第181話 お、王女⁉︎
竜の里には、王都にはない生魚を食べる習慣があった。
いわゆる刺身だ。
しかも醤油まであるという。
この情報には、さすがに行くのを渋っていた俺も大歓喜。いますぐ島へ竜を狩りにいくのもやぶさかではなかった。
ウッキウキで彼女が用意した船に乗る。
するとそのタイミングで、後ろから視界を塞がれる。
後ろに誰かいるのはわかっていたが、殺気もなにも感じなかったので防御やカウンターはしなかった。
こんな人の目がある場所で襲撃もしないだろうと読んで。
結果的には正解だったが、この感触……背中に伝わる柔らかな二つの膨らみは、間違いなく女性のそれだった。
加えて女性特有の声が聞こえてくる。
「だーれだ」
聞き覚えのあるような、聞き覚えのないような声だった。
しばらく考えて、ありえないと思いつつも答えを出す。
「……第五王女ヴィオラ殿下、なんてね」
ありえない。彼女は王族だ。こんな所にいていい人間ではないし、おまけに王族がいたら誰もが気付いて騒ぎになる。
俺の目を塞いでた拘束が緩んだので、本当に誰だろうと思いながらも振り返った。
背後には、眼鏡をかけた女性が立っている。
ちょうどヴィオラくらいの背丈だ。瞳の色は同じだが、どう見ても髪色は違う。
声質が彼女に似ていたから答えたが、他人の空似……にしてはやはりなんか似てるような……。
困惑してる俺に、彼女は笑みを浮かべて口を開いた。
「さすがですねヘルメスさま。私、変装には自信があったんですが……しかも、わざわざ声の高さも変えたのに」
彼女は先ほどより若干低い声で喋る。
その声は、実に聞いたことのある声だった。
さすがに驚く。
「そ、その声は……え? ヴィオラ……殿下?」
「はーい、正解でーす!」
彼女は眼鏡を外して答える。
眼鏡がなくなると途端に強くヴィオラ殿下の面影を感じるが、それにしたってその髪は……。
「この髪が気になりますよね? えへへ。実は私、こういう面白いものを持ってまして……」
そう言って耳に付いていたイヤリングを外す。
青いイヤリングだった。
「イヤリング?」
「ただのイヤリングではありませんよ。このイヤリングには変装のための力がかかっています。魔力を消費することで髪の色を変えられるんです! えっへん!」
胸を張ってドヤ顔のヴィオラ殿下。
たしかにイヤリングを外した途端、彼女の髪の色が元に戻った。
いやいやいやいや、と俺は首を横に振る。
「なに言ってるんですか殿下。そもそもそんな道具使ってこんな所をうろつかないでくださいよ」
普通に事件だ。国王陛下にバレたら俺が怒られそう。俺は悪くないのに。
「嫌です! 私はヘルメスさまと一緒に竜の里へ行くんです! そのためにこんな面倒な変装までしてきたんですよ? いまさら私を追い返そうと言うんですか?」
「はい」
それはもう全力で帰ってもらいたい。
だが、ヴィオラ殿下は聞く耳を持たなかった。
「拒否します! ダメ!」
子供っぽい言動でバツマークを作ると、そのまま船の中に入っていく。
「……すみません、ウチの国の王女様が……」
「いえ。私も巫女という役職に就くのであの方の気持ちは理解できます。きっと窮屈なんでしょうね」
「それでも王宮に帰すべきです。殿下に戦闘能力はない。怪我をされても困ります」
下手すると国際問題だ。
俺はヴィオラのあとを追う。
後ろから、ツクヨの呟きが聞こえた。
「きっと……是が非でも残ろうとしますよ。ふふ」
▼
ヘルメスが船上でヴィオラを捜索している最中、遠く離れた竜の里がある島では、地底深くに眠る漆黒の竜が目を覚ましていた。
低く呻くように呟く。
「ようやく……ようやく、あの時の封印が弱まってきたか。すでにあの英雄は死んでいるはず。であれば……我が道を邪魔する者はいない」
ククク、と竜は喉を鳴らす。
それが控えめでありながらも大きな音を立てた。
「永かった。短いようで、しかしやはり永い。夢の中でも貴様の姿を見るハメになったぞ……ああ、忌々しい」
竜の脳裏には、かつて刃を交えたひとりの英雄と、その傍らに寄り添う一匹のドラゴンが焼きついていた。
死闘だった。
下手をすると殺されていたかもしれないほどの激闘だった。封印で済んだのは、人間が弱くドラゴンもまた自分より弱かったおかげだ。
傷を治し、封印が弱まるのをずっと待った。
まもなく封印はその効力を半ば失う。そうなれば竜は自由の身になる。
力を取り戻すためにはさらに時間はかかるが、それでもよかった。
封印されている百年以上もの時間に比べれば、そんなものは刹那の時。
今度こそかつて抱いた目標を叶えるべき、竜はゆっくりと今後の計画を立てていく。
最終的には、やはり竜の里にあるアレが必要になる。
「今度こそ……今度こそ必ずや竜玉を我が手に! 竜玉さえあれば、我は王になれる!」
より一層声を響かせて、ぎらぎらと瞳にエネルギーを滾らせた。
復活の時は近い——。
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