおきたのです。


「彼女、高峰エミリさんを、お祖母ちゃんだと思うようになったらしいんです」


 最初はただの呼びまちがいと思ったそうです。

 訂正すれば、おおそうか、とてれて笑っていたから。

 ですが、そのまちがいが不自然にかさなりました。

 それだけではありません。

 自分でも気づかないうちによだれをたらし、尿をもらし、夜中に徘徊はいかいする。

 身におぼえのないケガをつくってくる。

 高峰エミリは祖父を医者につれてゆきました。

 最初の診断結果は、老人性アルツハイマー型認知症。

 そしてもう一つ、予期していなかったものがありました。

 肺がん。

 病巣びょうそうは深く大きくほうぼうに転移していて、すでに摘出てきしゅつできない状態になっていたのです。


「今、お祖父さんはほとんど寝たきりで過ごしているそうです。そしてときどき高峰さんを、サエコさん、と呼ぶのだそうです。そうです、サエコは彼女のお祖母ちゃんの名です」


 今、高峰エミリは学校の勉強とともに、祖父の介護かいごにもおわれています。

 ヤングケアラーとよばれている状態です。

 はなれて住む姉も週末ごとには帰ってきてくれるのですが、それでも一人では手が回らないことも。

 親戚はみな遠くの土地に住んでおり、助けてはくれるのですが、経済的な支援しえんのみ。

 業者に介護士の派遣はけんもたのんでいますが、人手不足を理由に週二回来てくれればいいほうです。

 八方ふさがり。

 彼女、高峰エミリは、学校を退学することも考えていました。

 祖父の最期に、できるだけのことをしてあげたいから。


「そして、先日のことでした。お祖父さんに昔のアルバムを見せていると——失われゆく記憶を呼びおこすために、そういう事をするそうです——1枚の写真にいきあたりました。それは、祖父母夫妻がまだ若かりし日の一枚。新婚旅行で撮ったものだったんです。場所はハワイのオアフ島、ワイキキビーチ」


 それをじっとながめて、祖父は言ったそうです。

 いいなあ、サエコさん、またもう一度行きたいねえ。ハワイで、ゆっくりとしてみたいものだねえ。サエコさん、この服をおぼえているかな? 向こうで二人でおそろいで買った柄シャツ。サエコさん、本当によく似あってた。あれ、どこにいっちゃったのかねえ。大切に片づけておいたのになあ。

 最近ではまともに話すこともほとんどなくなった祖父でしたが、その言葉だけは、やけに明瞭だったそうです。

 祖母は物持ちのいい人だったので、もしかして探せばまだ家にあるかもしれない。高峰エミリはそう思いさがしました。

 果たしてシャツはありました。

 一着だけ。

 もう一着はあて布にでも使ったのか、残骸のような端切れがひとかたまり。

 高峰エミリは考えました。

 さすがにこんな状態の祖父を海外へ渡航とこうなどさせられない。

 それでも、一・二泊なら、近場の温泉へ湯治とうじにつれてゆくぐらいはできる。

 もしかして、ハワイアンのショーをやっている所もあるかもしれない。

 本屋やネットで条件をみたす宿をさがし、そして見つけました。

 そして彼女は同級生の服にくわしい女子、佐藤アンバーに相談したのでした。


「それで彼女は探していたんです。そのパウライダーって柄のシャツを。お祖父さんとお祖母さんの思い出のシャツを」

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