第53話 あれ?俺なんかやっちゃいました?

 ≪狩猟祭≫が始まって一時間以上もの時間が過ぎた。終了まであと三十分を切ったあたりから、次々と獲物を手に森の中から参加者が姿を現していく。大半が弱い魔物を一体か二体ほど担いでいる。


「あら、あそこの殿方を見て。五体も魔物を持ち帰ってきたわっ」


 一面の全てがガラス張りで整えられた室内にて、令嬢のひとりが声を上げる。すると、その場に並んでいた他の令嬢たちも一様に視線をそちらへと移した。鈍色の甲冑が雨を弾く中、威圧感を与える兜が外される。晒された三十代半ばほどの容姿と無精ヒゲを見て、九割方の令嬢が視線を外す。


 そんなことも知らずに、雨に打たれたまま歩き続ける男は陽気な笑みを浮かべて片手を振った。当然、苦笑いを浮かべるだけで誰も手を振り返したりはしない。無情である。


「なんだか今年の≪狩猟祭≫はパッとしませんわね……先ほどの殿方くらいでは? まともに魔物を確保できたのは」


 続々と令嬢たちがいる建物のそば、雨風を防げるようにと簡易テントの張られたエリアに足を運ぶ騎士たちを見下ろして、令嬢のひとりがそう言った。同じく嘆息とともに言葉が上がる。


「そうですねぇ。先ほど帰ってきた方は鳥を撃ち落したようですが……よく見ると小さい」


「でも顔は素敵でしたよ? 背はやや小さいほうですが」


「けどいくら皆さんが頑張ろうと、今年の主役は決まってますわよね」


 文句を垂れ流す令嬢たちの中心で、口元を扇子で隠したミリシア・ローズ子爵令嬢がクスリと笑った。他の令嬢たちもなにを言ってるのか即座に理解し、「確かに!」と声を揃える。


「まだ姿は見えませんが、きっとルナセリア公爵子息であるあのお方なら……ヘルメス様なら、私たちの想像を絶する魔物を討伐しているでしょう。問題は、その魔物を誰に献上なされるのか」


 言外に、「自分こそ相応しい」という感情がありありと篭るが、他の令嬢たちもほとんど同じようなことを内心では考えているため、誰もそれに気付かない。


「やはりここは——」


「しかし私も——」


「それはいささか強引では——」


 ワイワイとヘルメスの話題で室内の空気が暖まる。ごく一部のあまり話に興味がない令嬢たちは彼女たちから一定の距離を空けるが、それでも火の付いた話題は勢いが止まらない。徐々に、熱心にヘルメスのことを語る女性が出始めた時。


 まるでタイミングを見計らっていたかのように、よく通る声が零れた。




「…………な、なに……あれ……?」




 令嬢のひとりが漏らした驚愕は近くの者にも伝わり、視線が同じ方向へ向くたびに動揺を広げていく。先程までヘルメスの話題で盛り上がっていたグループの話し声をかき消し、意識を奪うのにそう時間はかからなかった。


 ひとり、またひとりとガラス張りの窓から外を見下ろす。その視線の先。


「もしかして……魔物、なの?」


 真っ直ぐ木々をなぎ倒しながら、大きな塊が森の中から姿を現した。遠目でも解るほど全身に夥しい傷痕を残す……獅子のようでヤギと蛇が同化するバケモノ。それを視界に捉えて理解するなり、多くの令嬢たちが恐怖に慄いた。床にへたり込む者までおり、ざわざわと不安が室内全域に伝播していく。


 もはや祭を楽しむ状況ではない。それでも気の強い何人かの令嬢が、あることに気付いた。それは、恐ろしきバケモノを引き摺っている男。その男が、自分たちのよく知る人物だったということに。




 ▼




「…………」


 鎖を地面に下ろし、両手を挙げて降参のポーズをとる。


 頑張ってキマイラを森の奥からここまでパワーで運んできたというのに、地面を抉りながらようやく会場へ到着した俺に向けられたのは、賞賛の嵐ではなく悲鳴と怒号、おまけに会場と令嬢たちを守護する警備兵たちの武器だった。


