第39話 秘策の薬
夏休みに入った翌日。
朝からベタベタと鬱陶しい母をどうにかかわしながら、俺は装備を整えて自宅を出る。背後から「ダンジョンに潜るのは許可したけど、私の相手もしてよぉおお!!」と叫ぶ母の声をBGMに、俺は王都の南区を目指した。
南区は主に商売をする商人のための区画だ。商店街とも言われ、通りには数多くの露店や煌びやかな店が立ち並ぶ。
しかし、今回俺が訪れるのは、表の通りに出ている店ではない。その裏側、人の少ない路地裏を通った先にひっそりと構えるアイテム屋だ。ゲームだと、店主の老婆は「あたしゃ薬師だよ」と言ってるが、どちらかと言うとただの魔女にしか見えない。しわしわな顔に紫色のローブ、極めつけは魔女帽子に杖なんて持ってたら、そう見えてもなんらおかしくはない。
とあるアイテムを購入しに来た際、液晶の前で俺は何度も「魔女じゃん」と呟いたくらいだ。魔女と薬師って似たようなものだしね。
薄暗い路地裏の角を曲がり、隠れるように建てられたおんぼろ建築物を発見する。
なぜか屋根の形が魔女の帽子に似ているが、危険を冒してでも業者に注文したのかな?
崩落とか大丈夫? いきなり崩れてきたら俺もキレるよ?
別のことに意識を割かれながらも、真っ直ぐに店の前へ進み、そこかしこに穴の開いた扉を開ける。
「——うっ」
扉を開けた瞬間に、鼻をつくような激臭が漂ってきた。思わず反射的に鼻を摘む。
これは……薬の臭いか? どう考えてもヤバめの劇薬っぽい感じなんだが。
ゲームでは感じられないリアルっぽさに眉をしかめる俺だったが、奥から聞こえてきた声に意識を奪われる。
「ほう……? これは珍しい客じゃないか。その髪、その目……服装は冒険者のそれだが、整った顔立ちを見るに……なんとかっていう貴族の倅かい?」
室内いっぱいに並ぶ薬品とそれを乗せた棚。辛うじて人間がひとりくらい通れる細い道の奥から、ぬるっとした感じでローブを着た老婆が姿を見せる。一瞬、ガチでホラー映像に見えてびくりと肩が震えた。
マジもんのホラーダンジョン<嘆きの回廊>なんて目じゃないくらいの怖さだ。
「私のことをご存知でしたか。恐縮ですね」
「ハッ。心にもないことを言うんじゃないよっ。それより、なにか買いに来たのかい? ウチは薬屋だが、あんたみたいな子供に売るようなものはないよ。怪我しないうちに帰りな」
「冷たいですね。わざわざ薬を買いに来た客にその態度……あなたは変わらない」
「あん? なんの話だい? あたしゃ、あんたと会ったことないよ」
そうだろうね。老婆の冷たい対応に、しかし俺だけがくすりと笑みを零す。
この老婆はゲームの頃からこんな態度だった。設定されたテキストのほぼ全てが、客に対してなかなかの失礼。現代日本なら間違いなく廃業に追い込まれるレベルの店主である。
だが、プレイしてた頃はまったく気にならなかった。これも一種のキャラ付けなのかと無意識に納得し、単なるモブとして俺の記憶にはあまり残っていない。こうして対面したからこそ「あ~こんなキャラだったわー」と思い出せたが、感想としてはそれくらいだ。怒るほどのものでもないし、むしろ微笑ましくもある。変わらないものって素晴らしいね。
「すみません。こちらの話です」
「そうかい。なら、早いとこ帰りな。ウチには危険な薬だってあるんだからね」
「むしろその手の薬を買いに来ました。どうか俺に、あなた特製の<吸引剤>を売ってください」
「……は? <吸引剤>? あんな失敗作の劇薬、なにに使うつもりだい?」
まさかその名が出てくるとは思いもしなかったのだろう。ここに来て初めて老婆の声色が変わる。
「面白いことを仰る。あれは失敗作ではありませんよ。それに、<吸引剤>の使い道なんてひとつしかないでしょう?」
「あんたまさか……アレを使うつもりなのかい!?」
「ええ。近々行われる<狩猟祭>で」
二つ目の共通イベント<狩猟祭>。その名を聞けば、嫌でも老婆は言葉の意味を完全に理解する。やや震えた声で彼女は叫んだ。
「く、狂っておる! あの祭であんな物を使えば……あんた、生きて帰れないよっ」
「承知の上です。まあ、死ぬつもりは毛頭ありませんが」
狼狽える老婆に向かって、俺だけは冷静に笑顔を浮かべる。それがより一層の驚愕へと繋がり、老婆は再度確認のために言った。
「本気で……本気であの薬を使って勝ちにいくのかい? 別に魔物が狩れなくても問題がないだろうに。そもそも、<吸引剤>を使っても生き抜ける自信があるなら、無理せず地道に魔物を狩ればいい。あたしゃ、無謀な馬鹿に薬を売るつもりはないよ! あれは売り物でもないしね」
……え? アレって売り物じゃないの?
おかしいな……ゲームだとちゃんと値段がついてる売り物だったのに……
この世界がリアルになったせいで、俺みたいな若者には簡単に売ってくれないらしい。どうしたものか。
「そこをなんとかお願いします。俺なら問題ありませんし、できるだけ高額で買い取りますよ?」
「ダメだダメだっ。絶対に売らん! せめてあんたがどれだけの技量を持っているのか証明しないことには……」
そこからは、ひたすら老婆との話し合いが続いた。
俺は大丈夫だから大金も出すよ? と言ってるのに、老婆は頑なにこちらの身を案じてくれる。だが俺は<狩猟祭>でもトップを勝ち取りたいのだ。諦めず、我慢比べを続けた。
その結果。
なんとかゲームの頃の値段で一本だけ<吸引剤>を売ってもらうことに成功。お互いにハァハァと荒い呼吸を繰り返しながら、なんともいえない空気が流れる。
だが、勝ちは勝ちだ。薬を手に入れた俺に憂いも後悔もない。なにが勝ちなのかよくわからないが。
「ハァ……ハァ……ったく。貴族にしては面白いくらいイカれた男だね。いいかい? その薬を使ってもいいが、絶対に死ぬんじゃないよっ。死んだらこの家で何年も腹を抱えて笑ってやるからね!」
「は、はは……ハァ……ええ。必ずまたこの店に顔を見せに来ますよ。その時、薬の効果を報告するのでお楽しみに」
「ふんっ。もうあんたみたいな生意気なガキの面なんざ見たくないね。早く帰りなっ」
そう言うと老婆は奥の部屋へと引っ込んでいった。なんやかんや子供想いのいい人である。
俺は最後に「ありがとうございました」とお礼を言って店を出る。
そんなに時間は経っていないが、ずいぶんと話し込んだような気がするのは、疲労具合が関係しているのだろうか?
これから王都でも最高クラスに危険なダンジョンへと向かおうとしているのに、入る前から疲れていては困るね、と苦笑しつつ歩き出す。
そのとき。
路地裏から通りに出た俺へ向かって、ひとりの少女が駆け寄ってくる。
どこか必死な形相で、銀髪の彼女は叫んだ。
「た、助けてください! ヘルメス様!」
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