第208話 あ、やべっ

 一人で悠々自適に温泉に入れると思っていた。


 しかし、自由な時間は唐突に、わりと早く終わりを迎える。


 ちゃんと言ってたのに!


 風呂に入ると伝えたはずなのに!


 平然とヴィオラが乱入してきました。


 驚きのあまり目玉が飛び出そうになる。


 ワンチャン家主であるツクヨ説を推したが、残念。


 間違いなくヴィオラが登場した。


 彼女は体を洗ってから浴槽に入る。


 しっかりとタオルを外していた。


「な、なんでタオルまで……」


「え? これがマナーなんでしょう? ツクヨさんにそう教わりましたよ?」


「いやそうですけど……そういうことじゃなくて」


 勝手に風呂に入ってきてどの口がマナーを語る!?


 厳密には混浴禁止なんてルールはないが、普通に考えてわかる。


 それはやっちゃダメだと。


 だがヴィオラは突っ走った。


 平然と俺との間にあるラインを超えてきたのだ。


 バクバクとさらに強く心臓が鼓動を打つ。


 今にも張り裂けそうだった。


 ある意味、黒き竜より手強いぞ……。


「ふふ。私の肌を見るのがそんなに嫌ですか?」


「嫌ですね。まずいです」


「いけず。こんなに近くにいるのに」


「ひぃっ!?」


 ヴィ、ヴィオラが近付いてきたぁ!


 すすすっと音も立てずに俺の肩にぴたりと寄り添う。


 まるで恋人みたいな距離感だ。


「ほら、もう触れられる距離にいますよ? チャンスです」


「絶対に手は出しません……断固として拒否します!」


「もう……ヘルメス様は頑固ですね。そういう男らしいところは好きですが、今はマイナスです。手を出してもいいのに」


「何を言ってるんですか……というか本当に出ていってください。行かないなら俺が出ていきます」


「まあまあ。ヘルメス様にちゃんとお話があるんですよ? 大事なお話が」


「…………話?」


 ただ俺をからかいに来たわけじゃなかったのか。


 そのことにホッとしていいのかわからなかった。


 ひとまず彼女の話を聞く。


「なんですか、話って」


「今回の黒き竜の件です。改めてお疲れ様でした。ヘルメス様は立派にこの里を、人々をお守りになられましたね。凄いです」


「あ、ありがとうございます……無我夢中でしたけどね」


 ストレートに褒められるとさすがに照れるな。


「黒き竜との戦闘は遠目で少し拝見しました。ヘルメス様はずいぶんとお強くなりましたね」


「ギリギリでしたよ。もう少し相手が強かったら危なかったです」


「その場合は逃げてましたか?」


「……そうですね。たぶん逃げてました」


 俺は素直に彼女に本音を吐露する。


 繕う必要がないと判断した。


 彼女は無言で俺の話に耳を傾ける。


「みっともないと非難されても、住人たちに怒られてでも、きっと俺は逃げてました。逃げて、強くなってリベンジします」


「リベンジ……あはは。ヘルメス様らしい回答ですね」


 ヴィオラ殿下はからからと笑う。


 納得がいったのか、その声には喜びの感情が混ざっていた。


「素敵だと思います」


「——ぴっ」


 すっと、ごくごく自然に彼女は自分の頭を俺の肩に乗せた。


 より距離感が縮まる。


 思わず情けないヒヨコみたいな声が出た。


「で、殿下?」


「今はヴィオラとお呼びください。この浴室では、私はただの一人の女の子です」


「ヴィオラ……自分で女の子って言うんですね」


「有罪☆」


「いたたたたた!?」


 調子に乗って冗談を言ったら、ヴィオラに腕の皮を抓まれた。


 激痛が走る。


 あれだけ必死こいて上げたVITも、こういう攻撃には弱いのか。


 ドラゴンに殴られるより鋭い痛みが走った。


「まったく……ヘルメス様はデリカシーを持ってください。襲いますよ?」


「ヴィオラ殿下はもっと羞恥心を持ってください。怒られますよ」


「むぅ……」


「そんな不満そうな声を出してもダメです。言っておきますが、俺は手を出すつもりはないですよ」


「お堅いですね。硬くするのは下半身だけで十分でしょうに」


「セクハラです」


 なんなんだこの人は……今の発言は完全にアウトだろ。何がとは言わないが。


「というか、そろそろ俺はのぼせそうなので出ますね。ヴィオラ殿下はごゆっくりしていってください」


「ヘルメス様が出るなら私も出ますよ。あまり熱いのは得意じゃないので」


「……一緒に脱衣所に行くつもりですか?」


「はい」


「却下!」


 さささー!


 慌ててヴィオラ殿下から離れる。


 すいーっと水を突っ切って反対側まで移動した。


「ああ! ヘルメス様のいけず……」


「油断も隙もない……ツクヨさんが早く帰ってくるのを祈るか……」


 俺の祈りは通じた。


 神様がものすごい早さでツクヨさんを使わせてくれた。


 脱衣所のほうで彼女の声が聞こえる。




「ルナセリア公子様。いらっしゃいますかー」


「ツクヨさん!」


「少々、ルナセリア公子様にお話したいことが。お時間よろしいでしょうか?」


「はい、大丈夫ですよ」


「ありがとうございます。……あら? なんで女性ものの服がここに……」


 あ、やべ。


 ヴィオラがいるのもバレた。


 扉越しにツクヨの動揺が伝わってくる。

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