第114話 格の違い

 アリアンが告げた試合開始の合図。


 それを聞いて、ニュクスの集中力が極限まで高まる。目を細めてジッとヘルメスを見つめた。


 すると、その瞬間にニュクスの背筋に汗が滲む。


 ——恐怖か、不安か。


 よく解らない感情が、ひやりと背中を撫でた。いい知れぬ何かがニュクスの本能を無理やり抑え付けたのだ。


 ——動けない。


 先手を取ろうとしたはずなのに、木剣を構えたままニュクスは動きを止めた。お互いにただ見つめ合うだけの時間が流れる。


「…………っ」


 なぜ動かない。


 頭の中では今すぐにでもヘルメスに飛び掛りたい気持ちでいっぱいなのに、木剣を構えたヘルメスから圧を感じる。


 剣聖の娘たるフレイヤ・フォン・ウィンターですら、自分の前には屈したというのに、ヘルメスに限っては剣を交える前から心が押されていた。


 ——ありえない。そんなことない。私は最強。たとえ稀代の英雄と呼ばれる男が相手でも、勝てる!


 何度もニュクスはそう内心で呟いた。恐らく硬直した筋肉を動かすために。


 徐々にニュクスの意識が戻っていく。不安から平坦なものへと。


 ……うん。いける。


 覚悟はなんとなく決まった。


 そもそも恐れる必要などないのだ。レベルを上げた自分ならどんな相手にでも対応できる。戦うから前から怖気付くなど自分らしくない。


 ——やれ。やれるんだ、ニュクス。


 最後の激励が効いた。ぴくりとニュクスの体が動く。腰を低くして、わずかに右足を後ろへ下げる。そのまま右足を軸にして力を入れると、一息でヘルメスの前まで地面を蹴って移動した。


 眼前に迫る涼やかな顔。ヘルメスはしっかりとニュクスの速度を追いかけていた。


 互いの視線が交差する。


 ほんの一瞬、ニュクスは剣を振るかどうか迷った。しかし、そんな迷いなど不要。心を殺して剣を振るう。




 ▼




 試合が開始された。


 ニュクスはなかなか動かない。ジッとこちらを見つめたまま木剣を中段で構えている。


 静かな時間が数秒、また数秒と流れて繋がっていく。


 ……もしかして俺から攻めたほうがいいのかな? そう思っていると、ふいにニュクスが地面を蹴ってこちらに肉薄した。


 ——動きが速い。


 これまでの相手だと、夏休みに戦った【人造魔人】並みの速度だ。もしくは上級ダンジョン【十戒】に出てくる白騎士。


 どちらも速度に優れた個体ではなかったが、それでもレベル50の強敵。彼らと肩を並べるほどの強さを持つなら、目の前の少女はおよそレベル50台の魔法剣士ということになる。


 この世界ではあまりにも破格の存在だ。その若さで剣聖グレイルや姉エリスに追いつくなど……ありえないにも程がある。


 振り上げた木剣が振り下ろされるまでの刹那のあいだ、俺の思考が高速で巡る。


 ——どうする? 防いでから反撃? 彼女なら多少全力で殴りつけても耐えられる? でも女性。ここは様子を見て、相手の力量を確かめるのが先決。


 即座に答えを出して剣を盾にする。


 カーン、という乾いた音を立てて、ニュクスと俺の木剣がぶつかり合った。


 力は……微妙。剣術の熟練度が上がりきっていないのか、想像よりレベルが低いのか。剣を通じて伝わる衝撃は、俺の予想を上回ることはなかった。むしろ低いくらいである。


 その証拠に、俺の剣は彼女がいくら力を込めようとも押し込まれない。


 涼しい表情のまま鍔競り合う。


 そして、


「————ッ」


 埒が明かないと判断したニュクスが、すぐに剣を退いて連撃の構えを見せた。


 わざわざ片足を半歩後ろに下げるのは、彼女の型か癖か。


 十分に力の籠もった一撃が放たれる。


 当然、それも危なげなく木剣で防いだ。すると、そこからニュクスは返す刃で剣を往復させる。さらに防ぐと、体を回して三連撃目。


 休む暇すらなく、時に姿勢を沈めて下から切り上げたりなど、さまざまな工夫を見せる。


 だが、いかんせんレベルの差かな。どれだけ速く打ち込んでこようと俺には追える動きだ。


 体も頭も余裕で反応できる。であれば、ニュクスの連撃をすべて凌ぎきるのは容易なこと。


 むしろ途中でこちらから一歩前に出る。


 その途端に、彼女の連撃は意味を失った。ゼロ距離。ここまで近寄られると、剣の間合いは無意味になる。途端に、剣術勝負から腕力勝負に変わってしまう。


 逃げられてもいいように全力は出さない。離れようとした瞬間にくっ付けるよう力を調整する。


 それだけでもニュクスの剣は徐々に押されていった。上から下へ押しつぶすように体格も活かす。


「くっ……!」


 苦しそうな表情を浮かべるニュクス。まだ全力を出し切っていないところを悪いが、そろそろ終わらせよう。


 本番前の一戦なら、数分でも刃を交えるだけで十分だろう。


 さらに力を込めて——足を払う。




「——え?」


 上にばかり意識が集中していたニュクスの体が、驚愕とともに崩れた。


 あまりにもあっけなく地面に転がる。


 直後、俺の木剣が彼女の首元に突き出された。


 勝負あり、だね。

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