第47話 一度あったら二度もある

 ウィクトーリアとともに上級ダンジョン≪十戒≫から出る。地上はすでにオレンジ色の夕陽が世界を照らしていた。金色にも映る輪郭を仰ぎ見ながら、グッと背筋を伸ばして凝り固まった体をほぐす。


「ん~……なんだか久しぶりに地上へ出たような気分だね。半日もダンジョンにいたわけじゃないのに」


 俺のどうでもいい感想を律儀にウィクトーリアが拾ってくれる。


「それだけ濃密な時間を過ごされたということでしょう。実際、私は見ているだけだったのに疲れましたよ。戦っていたヘルメス様はその比じゃありません」


「そうかな? ……そうですね。よくよく考えると、人生でも一番いちばん濃い時間だったかもしれません」


 特に最初の戦闘でひとつでもミスを犯していたら……と考えると、今さらながらに顔が青くなる。振り返ってみると、自分がどれだけ危ない橋を命綱いのちづな無しで渡っていたのかわかる。恐らく真後ろには死神の影があっただろう。


「でも、おかげでレベルは上がった。最初より戦いやすくなって、明日は今日よりも戦いやすくなってるはずです」


 と言うと、すぐ隣でウィクトーリアの呆れに似たため息が漏れる。ちらりと視線を移せば、遅れて彼女のジト目がこちらに刺さった。


「そもそも明日くらい休もうとか思わないのですか? 昨日の今日ですよ」


「それが一日いちにち休むと元気になるんだよね。これが若さってやつですか?」


 前世の自分だったら三日は引きずってたであろう疲労も、十五歳の少年には一日と休息日は必要ない。およそ七時間から八時間の睡眠だけで、元の正常な状態へと戻る。失って初めてわかる若さのすごさに、うんうんと何度も頷いた。


 しかし、ウィクトーリアのジト目が消えることはなかった。


「違うと思います。体と心は、本当は悲鳴を上げているのに、それをヘルメス様が気にしないように目を逸らしてるだけでは? もしくは鈍感すぎて気付いていないとか」


「…………そ、そんなことない、よ?」


 図星を突かれたような気分になって答えに困る。


 たしかに俺は、強さを求めるあまり効率ばかりを重要視してきた。わずかに余裕を持ってペースを落としたところで、いまのままならよほどの事がないかぎり問題ない。それでも急いでレベルを上げようとするのは、その≪よほど≫を警戒してるのかそうでないのか。


 自分のことなのにいまいちハッキリしなかった。自分の内面を正確に図るって難しい。ある意味、身近すぎて最もわかりにくいのが自分の心なのかもしれない。


 ひとりで勝手に哲学者っぽい持論を展開しつつ、疑いの眼差しが強まったウィクトーリアに慌てて言い訳を並べる。


「これでも父上から仕事を振られてるとき以外は、自室でだらけてますよ。そのおかげかもしれませんね」


 嘘である。真っ赤な嘘である。


 自室のベッドでぐーたらと脱力してるのは本当だが、大抵、ステータスの≪知識≫を上げるために本を読んでいる。思考を停止して休んでいる時間など睡眠すいみん以外ではほとんどない。だが、事実無根でもないので問題ないだろう。


 ウィクトーリアも一応は安心したかのように頷いた。


「そうですか。それは何よりです。未来の旦那様になるかもしれないのですし、風邪などにはご注意ください。……それでは、ここで」


 しばらく通りを歩いて十字路に差し掛かったところで、ウィクトーリアは左側の道へ曲がっていく。俺はそのまま真っ直ぐ直進するので、彼女が言うとおりここでお別れだ。やや後ろに並ぶ護衛の男性たちが恭しく頭を垂れて、俺も、


「さようなら」


 と言って彼女から視線を切った。


 夕暮れの薄暗い道を、人の流れに沿って歩く。すでにウィクトーリアのことは頭の中から消えていた。何よりも、明日のことを考える。




 ▼




 昨日、あれだけの激戦を制したはずの俺の体は、やはりというかなんというか、想像どおりばっちりと回復していた。覚醒かくせい早々に左右の腕をぶんぶん回してみたが、寝起きであること以外に違和感を感じない。これなら、今日も上級ダンジョンへ潜っても問題ないと判断する。


 朝食を食べて装備を整える。背後からフランの厳しい視線を受けるが、気付かないフリをして出かけた。


 アンティーク調のブラウン色の扉を開き、多種多様な花に挟まれた直線の石畳の上を歩く。左右からかすかに花の香りが漂い鼻腔をくすぐる。今世では花粉症に悩まされることがなくてよかった。将来的には鼻水しかりくしゃみしかりが体を襲う可能性はあるが、少なくともいまは健康上に異変はない。


 照り付ける陽光から逃げるように、俺は早足でダンジョンへと向かう。


 その前に。


「————あ! ヘルメス様!」


 タイミングよく停まった馬車の中から、黒髪の剣士——セラ・クリサンセマム男爵令嬢が現れた。

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