第95話 ウチの娘を……
しばらくアルテミスをからかって遊んでいると、泣きやんだオリヴィア夫人とアスター伯爵が戻ってきた。
二人は並んで対面のソファに座る。
「ごめんなさいね、ヘルメス公子。公子のまえでいささかお恥ずかしい格好を……」
赤く腫れた目元を隠しながら夫人はそう言った。俺は首を左右に振る。
「いえいえ。アスター伯爵と再会できてよかったですね」
「夫から聞きました。ダンジョン奥地から出られなくなった夫を助けたのは、ヘルメス公子だと。なんとお礼を言ったらいいか……」
「お気持ちだけで十分ですよ——と言いたいところですが、それじゃあ娘さんが済みそうにないので、そのうち機会があれば返してもらいますね」
「はい。その際は必ず、アスター伯爵家の名に誓って」
そう言って夫人は恭しく頭を下げた。ここには他に誰もいないとはいえ、若造である俺に頭を下げるとはよっぽどだ。
素直に感謝を受け取り話を進める。
「それにしても、夫人にはもう話は済んでるようですね」
「ああ。宥めるついでにね。妻からさっさと言えと脅されてな」
「余計なことは言わないでください」
「はい……」
オリヴィア夫人の一言であっけなく沈没する伯爵。この様子を見るかぎり、どちらが偉いかよくわかるなぁ。
「でもすごいよね、お母様。ヘルメス様はこの若さで上級ダンジョンの攻略を進めているなんて」
「ええ。私も最初聞いたときは冗談かと思いました。父が何度も、自分より圧倒的に強い、と言うので信じましたが……。それが、ルナセリア公爵家の血筋というものですか」
「すでに私どころか、あのグレイルのやつも越えているだろうな。あいつはいまどこで何をしているんだ?」
「十戒とは別の上級ダンジョンに潜ってるはずですよ。まあ、さすがにもう王国に戻ってきているとは思いますが……」
「そうか……。なら、今度あいつの家でも訪ねるとするか。ヘルメスくんの話でも引っさげてな」
ニヤリと笑う伯爵。
別にそれ自体は構わないが、あの堅物な侯爵がそれを喜ぶかどうか……。
「もう! そういう話はいいんですよ! それより、ヘルメス公子の件です!」
「? 俺の話、ですか?」
何のことだろう。俺が首を傾げると、目の前の伯爵は「うーん」と渋い顔をする。
「本当に……本人に伝えるのか? たしかにヘルメスくんは素晴らしい男だが、久しぶりに娘と再会して早々、そんな話をしなくても……」
「どうせルナセリア公爵に手紙を送るのですから、情けないこと言わないでください!」
そう言って伯爵を叱る夫人。その視線が、唐突にこちらへ向いた。
「……すみません、公子。公子を無視してうるさくして」
「い、いえ。でも、私に関係してる話なんですよね? ちょっと気になりますね」
「あはは。そんなに難しい話でもないですよ。ただ、大恩あるヘルメス公子の婚約者に、アルテミスを推薦したいだけですから」
「…………はい?」
アスター伯爵夫人の言葉が素直に受け入れられず、脳内に宇宙が広がった。
「婚、約者……?」
「ええ。ヘルメス公子に現在、婚約者がいないのは有名な話ですから。学園を卒業するまでしないつもりかもしれませんが、立候補するくらいは問題ないでしょう?」
「——あるよ!? なに言ってるのお母様! 本人である私もはじめて聞いたんだけど!?」
たまらず黙っていたアルテミスが声をあげる。バン、と叩かれてテーブルが揺れた。
「あらあら、はしたないわよアルテミス。あなたも貴族の娘なんだから、政略結婚くらい受け入れなさい? まあ、今回の話、政略結婚ともあながち思えないけどね?」
「お母様!?」
三度目くらいのカオス。俺はもうなにを言っていいのかすらわからず、放心した。
その目の前で、娘と母が喧嘩をはじめる。喧嘩っていうか、一方的にアルテミスがねじ伏せられてはいるが。
その二人のあいだに挟まるアスター伯爵。彼には、もはや発言権はなかった。肩身の狭い想いでふたりの話をただ黙って聞いている。
「いきなり婚約なんて気が早すぎるよ! まだ学園にも入学したばかりだっていうのに!」
「ぜんぜん早くありません。普通、あなたくらいの歳には婚約してるものよ? お母さんも学園に入学する前からお父さんと婚約してたもの」
「それとこれとは話が違う! 大体、ヘルメスにはウィクトーリア様が……」
「ああ、ラナキュラス公爵令嬢の話ね。あれは成立してないわ。だからチャンスなのよ。伯爵令嬢ならギリギリ公爵家にも釣りあうわ! 頑張るのよ、アルテミス!」
「もー! 娘の話もちゃんと聞いてよ、お母様!」
ぎゃあぎゃあ。ぴーぴー。鳴りやまぬ喧騒。俺もアスター伯爵も同じような顔で静かに紅茶を飲んだ。
このやり取り……まだ続くのかな?
ある意味で微笑ましい親子のやり取りを、そこから三十分は眺めていた。
終わった頃には、「取り合えず手紙は出す!」というアスター伯爵夫人の意見が通っていた。
……残念だが、アルテミスと婚約するつもりはないよ。
嫌いじゃないけど、せめて学園を卒業するまでは、他のことに集中させてほしい。婚約者がいるんだから、とか言われたくない。
帰り際までひたすらアルテミスのアピールをする夫人に、遠まわしにそう告げて俺は学園に戻った。
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