第226話 ヘルメスのために
「ルナセリア公子様、失礼します」
ツクヨが襖の前で声をかけてきた。
「どうぞ」
返事を返すと、恭しく頭を下げてから彼女が部屋の中に入ってくる。
「お疲れのところ、まことに申し訳ありません。少々、お時間をよろしいでしょうか」
「問題ありませんよ。さっき目が覚めて暇してるところでしたし」
彼女の顔色はよかった。やや疲労はあるが、絶望していない。
それを見ただけで何を報告したいのか察することができる。
「それはよかった。では、端的に報告を……」
一拍置いて、彼女は笑みを浮かべながら言った。
「先ほど届いた侍たちの話によると、一時間以上経ってもモンスターが現れないそうです」
「それって……」
「はい! 間違いなくモンスターの撃退に成功しました!」
「おお! よかった……そ、それで! 犠牲者なんかは……」
「安心してください。今のところ、確認したかぎりで死傷者は出ていません。さすがに負傷者は何人かいますが、かなり少ないとのことです」
それを聞いて安心した。
肩の荷が下りる。
休もうと決意したのはいいが、ずっとそのことばかりが気になっていた。
俺のせいで誰が死んだのか、と。
「ふふ。その顔は安心してる顔ですね、ルナセリア公子様」
「ええ、まあ。俺は寝てることしかできませんでしたから」
「何を仰いますか。ルナセリア公子様が必死になって戦ってくれたからこそ、犠牲者ゼロという奇跡的な数字になったのです。もう少しご自身の活躍を誇ってください!」
「大切なときに抜けてしまっては喜べませんよ」
「それは違います。倒れるほどにルナセリア公子様は頑張ったのです。それを解っているからこそ、我が里の侍たちは体を張った。それは誤解しないでください」
「ツクヨさん……」
彼女は真面目な表情を作る。
そこには、俺への深い感謝が込められていた。
なんだかこそばゆくなる。
「そう、ですね。俺を含めてみんなが頑張ってくれた。だからこその勝利ですね」
「はい! まだ黒き竜は残っていますが、みんなの瞳に希望が生まれました。我々は必ず——この里を、島を守るのです!」
「頑張りましょう!」
俺も彼女のやる気に合わせて拳を握り締めた。
体力も少しは回復している。
「ですが、そのためにもルナセリア公子様はゆっくりと休んでくださいね。しばらくは外には出せませんよ?」
「……ですよねぇ」
わかってはいた。
何度かヴィオラに確認してもダメだったし。
「大人しくしてますよ。しっかり動けるようになるまでは」
「よろしくお願いします」
もう一度頭を下げてから、ツクヨは部屋を出ていった。
再びひとりになる。
するとそこへ、ふわりと一匹の妖精が姿を見せた。
▼△▼
窓の外から、壁を貫通して一匹の妖精が現れる。
彼女を見た途端、俺は笑みを浮かべて口を開いた。
「シルフィー! よかった……無事だったんだね」
「やっほ~……ヘルメス」
シルフィーはものすごく疲れていた。
よろよろと俺のそばへやってくると、ぽすっ。胸元に当たって動きを止めた。
落下した彼女を両手で包む。
「大丈夫? シルフィー。かなり疲れてるね」
「そりゃあそうよ……まる一日ずっと戦い続けてたからねぇ。妖精にとって睡眠は不要だけど、集中しすぎて精神的に疲れたわぁ……」
「ごめんよ、俺が倒れたばっかりに」
「なに言ってんのよ、馬鹿。別に私はあんたの代わりに戦ったわけじゃないわ」
「え?」
「私は、あんたのために戦ったの。ヘルメス以外のためにこんな疲れたりしないわ」
「シルフィー……」
俺は思わず感動した。涙が出そうになる。
「あんたが心配するだろうから侍たちに力を貸した。あんたがモンスターを倒したがっていたから倒した。全部全部、動機はあんたよ、ヘルメス」
「ありがとう、シルフィー……俺は幸せ者だね。こんな身近にシルフィーみたいないい子がいるんだから」
「でしょ~? しっかりと感謝しなさいよねぇ」
ふふん、と疲れながらもシルフィーはVサインを見せた。
最後に、
「……あ、でもククは寝ないと無理っぽいから、起こさないであげてね? 今頃、あのへんてこな玉の近くにいると思うわ」
「竜玉のそばね。了解。俺もしばらくは休まないといけないから、みんなでゆっくりしよう」
「賛成~。私も、珍しく寝るわ~」
すぅっ。
シルフィーは一瞬にして眠りに入った。
彼女を起こさないよう、ゆっくりと、優しく俺の枕のそばに置く。
俺も横になり、もう一度彼女に感謝した。
「ありがとうシルフィー……シルフィーのおかげで、俺は自分を責めなくて済んだよ……」
シルフィーがいなかったら、恐らく犠牲者が出ていた。
広域をカバーできる彼女は、サポート役としては一級品だ。
ククは肉体能力こそ高いが、それではすべての仲間を助けられない。
二人がいたからこその軌跡。
それを噛み締め、俺も眠りへと落ちた。
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