第52話 泥の花

 ≪狩猟祭≫開始の笛が会場全域に鳴り響くと、多くの騎士甲冑を身に付けた男たちが一斉に走り出した。


 あんな重いものを着た状態でよくもまあ元気に叫びながら走れるものだと、はるか後方からその様子を眺めていた双子の姉妹が同時に首を傾げる。そして言った。


「すごいです、すごいです。フロセルピアは感動しました。あれが男性のやる気というものですね」


「すごいわね、すごいわね。フェローニアも驚いちゃった。ここまで大きな声が聞こえてきたわ。どうしてかしら、どうしてかしら。あの人たちはどうしてあそこまで頑張れるの?」


 双子の片割れ、ほんのわずか早く生まれてきたフェローニアの問いに、しかし答えたのは隣に並ぶフロセルピアではなかった。


「——決まってるでしょう? 意中の令嬢へ魔物を贈るためよ。私のような選ばれし美女にね」


 横から飛んできた甲高い女性の声に、フェローニアとフロセルピアは同時に険しい表情を浮かべた。なるべく相手にそれを悟られないよう注意しながら返事を返す。


「なるほど、なるほど。ミリシア様の仰るとおり。きっと、きっとお姉さまが誰よりもおモテになるわっ」


「当然ね。あまりにも当たり前すぎてむしろ屈辱だわ。祭が始まる前から私は色々な殿方に声をかけられているのよ? あなた達と違ってね」


 フェローニアの見え透いたおべっかに、ミリシア——ミリシア・ローズは桃色の瞳を吊り上げて吐き捨てた。


 ツカツカと双子のそばまで歩みを進めると、おもむろにフェローニアの頬を両手でつまむ。徐々に彼女の顔が赤く色を帯びていった。痛そうに表情が歪む。


 だが、ミリシアはその顔こそが見たかった。喉を鳴らして小さく笑うほどに。


「ぷふっ。なにその顔。馬鹿みたい。……あんたたちみたいなグズでブサイクでなんの取り柄もない害虫は、精々が私の美貌を立てるための道具でしかない。わかってる? お父様がなんであなたたちをここへ連れてきたのか」


 ひとしきり笑ってから、彼女は底冷えするような低い声で尋ねた。


 フェローニアもフロセルピアも瞳を伏せてコクコクとゆっくり頷く。


「…………わかってます、わかってます。フェローニアたちは、お姉さまがより輝くための引き立て役。いつもどおり汚い装いでつまらなそうに立っていればいい」


「そうそう、根暗な感じでね?」


 声から感情の色すら抜け落ちた二人の反応に満足したのか、ミリシアはフェローニアの頬から手を離した。


 しかし、


「それと……」


 バチンッ! という音が鳴る。


 フェローニアの右頬に、ミリシアの右手が当たった。ビンタされたのだと遅れてフェローニアが気付いた。気付いた時には、衝撃で後ろに尻餅をつく。


 即座にフロセルピアがフェローニアの後ろに張り付き、「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」と尋ねるが、フェローニアはまるで人形のように「平気よ」とだけ短く答えた。そんな二人に淡々とミリシアは告げる。


「その喋り方をやめろって、私いったわよね? 不愉快なのよ……気持ち悪い」


 懐からハンカチを取り出して自らの右手を拭くミリシア。彼女は用事は済んだと言わんばかりに踵を返すと、仲良しの貴族令嬢たちの下へと去っていった。


 最後に「ああ……今日はあのヘルメス様も来ているのに嫌な気分になっちゃったわ」とだけ言い残して。




 ▼




 ミリシアの姿が消えてからも、しばらくフェローニアとフロセルピアはその場から動けなかった。またいつ彼女の機嫌を損ねるかわからないと怯えながらも、空白の時間が五分、十分と延びる度にホッと肩を撫で下ろす。


 そろそろ大丈夫だろうと周囲を一瞥したあと、お尻についた汚れをパッパッと払ってから立ち上がった。


「フェローニア、フェローニア、大丈夫ですか? 頬っぺたは痛くありませんか?」


 フロセルピアがフェローニアの肩から手を離して心配そうな顔で見つめる。それに対してフェローニアは力なく笑ってみせた。


「ちょっと痛かっただけで平気よ。これくらい、これくらい我慢できなきゃお姉ちゃんじゃないわ」


「でも……でも……」


「ミリシア様に叩かれるのはいつものこと、いつものことよフロセルピア。むしろ今日は鞭じゃなかっただけマシじゃない?」


「たしかに……たしかに言われてみればそうですね。ごめんなさい、ごめんなさい。フロセルピアは何もできませんでした……」


「いいの。いいの。妹を守るのはお姉ちゃんの役目よ? それに、それに。いまは暗いことより楽しいことを考えなきゃ。殿方は、一体どんな魔物を捕まえてくるのかしらね」


「魔物? 魔物ですか?」


 切り替わった話題にフロセルピアが首を傾げる。


「ええ。ええ! だって今日は≪狩猟祭≫だもの。きっと面白いことが起こるはずだわっ」


「面白いこと……面白いこと?」


 魔物を狩り、狩った魔物を令嬢へプレゼントする。それのどこが面白いと思えるのか、その時のフロセルピアは姉の言葉の意味がわからなかった。彼女は姉のフェローニアほど想像力が豊かじゃない。


「たとえば、たとえば! 参加者には、あのルナセリア公爵子息様もいるって」


「学園で、学園で話題のヘルメス様?」


「そうよ、そうよ。だから楽しみ。あの人は面白いもの。退屈なフェローニアたちの世界に、もしかしたらまた新しい色を塗ってくれるかもしれない。ね? ね! 楽しみになってこない?」


「……フロセルピアにはちょっと難しいのです。でも、でも。フェローニアが嬉しそうだとフロセルピアも楽しくなります! だから、だから。それでいいとフロセルピアは思いました」


 異なるようで同じ気持ちを抱いた二人の姉妹。彼女たちは、遠くで剣を振るうであろう参加者たちの帰りを待ちながら、他愛ない雑談を交し合った。


 途中、雨が降り建物の中へ避難したあとも、ミリシア・ローズを警戒しながら二人の会話は続く。唯一その会話を遮ることができたのは、




「な、なに……あれ……?」




 という、やけに通る令嬢の呟きだった。

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