第49話 倶利伽羅への貢ぎもの

 午後の時間をいっぱい使ってセラの訓練は続いた。休憩を挟みながらも一心不乱に空中での姿勢制御を鍛えた彼女だったが、さすがにたった一日でその技術を完璧に習得することはできなかった。


 俺? ヘルメスは天才型だからね。ぶっつけ本番でもそれなりの形になる。モブとは思えないほどのスペックだと何度目かの感動をしたところだ。おかげで夕暮れまで擬似飛行訓練のようなものをしたセラにつっかえることなく色々と教えることができた。


 それでも彼女はまだまだ訓練を続行したいという顔を浮かべていたが、さすがに彼女の両親が困るだろうし俺もこのまま居座られ続けると困るので、両手を叩いて無理やり訓練の終了を告げる。


 最後に見せた彼女のガッカリ顔は、今日一日を締めるにはちょうどよかった。


 大量の汗を滲ませるセラにタオルを渡し、軽く今後のアドバイスを送ってから彼女を自宅へ帰す。行きが馬車なら帰りも馬車だ。腕が千切れんばかりに手を振る彼女に手を振り返して俺たちは別れる。


 ようやく訪れた静寂を噛み締めながらソファの背もたれに体を預けると、紅茶を用意したフランがクスリと俺を見て笑った。


「ずいぶんとお疲れのようですね」


「まあね。誰が彼女を無能と言い出したのかは知らないけど、ひたむきに努力できる姿は素晴らしいものだよ。あと集中力も大したものだ。恐らく理解力が乏しいせいで成長速度こそ遅いが、いつか大輪の花を咲かせてくれるかもしれない」


「少なくともヘルメス様は、クリサンセマム男爵令嬢に才能を見い出したと?」


「そこまではなんとも。それが見えるほど彼女に何かを教えたわけでもないしそれが見えるほど親しくもない。ただ……才能の開花に最も必要なものがあるとしたら、結局は努力しかないんじゃないかな? とは思ってるよ」


 彼は彼女は最初からずば抜けていた——なんて言葉は、ただ表面をなぞっただけに過ぎない。本当の才能はその奥に眠るものだと俺は思う。


 ヘルメスとてそれは例外ではない。俺がレベルを上げ各種ステータスを伸ばしたからこそいまがある。ゲームの主人公であるアトラスくんがそうであるように、ヘルメスもまた努力を怠れば凡人のレッテルを貼られることだろう。


 誰がどんな才能を持っているかなんて膨大な時間を費やしてようやく見えるものだ。表面だけ写した結果なんて所詮は才能の方向性にしか過ぎない。中学高校で名を上げた選手が、プロの世界で通用しなかったという話はザラだ。つまりそういうこと。


 セラ・クリサンセマム男爵令嬢もまた子供の中では無能と言われても、まだ入学してたったの数ヶ月。中等部を含めても三年とちょっと。体の発達具合を考慮してもまだまだ始まったばかりさ。早熟かそうでないか。そんな違いもあるくらいだしね。


 テーブルに置かれたティーカップを持ち上げ湯気の立ち昇る液体を喉に流し込む。やや熱い紅茶が疲れた体を香りで癒しホッと息を吐いた。それを見たフランが目を伏せて呟く。


「ヘルメス様は努力を成されていますからね……」


「まあね」


 ニヤリと不敵に笑ってからそう答えると、俺は今度は一気に紅茶を胃袋へと流し込んだ。




 ▼




 夏休みが始まってはや一週間が過ぎた。そのあいだ、父の仕事の手伝いをしたりラナキュラス公爵家に雇われている護衛騎士と刃を交えたり、実は約束していたセラ・クリサンセマム男爵令嬢の特訓に付き合ったりとなかなか忙しい日々を過ごした。


 そのせいであまりダンジョンに潜れていない。ウィクトーリアの邪魔があったあの日を除けば、セラの相手をした翌日を含めて二度のみ。そこから父の書類仕事を手伝いいまに至る。


 せっかくの夏休みだと言うのに一週間経って上がったレベルは3。現在43になった俺は、この世界でも最高峰の一角に片足を突っ込み始めたというのにそれを素直に喜ぶことができなかった。せめてあと一、二回潜れていればレベルも45くらいになっただろうにと思うくらいには、心の狭い感想を口にする。


 なんでそこまでたった一回や二回の差にぐちぐちと文句を言うのか。それはこれから始まる二つ目の共通イベント≪狩猟祭≫こと『倶利伽羅への貢ぎもの』に関係していた。


 『倶利伽羅への貢ぎもの』。


 ≪ラブリーソーサラー≫の二つ目のイベントにして最初のイベント≪学年別試験≫と同じヒロイン達への好感度を上げるためのイベントだ。


 かつてどこかの国から伝わった救国の龍へと感謝の印に送りものをする……という話が長い時の中で曲解、改造された結果のお祭だ。


 と言っても別に街中で屋台が並び民草が飲んで食べての大宴会をするわけではない。この祭りは、言ってしまえば貴族の娯楽のためのお祭である。


 ルールは簡単。街の外に広がる森の中で魔物を仕留め、仕留めた魔物を意中の貴族令嬢へと捧げるのだ。龍へ魔物の心臓を捧げ続けたという話からきているらしい。


 ぶっちゃけ女性に魔物をプレゼントするなんてどんな野蛮人だよ、と突っ込みたいが貢がれる魔物の質によってはそれなりに賞賛や尊敬の言葉、視線を向けられるらしく、令嬢側も今日という日をかなり楽しみにしているとかなんとか。


 一応、街のそばに生息する魔物を狩って市民たちへの危険を取り除く……という意味合いもあるらしいが、貴族にとってはもっぱら意中の相手へ自分の好意や厚意を送りあう場と化している。前世でいう≪バレンタインデー≫的な。


 そしてゲームでは、主人公がどんな魔物を倒しその魔物を誰に貢ぐかで好感度の上昇値が結構変わる。ミネルヴァやフレイヤ、イリスなんかは強い魔物を求め残りのヒロインたちはどんな魔物でもOKみたいな感じで。


 無論彼女たちに魔物を送るつもりは微塵もないが、多くの貴族子息や貴族令嬢たちが見守る中で凶悪な魔物を仕留めれば俺の名声はさらに高まること間違いなし。だからわざわざ罵倒されながらもあの老婆の店で≪吸引剤≫を購入したのだ。


 今日、この日のために!


 俺以外の大半の参加者が分厚い鎧を纏いスタート地点に並ぶ中、俺はもう自分が行き着く先しか見ていない。


 頭上を鈍色の曇天が覆い参加者たちが幸先の不安を覚えるも、俺はグッと背筋を伸ばして最後に一度、後ろを振り返る。


 参加者たちの背後には、これから危険な街の外へ出向く男たちを見送るために、何人もの令嬢たちが近くの建物から外に出てこちらを見守っていた。


 ふとその中で珍しく貴族令嬢にしては身なりの悪い双子の姉妹? が視界に映る。ほとんど同じ顔の少女たちは不思議と俺の視線に気付いたのか目が合う。しばし見つめ合ったのち俺は首を傾げてから視線を逸らした。


 まるで平民みたいな服装だな……あまり家庭環境がいいとは思えない。


 まあいまの俺には関係ないか。そう早々に結論を出して正面を向きなおす。そのタイミングで高らかな笛の音が鳴り響く。それは≪狩猟祭≫が始まったことを意味していた。

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