第51話 キマイラ

「みーつけた」


 頭の天辺から滴り落ちる水滴を無視して、俺は凶悪な笑顔を浮かべてこっそりと持ち込んだ荷物を捨てる。


 ゲームどおりの手順を踏めばきっとこの森の中で目当ての魔物を見つけることができると思っていたが、やはり想像したとおりに奴は俺の前に姿を現した。


 獅子頭に蛇の尾。ヤギの頭部を背中に生やした巨大な四足獣。体長は十五メートルすら生易しい表現に思えるほど大きく、獰猛な牙を剥き出しにして「グルルッ」と小さき呻いた。


 間違いない。前世でモニター越しに見た魔物のビジュアルそのままだ。この森で出てくる個体の中ではトップクラスに危険な存在————。

 レベル40の≪キマイラ≫。


 スタスタと地面を踏み抜いてこちらに歩み寄る。


「…………」


 互いのあいだに不自然なほどの沈黙が流れた。周囲には雨粒が落ちる音しか聞こえてこない。


 キマイラが歩みを止める。やや右足を前に出し、俺が剣の切っ先を地面すれすれに下げる。金色の瞳と赤色の眼が交差した——瞬間。


「グルアッ!」


 目を見開いたキマイラが右足を持ち上げて振り下ろす。わずか五メートルほどの距離にある空気を引き裂き、樹木ほどの太い腕が俺の頭上に落ちた。


 キマイラの大きな手のひらが地面を容易く砕き、鋭く尖った爪が大地を深々と抉る。しかし、破砕地点に人の影はなかった。攻撃が当たる直前、俺が右側へ大きく飛び退いたからだ。


 前足を浮かしてキマイラが忌々しげに自分の右足を見下ろす。獲物に逃げられてご機嫌ななめ——ではなく、そこから流れる自らの血を睨んでいた。


 浅く一文字に斬られた痕を見て、俺は肩を竦める。


「割と全力で斬ったつもりだったんだけど……なるほど硬いね」


 その傷は、俺がキマイラの攻撃を避けた際に負わせたものだ。片手とはいえ、あらんかぎりの腕力を込めて刃を叩き込んだのだが……薄っすらと窺える傷の痕に滴る血の量が、軽傷だと如実に物語っていた。キマイラ自身も少し痒いくらいの感触だろう。すぐに足を下ろしてこちらに視線を向ける。


「さてさて……こうなると神聖魔法を使って地道にその肉を削り取っていくしかないなあ……。倒すのはともかく、会場まで運んでいくのが面倒だ————なっと!」


 喋ってる最中にキマイラが突っ込んできたので、それをひらりと横にステップしてかわす。気分は闘牛士だ。角の生えた牛に比べても目の前の魔物は圧倒的に格上だが、当たらなければ一緒である。


「しょうがない……少々危険だけどプランBに移るか」


 しなる蛇頭を剣身でガードしながら呟く。


 プランBは、近接戦闘でもっとも障害になる蛇の≪毒霧≫を無視してゴリ押し作戦、だ。昆虫型や植物型の魔物が使う猛毒に比べればダメージ量は少ないほうなので、あえて状態異常を治さず回復だけして突っ込む。そうすれば、神聖魔法を二度使う手間が一度で済むし、すでに状態異常を受けているので再び毒霧を喰らっても問題ない。


 さらに、毒霧中はキマイラ自身にかなり大きな隙ができるのでダメージを稼ぐチャンスでもあった。魔力も温存できて討伐時間を大幅に短縮できる素晴らしい案である。


 問題は、ゲームの頃と違って現実になったこの世界に≪HPバー≫というシステムが存在しないこと。ゲームでなら体力管理は数値と色を見れば簡単にできたが、それがない現状では自分の体調を考慮して治癒魔法を使う必要がある。


