第182話 フラグ高速回収

「……ダメだった」


 東の大陸に向けて、竜の里の船が出港した。


 船上には、俺とクク、ツクヨ以外にもたくさんの人がいる。その中には、当然、俺の話を聞き入れてくれなかったヴィオラ殿下の姿もあった……。


「どうかしましたか、ヘルメスさま。元気がなさそうに見えますよ?」


 甲板の上、海面を眺める俺の隣でヴィオラ殿下が首を傾げる。


 お前のせいだよお前のせい。


 ジト目で彼女を睨む。


「誰のせいだと思います?」


「……船酔い?」


「船に責任を押し付けないでください。俺は別に船酔いしません」


 前世では一度くらいしか船に乗ったことはない。


 小さいものを含めると二回は乗ってるが、いま、俺が乗っている竜の里の船はかなり大きい。


 サイズ感だけならこれで二回目だ。それでもヘルメスのチートスペックはここでも発揮された。


「ヘルメスさまは船にもお強いと……さすがですね」


「話を逸らさないでください。ヴィオラ殿下がついて来たからややこしいことに……」


「ややこしいだなんて酷いですわ。わたくしの事は気にしないでください。ただ、ヘルメスさまの雄姿を見たかっただけです」


「死ぬかもしれませんよ」


 東の大陸では、世界を滅ぼすほどの力を持った竜が復活しようとしている。


 それに巻き込まれれば、彼女もただでは済まないだろう。俺が勝てなかった場合、海に囲まれた竜の里に逃げ場はない。


「そうですね……わたくしは死ぬかもしれません」


 さらりとヴィオラは言ってのける。そこに憂いも恐怖も不安もなかった。


 彼女は笑う。それが当然のことのように。


「人知れず死ぬか、誰かと死ぬか、おぞましい死を迎えるか。怖くないと言えば嘘になります」


「だったらなんで……」


「それだけわたくしはヘルメスさまのことを愛しているのです」


 ハッキリと彼女は自らの好意を伝えた。


 不覚にもドキッとする。


「ヘルメスさまのためなら死ぬことも厭わない。死ぬかもしれないからこそ、ヘルメスさまと一緒にいたいのです。どの道、ヘルメスさまが敗れたら世界が滅びるかもしれないのでしょう? だったらどこに居ても同じです」


「ヴィオラ殿下……全然違いますよ。俺はヴィオラ殿下には一秒でも長生きしてほしいです」


 俺のあとを追う必要はない。彼女には彼女の人生がある。


「仮に俺が件のドラゴンに負けそうになったら、急いで船に乗って王都へ逃げてください。そこが一番安全でしょう」


「嫌です。ヘルメスさまが死んだらわたくしも死にます。それくらいの覚悟がないと、あなたを好きになる資格はないかと」


「怖いですよ……」


 覚悟が決まりすぎている。


 俺は別にそこまで強く想ってくれる相手じゃないと嫌だ……なんて思わない。


 ただ、俺の代わりに生きてさえくれればそれでよかった。


 だと言うのに、彼女はその願いを聞いてはくれない。


 共に手を繋ぎ、生きるのも死ぬのも一緒だと言う。まるで夫婦だな。


「——ヴィオラ殿下は素晴らしい女性ですね」


 背後からツクヨの声が聞こえた。


 視線をそちらに向けると、笑みを携えた彼女がこちらにやってくるのが見えた。


「ツクヨさん」


「船旅は快適ですか、ヘルメスさま、ヴィオラさま」


「おかげさまで心地よい旅ですよ。久しぶりに乗れて満足です」


「あら? ヘルメスさまは前にも船に乗ったことがおありで?」


 ……おっと。前世の記憶を喋ってしまった。まあ、王都には港があるしあながちありえない話でもないか。


 こくりと頷く。


「ええ。大きな船に一度だけ」


「そんなお話、わたくしは聞いたことありませんけど……いつの間に」


 ヴィオラは俺の話に疑問を持ったものの、それ以上は追究してこようとはしなかった。


「船旅はいいものですよ。今回の一件でヘルメスさまが気に入ることを祈ります」


「どうでしょう。普段、陸地につけている足が海面の上にあると思うと……少しだけ不安を覚えますね」


 これで仮にモンスターと遭遇でもしたら、戦闘を行うのもひと苦労する。


 相手は海水の中にいて、足場はこの甲板のみ。圧倒的に不利だ。


 ゲームでも他のファンタジーものでも、この手の水場が一番厄介だったりする。シンプルにウザいのだ。


 それでいうと水の上級ダンジョンの設計はまだ優しかったことが窺える。


 完全な水中戦エリアと化していたら、ゲーム時代はともかく、リアルになったこの異世界では完全に詰む。


 俺がどれだけレベルを上げても、人間としての呼吸限界は突破できない。


 数分も呼吸が止まれば、いくら最強でも死ぬのだ。


 今さらながらにぶるるっと体が震えた。


 水中でモンスターと戦うのも、水中にいるのも嫌だな……。


 そんな俺の心境を知ってか知らずか。離れた位置の海面が、急に大きな音を立てて打ちあがった。


 船員たちも、俺やヴィオラ、ツクヨもそちらへ視線を送る。


 全員がそれを見た。水の中から姿を現す……大きな蛇のようなモンスターを。




 ……フラグ、立っちゃった。

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