 前面を覆うように展開した何人もの兵たちを見て、これはヤバイと咄嗟に理解する。まさかキマイラの死体でここまでの騒動になるとは……。


 矢継ぎ早に繰り返される文句なのか疑問なのかよくわからない彼らの問いかけに、どう答えたものかと頭を悩ませる。素直に「倒してきました!」でいいのかな? それ以外になにか旨い言葉は思い浮かばないので、ひとまずそれでいいかと口を開いた。


「あー、えー……これはキマイラっていう魔物で……」


 しかし、言葉は途中で遮られる。目の前の兵たちにではない。奥に居を構える建物の扉から出てきた、何人もの令嬢たちによって。


「ヘルメス様! その魔物、ヘルメス様が倒したんですよね!? すごいですっ」


「こんな凶悪な魔物を倒すなんて……さすがは天才。神童! ルナセリア家の人はやっぱり凡人とは違うのよ!」


「わたくしこんな大きな魔物初めて見ましたわ……。一体どんな魔物なにか教えてくださらない!?」


 うおっと、令嬢たちの圧に仰け反る。


 自分たちを守るはずの兵士たちを押し退け、傘を持った使用人たちとともに俺の下へ駆けてくる。この世界の女性陣はいささか神経が図太すぎませんか? 普通、こんなデカイ魔物を見たらビビると思うんだが……どうやら俺の常識は通用しないらしい。


 返事を返さないあいだも様々な疑問や質問が飛び交い、中でも、


「その魔物は、一体どなたに贈るのですか?」


 という問いに、「むぐっ」と喉が詰まる。


 やっべ。キマイラをここまで運ぶのに集中して考えるの忘れてた。しかも急に他の令嬢たちまで声を沈めて俺の返事を待っている。ついさっきまでは、各々が勝手に喋っていたというのに素晴らしい団結力だ。願わくばここで発揮されないことを祈っていたが、それはもう遅い願望だった。


 取り合えずヒロインたちが遠く離れたところでこちらの様子を見守ってるのを確認し、それ以外の令嬢の中から適当にキマイラを送る相手を選ぶ。


 ……あ、見つけた。


 群集の中に見覚えのある双子の姉妹を発見する。未だ答えは出ないが、出ないなら最初に狙いを付けた彼女たちでいいか、という安易な考えのもと、ゆっくりとだが令嬢たちのあいだをすり抜けて彼女たちの下へと向かう。


 俺が近付きジッと見つめているのがわかったのだろう、双子の姉妹たちは少しだけ考えてきょろきょろと周りを見渡した。しかし、隣に誰もいないことを確認して、可愛らしく首を傾げる。その様子に内心でクスリと笑ってから、ようやく彼女たちの前に辿り着き膝を地面に突こうとした——ら。


 慌ててやや斜め後方に立っていた赤髪の少女が、強引に割り込む形で目の前に立ち塞がった。


 桃色の瞳からは、並々ならぬ自信と強い欲望を感じる。


「えっと、君は……」


 誰だ? という言外の疑問を、いきなり出てきた少女が汲み取ってくれる。恭しくスカートを両手でつまむと、綺麗なカーテシーを見せて頭を下げた。


「こうしてお話するのは初めてになりますね。ローズ子爵家が長女、ミリシア・ローズと申します。わざわざこちらへ足を運んでくださったのは、もしや……私にあの魔物を贈ってくださると解釈しても……?」


 ちらりと媚びるような視線が俺の額を貫く。礼儀正しく愛らしい表情だが、生憎と彼女にはまったく興味がなかった。どこにでもいる普通のご令嬢って感じ。だからこそ余計に、その後ろに並ぶみすぼらしい双子の姉妹が目に付いた。


「申し訳ありません、ミリシア嬢。私があのキマイラを贈りたいのは、後ろにいる女性です」


「え……?」


 そう言って謝罪する俺に、ミリシア・ローズは固まった。

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