 さすがに毒に犯された状態でありえないと思うが、回復を渋って死んだら笑えない。メリットと同様にリスクも背負うことになる。


 ちなみにプランAは毒霧を回避して地道にダメージを蓄積していく作戦だ。相手の攻撃パターンを知ってる俺ならなんの憂いもなくこなせるが、範囲攻撃をいくつか持つキマイラを相手にその作戦を決行すると、なかなかに時間がかかる。


 もはや悩んでる暇さえない。一回試して無理だと思ったらやめればいいかと考えて、俺はプランBの内容を実行することに決めた。


 上級ダンジョン≪十戒≫での白騎士戦で見せた二刀流スタイルでいく。神聖魔法≪神憑≫でステータスも上げて、キマイラが毒霧のモーションを見せた途端に作戦が始まった。


 不気味な紫色の煙の中に突っ込む。息を吸うとやや体が苦しくなったが、耐えられないほどの痛みじゃない。全身を毒によるダメージが蝕んだと思った時には、すでに二振りの刃を振り上げていた。蛇の口が開き、毒を吐き出し終えるまで動けないキマイラの獅子頭めがけて剣を振り下ろす。型も技術も関係ない。相手の鼻先に足をつけ、腕力に頼り切った暴力を叩き込む。


 憎しみに染まっていたキマイラの獅子頭が、毒を無視して突っ込んできた俺を見て驚愕を浮かべる。次いで、乱雑に振り回された剣の軌跡を苦悶の表情で視界に捉えた。


 まず額を切り裂く。続けて鼻や口が血の花を咲かせた。遅れて狙いを定める余裕が生まれ、血の付いた切っ先が魔物の眼球を捉える。なるべく高速で剣を振ったつもりだったが、そこまでいくとさすがのキマイラもモーション後の硬直が痛みと衝撃でキャンセルされる。大袈裟に後ろへ仰け反って、前足で眼前の敵をなぎ払った。その時にはもうキマイラの顔を足場に飛んでいた俺の体は、中空をくるくると回転しながら地面に着地する。


 降り注ぐ雨粒が、剣に付着した血を洗い流してくれる。


 血と怒りで真っ赤になったキマイラの顔を見つめながら、内心、毒のダメージ蓄積量を把握してみると、体はぜんぜん動くしさほど苦しくはなかった。虫歯が痛いとか頭痛がするとかそういうレベルの痛みだ。余裕で我慢できるし恐らく体力的にも問題はない。


 万が一のことを考えて治癒魔法を施してから、大口を開けたキマイラを見上げる。


 すでに俺の頭の中には、勝利への方程式が完成していた。




 ▼




「ガッ……グルゥッ……!」


 最後に大きく口を開けたと思ったら、未練がましく呻き声を上げてキマイラが地面に倒れる。全身から夥しいほどの血液が流れ、それを雨粒が広げる。薄くなっても赤い水溜まりは不気味だ。すぐに視線を外して剣を鞘に納めた。


「思ったより時間がかかったな……急いでコイツを運ばないと」


 ≪狩猟祭≫には、参加者がのめり込みすぎないように制限時間が決まっている。ここまで移動した時間を差し引いてみると、戦闘+帰還でかなりギリギリだった。主催者側もまさかキマイラを狩りに森の奥まで行くとは思ってもいないだろう。だからこそわざわざここまで足を運んだのだが……これならもう少し弱い個体でもよかったかな?


 そんな今さらな思考を頭の片隅に追いやって、俺は地面に置いておいたやたら太い鎖を拾う。じゃらじゃらとその鎖をキマイラの獅子頭の首元に巻きつけ、そこから全身にも鎖を行き渡らせると、数回ほど引っ張ってみて問題がないことを確認し、


「よし。それじゃあ戻るか」


 と言って歩き出した。


 鎖のギチギチという音と、地面を削る重く鈍い音が雨音に混じって聞こえる。時折、後方の木々がなぎ倒されていくが……悪いのはキマイラであって俺じゃない。これだけ馬鹿広いのだ、少しばかり自然を壊しても誰も文句は言うまい。





 ……言わないよね?

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